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とある内閣総理大臣の仕事初め

 最初の発言は、予算の話だった。
 「どうして毎年、予算を使い切るのか?少しは溜めたらどうだ?」
 3月にやたらと道路工事が多いのもおかしい。はっきり言って迷惑だ。
 「……憲法に予算は原則毎年全部使い切るルールが書かれています」(注83)
 秘書官がそう説明すると、その内閣総理大臣は言った。
 「やっぱり憲法から変えないとダメか」
 86条は知っていたが、これが国の赤字体質の原因だ。いい機会だ。全部変えよう。
 「聖徳太子の17条の憲法を叩き台にして、新しい草案を作れ」
 秘書官たちは目を白黒させていたが、指示には従った。準備委員会を編成する。
 「本年度の予算は、ちゃんと決めるぞ」
 総理大臣はそう言った。すると秘書官が怯えた。
 「……といいますと?」
 「地上でちゃんと国会を開く。オンラインはなし。対面のみだ」
 国会議事堂が東京湾からのミサイル攻撃で崩されて以来、まともに開いていない。
 「……でも場所が」
 「場所なんてどこでもいい。青空国会でもいいじゃないか」
 秘書官たちはかなり慌てたが、指示には従った。場所の選定も始める。
 「予算も歳入以下で組む。一円足りとも、歳出を超えないし、国債も発行させない」
 恐るべき発言だった。各省庁がどう思うのか?今まで使いたい放題使ってきた。
 「……それでは日本が立ち往きません」
 因みに前年度予算は、国会をまともに開けなかったので、前々年度予算を基に組んだものを通している。完璧な慣行主義だ。ほぼコピーと言ってもいい。審議もしていない。
 「立ち行かないのは日本じゃなくて、省庁がだろう。役人が困る分には問題ない」
 この国は、酷い赤字財政に陥っている。毎年、収入の二倍、収出があるのだから当然だ。個人で言えば、毎月、給料の二倍の生活をしているようなものだ。個人だとそんな生活は長続きしないが、国の場合、信用でずっと続いている。だがそろそろ限界だ。
 「とにかく地上で国会を開き、本年度予算を歳入以下で組むぞ」
 これが方針だ。これだけで、とてつもなく、困難が生じる。それが今のこの国の実態だ。
 「……それは不可能です!」
 流石に秘書官は言った。他の秘書官も頷いている。
 「首席秘書官は同意しているぞ」
 内閣総理大臣がそう言うと、秘書官たちは部屋を見渡した。首席秘書官はいない。
 「……首席秘書官、魏徴とは一体誰ですか?」
 謎の人事だった。他にも首相の警護官のトップに仙人の名前もある。
 「諸君の目には見えていないようだが、魏徴はこの部屋にいる」
 秘書官たちは沈黙した。何も言えない。
 「もう少し、目に見えないものを信じ、耳で聞こえないものを聞け」
 内閣総理大臣は、とんでもない事を言った。怪力乱心内閣は伊達じゃない。
 それから念願だった偵察総局解体に手を付けた。年度の途中であったが、構うものか、やってしまえ!大体、何で大陸の手先みたいな省庁が、堂々と日本政府内に存在する?しかもあの局長、閣議で北京語を喋っていたぞ。意味が分からない。解散。
 内閣総理大臣の命令で、偵察総局の解散に判まで押した。これで書類上、偵察総局は終わった。全ての業務は停止になる。元デジタル庁だから、国のDX化の旗振り役でもあったから一石二鳥だ。この国のDX化を断固阻止して、一気にアナログ化するぞ!
 各省庁からもの凄いクレームが来た。事務処理ができないと言う。デジタル庁時代から進めていた政府内DX化PJも止まり、すでに構築したシステムが動かせないと言う。
 ここに一つのシステムがある。交通違反したら、カメラが違反者の顔認識をして、顔写真を街やネットの掲示板に晒す。そして銀行からカードで罰金が落とされる仕組みだ。今、試験的に運用している。開発元は大陸で、偵察総局が税収アップを狙って、導入した。
 所謂、クソDXだ。ディストピア社会が到来する。その旗印はAIだ。
 内閣総理大臣は知らん顔をした。だがそれは偵察総局も同じで、前年度に決まった今年の予算があるので、平常運転していた。偵察総局が死んだのは、書類上の話だけだった。彼らは、来年度予算はもらえないが、大陸から調達するつもりだった。
 内閣総理大臣は、最悪武力で解散させる事も考えたが、秘書官たちからの報告を聞いて、別の機会に譲る事にした。偵察総局は、すでにかなり装備を持っているらしい。省庁武装化だ。やけに予算を請求していると思っていたが、そういう事らしい。
 現時点で、警察を遥かに凌ぎ、自衛隊に次ぐ戦力を持っていると言う。
 だが大元の大陸は弱っている。台湾侵攻に失敗して、共産党は求心力を失いつつある。五大戦区内で、派閥争いが起きていると言う。そのまま軍閥化する可能性もあると言う。大陸の国家主席は目下、国内の統制に全力を注いでいる。党の立て直しだ。
 それよりも先に、今は半島の問題を片づけないといけない。ボートピープル問題は、東京都知事率いる日本知事会の専任事項のようになっているが、本来国政レベルで取り組むべき問題である。民間の宿にいつまでも泊めておく訳にも行かない。
 「半島の問題を終わらせる。まずは弾道ミサイルを阻止した自衛隊を賞賛するぞ」
 秘書官たちに、新田原基地の第305飛行隊第1小隊を呼ぶよう指示した。以前、百里基地にUFOを引っ張ってきた50代の三佐だ。今回、弾道ミサイル発射阻止ミッションで、東京の水爆投下を阻止した。因みに隊員は全員生還できた。グアムは吹き飛んだが。
 式典では、内閣総理大臣顕彰(ないかくそうりだいじんけんしょう)が、50代の三佐に渡された。理由は、東京に対する水爆投下阻止だ。これは誰にも否定させない。
 場所は代々木公園だ。弾道ミサイルの大きなクレーターがある。その横で行われた。
 だが事件は白昼堂々起きた。首相暗殺だ。
 「……平和条約締結反対!新たなる松岡洋右を許すな!国際社会の敵は滅びよ!」
 その抗議者は、総理大臣が賞状を小隊長に渡すシーンで、火炎瓶を投擲して来た。時間差で二個だ。咄嗟の出来事で、警備の者も対応できない。F15J改のパイロットが身体を張って、阻止しようとしたが、その火炎瓶は、何者かによって、空中でキャッチされた。
 「お主はまだ出番があるかも知れぬ。ここで死なす訳にもいきまいて」
 50代の三佐は、確かに声を聞いた。宇宙人とテレパスをして以来、ちょっと霊の声が聞こえ始めている。街中でボソボソと不成仏霊の声も聞く。
 火炎瓶は、代々木公園のクレーターに投げ込まれた。爆発して燃え上がる。
 抗議者は遅れて、警備の者に取り押さえられた。だが彼は叫んだ。発言は全部許される。
 「……平和条約締結反対!北方の大国を許すな!ジェットスキー大統領閣下万歳!」
 この国には言論の自由がある。素晴らしい事だ。後に外務大臣時代、自宅の玄関の扉に、火炎瓶を投げ付けたのもこの人物だと判明した。万国の抗議者たちよ、結集せよ?
 式典が無事に終わると、総理大臣は仙人を労った。
 「左慈(さじ)道士、恩に着る」
 仙人は思わず、振り返った。
 「……なぜ真名が分かった?」
 左慈道士は、三国志の曹操の客将で、劉備玄徳と諸葛孔明を方術で襲った事がある。
 「やはりな。当て推量だったが、当たっていたか」
 総理大臣はにやりと笑った。仙人は呆れていた。
 「……分からないようにしていたのじゃがな。お主、何時から気が付いた」
 「牛丼屋の一件だ。桃園の誓いと言っていたからな」
 アレでピンと来た。多分、左慈道士は、劉備玄徳たち三兄弟が羨ましかったに違いない。
 「……最初からバレていたという事か」
 首相のSPのトップでもある仙人は笑った。
 それから、国会が開かれた。青空国会だ。代々木公園のクレーターを囲む形で、議員のパイプ椅子が並べられた。PAC3が対空防衛を担い、白いミサイルが青空を睨んでいる。クレーターの底に答弁台が置かれていた。絵面的に奇異だが、これも首相の発案だ。
 今後、国会は場所を変えて、ランダムに行われる事になった。天皇陛下が、毎回くじを引いて、場所を決める。他にも国際展示場とか東京ドームも候補地だった。
 総理大臣は冒頭、予算案を手にして宣言した。
 「歳入なくして予算なし!」
 この発言は、1773年ボストン茶会事件の「代表なしくて課税なし」のパクリか。
 「合衆国か?仁徳天皇か?」(注84)
 合衆国は今、天文学的な借金を背負って、連邦政府が休業している。だが仁徳天皇とは?
 「要するに、民のかまどだ。諸君は国民を富ませなければならない」
 その昔、仁徳天皇は、宮城から民草の家を見ると、炊事の煙が出ていない事から、夕飯の支度ができないぐらい貧しい暮らしをしていると察した。そして税金を取るのを止めて、宮城が荒れ果てるまで我慢した結果、家の煙突から炊事の煙が昇るのを見て、喜んだと言う。つまり、予算を歳入以下に切り詰め、省庁は耐乏生活に入らなければならない。
 当然、国会は荒れた。だが総理大臣は、更なる燃料を投下した。
 「公務員にボーナスは要らない!」
 これは議員も含まれる。期末に毎年300万くらい貰える。議員たちは怒った。
 「古代ローマの元老院議員は無給だった!」
 それは社会が異なると一蹴されたが、近年年収1ドルで働いた合衆国大統領もいる。
 「民間がこれだけ苦しんでいるのに、公務員にボーナスが出るなんておかしい!」
 この瞬間、総理大臣は全官僚、全役人を敵に回した。業務をサボタージュする。
 「政府を小さくしろ!これ以上予算を投下して政府を肥大化させるな!」
 この後、野党の議員がなだれ込んで来て、答弁台が滅茶苦茶になった。
 国会は初日から乱闘だった。だが総理大臣の周りには謎の力場が出来て、誰も近づけない。左慈道士の仕業だった。警護対象を守っている。総理大臣はパイプ椅子を構える。
 「来るならこい!予算は歳入以下だ!絶対上回らせない!」
 怪気炎を上げると、野党は下がった。そして執務室に帰ると、秘書官が待っていた。
 「……総理、マスコミ各社の支持率が発表されました」
 支持率は全て10%を切っていた。不支持率は80%を超える。戦後最大の悪評だった。
 「君、これ以上下がる事はないから、安心したまえ。これからは上がる一方だよ」
 これがとある内閣総理大臣の仕事初めだった。だが半島で、新たなる胎動が起きていた。

注83 『日本国憲法』第7章財政第86条「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」戦前の軍事費の膨張に対する反省と予防策として、予算を年度内で使い切る単年度主義を採っている。
注84 仁徳天皇 4世紀末から5世紀前半 第16代の天皇とされる。

         『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード109

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