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   千鳥足舞子の華麗なる夕餉

 その娘娘(ニャンニャン)は、相模郡原町田にいた。頭に花が咲いている。
 姓は千鳥足、名は舞子と言った。字(あざな)はマイマイと言う。カタツムリじゃない。
 彼女の頭には、アホ毛のように、ペコっと花が咲いているが、誰も気にならない。
 たまに、ああ、頭に花が咲いている。いいな。と思う人がいるかも知れないが、それだけだ。
 見事に街の風景に溶け込んでいる。彼女は頭に花が咲いたOLでしかない。
 高校生までは真面目に生きていたが、大学生になって、テニス・サークルに入り、コンパで弾けた。宴会芸なんてお手の物だ。お酒を呑んだら、怖いものなんて何もない。それは社会人になってからも変わらない。最初は上司たちも喜んでいたが、いつの間にかいなくなった。
 どうした事だろう?酒は人生の語り場ではなかったのか?
 その日も舞子は呑んでいた。すでに深夜を超えて、朝も近い。
 「バッカス~」
 舞子は、隣にいた若い男に抱き着いた。黒髪だが瞳がブラウンの外人だ。
 「やめろ。抱きつくな。俺はディオニューソスだ」
 その若い男は、舞子を突き放した。グラスとワインが倒れた。小さな悲鳴が聞こえる。
 「え~でもアルコールの神なんでしょう?バッカスでいいじゃない」
 舞子はご機嫌だった。グラスとワインを立て直す。すると何かが、動く気配がした。
 「……アルコールじゃない。オイノスの神だ」
 バッカスは不機嫌そうに答えた。一瞬、テーブルの上に小人が走って、酒瓶の後ろに隠れた。
 「え~同じじゃない?酒とアルコールなんて……」
 「じゃあ、マイマイは、純度100%のアルコールを呑めるのか?」
 その時、舞子は人差し指を額に置いて、ちょっと考えた。
 「……木精(メチルアルコール)じゃなければいけるよ。多分」
 昔、ロシア人と純度99,99%のウオッカを呑み比べて勝利した事がある。あと0.01%追加されたところで何の違いがあるのだろう。今となってはいい思い出だ。あれは確か、北海道に行った時だったか。そう言えば、北海道は今、大変らしいが。
 「そうか。じゃあ、君の花に乾杯」
 「かんぱ~い!」
 舞子は勢いよくグラスにジョッキをぶつけた。バッカスは呆れていた。小人の声も聞こえる。
 「でもバッカスは何でワタシの事、守ってくれるの?」
 「……それはマイマイがこの辺りで一番、酒が呑めるからだ」
 「やっぱり~!分かる~!ワタシ、お酒大好きなのよ~!愛してる」
 舞子はじゃんじゃん呑んでいた。ジョッキの山がどんどん出来上がる。小人が騒いだ。
 やがてお店が閉店になると、舞子とバッカスは、スクーターを取りに夜の原町田を歩いた。
 すると暗闇の中から人影が浮かび上り、見知った顔が通り過ぎた。
 「あ、カチョー!どしたの?カチョー!」
 「……私も間違っているが、世の中はもっと間違っている(注1)」
 その血のように赤い奇書を手に持つ、うらぶれた中年のサラリーマンは、ぶつぶつと独り言を言いながら、足早に立ち去って行った。顔面が腫れていた。どうしたのだろうか。
 「そう言えば、退職するから、有休消化中だったっけ?」
 舞子は特にそれ以上、気にしなかった。
 駐輪場に辿り着くと、バッカスをケツに乗せて、舞子がスクーターを発進させた。
 深夜の通りを喧しく疾走しながら、バッカスがふと呟いた。
 「腹が減ったな……」
 店では高いワインばかり呑んで、陸(ろく)なものを食べていない。
 「じゃあ、牛丼屋に寄って帰ろうか?」
 だが次の瞬間、舞子はスクーターで、牛丼屋にダイナミック入店していた。客と店員がアクロバティックに座席から飛び退き、窓ガラスが粉砕されて飛び散る中、ガラス片がキラキラ輝いていた。舞子もキラキラと笑顔を振り撒いていた。世界がスローに回る。
 「……なんでスクーターで突っ込んでるんだよ!」
 「いや、話しかけられたら、通り過ぎそうになって、そのままエイって入っちゃった♪」
 バッカスは怒りながら、舞子を店員とお客に謝らせると、国家警察を呼んだ。
 「飲酒運転、わき見運転、スピード違反、二人乗り、器物破損――他には?」
 近くの交番で特警の腕章を付けた警官の取り調べを受けながら、舞子はコテンと首を傾げた。
 「……あと牛丼食べたいとか言っていなかったっけ?」
 舞子が振り返ってそう言うと、バッカスがまた謝り、警官は呆れた。
 「酔っぱらっているのか?ん?何だ?その頭の花は……」
 花に突然気が付いた警官は、舞子の頭の花を触ろうとした。
 「やだ、H!触らないで!」
 だが舞子は身を捩って躱した。
 「……待て、頭に花が咲いた女って、確か偵察総局が血眼になって探していなかったか?」
 奥の警官がそう言うと、手前の警官がデスクから手配書を取り出した。
 「これは天花(ティエンホワ)と言って、娘娘の頭にしか生えない幻の花だ……」
 バッカスが警戒する姿勢を見せた。そして静かに腰の皮袋を紐解く。
 「娘娘だと?日中重大案件じゃないか。おい、上に繋げ」
 奥の警官が命じると、手前の警官が電話を掛けようとした。
 だが二人とも途中で、バタっと倒れて、そのまま眠りこけてしまった。舞子は驚いた。
 「あれ?どうしたの?」
 机の上を小人が走っていた。小さな声で笑っている。
 「……酒精を嗅がせて眠らせた。だがどうして急に気が付いた?」
 バッカスが首を傾げながら、早急にその場を撤収しようとした。
 だが眠りこけた筈の警官が一人、ゾンビのように立ち上がり、口を開いた。
 「我会逮捕你!」
 「Speak Japanese!」
 舞子は叫んだ。実は、舞子の母親は香港系で、1997年の中国返還時に日本に逃げてきた。
 だから日本生まれで、舞子は広東語、英語、日本語の三か国語に通じている。
 「あ、でも私、鳥リンガルだから。北京語も分かるよ」
 舞子はその場で羽ばたいてさえ見せた。なぜかちょっとだけ浮く。千鳥足だからか?
 「とにかく今は逃げるぞ。牛丼屋まで走れ!」
 バッカスに手を引かれて、舞子は走った。
 ガラスが割れた牛丼屋まで戻ると、そのままスクーターに乗って逃げた。
 すでに午前様だったが、早朝から舞子は、上長に勤怠連絡を入れた。
 「あ、ブチョー?ワタシ、マイマイ。今日休む。朝起きたら吐き気と頭痛がして……」
 舞子は会社に連絡を入れると、騒いでいるスマホを切り、部屋の鍵を取り出した。
 「……迎え酒でもすっか」
 舞子は冷蔵庫を開けると、キンキンに冷えた缶ビールを取り出した。
 バッカスも豆腐を確認すると、鍋に水を引き、リズミカルにネギを刻み始めた。小人も踊る。
 「マイマイ~!アタシも混ぜて」
 そこにギャルが、開いていた扉から顔をひょいと覗かせた。
 舞子も「おっけ~」と寝転がりながら、You Tubeを見た。NBC nightly Newsが始まる。
 「私も私も」
 ガングロが飛び入り参加した。
 「お、湯豆腐とかアチィな」
 最後にイケイケが割り込むと、小人たちが散って、小さな悲鳴を上げた。
 「イケイケとかお前、いつの時代の女だよ?バブルかよ。お立ち台行けよ?」
 ガングロがそう言うと、小人たちは再びバッカスの背後に隠れた。
 「ガングロとか戦国の傾奇者かよ。いい加減、全滅しろよ」
 イケイケが反論した。
 「うるせぇな。eggは永遠なんだよ。バックナンバー、フルコンプしてっから」
 ガングロがそう言い返すと、ギャルがびっくりした。
 「え?全部持っているの?」
 「アレ、バイブルだから。マジで」
 ガングロがそう言うと、ギャルもちょっと下を向いて告白した。
 「実はアタシも小〇魔ageha全部持っている」
 小悪〇agehaがズラリと並んだ本棚が見えた。まるで書店の書架のように、所々表紙置きまでされている。2005年10月の創刊号から、最終号の2014年5月号まである。
 その全ての内容に、平成特有の明るい調子で、ヘビーな悩みが書き連ねられている。
 「お前ら、雑誌の落とし子かよ。編集者に乗せられてんじゃねぇよ」
 バイブルが存在しないイケイケだけ、仲間外れだった。やはり経典が存在しないと弱いのか。
 「まままま~。タシら、単なるにぎやかしだし~」
 ギャルが仲裁した。小人たちがバッカスの背中から、そーっと顔を覗かせる。
 それから五人は湯豆腐をつつきながら、酒を呑んだ。小人たちもバックダンスしている。
 黒人の看板司会者が、北海道情勢の後、セカンド・パンデミックについて報じていた。
 すると舞子が珍しく、PCの画面を見ながら、深刻な表情で言った。
 「……みんな、ワタシを信じてくれれば、こんなの一発で消せるんだけどね」
 部屋には天花娘娘(ティエンホワニャンニャン)の掛け軸が下がっていた。
 「今日も出番はなしだな」
 ワインを吞みながら、バッカスがそう言うと、ギャルが「鳴かず飛ばず~」と囃した。
 そうなのだ。舞子は今や落ちぶれて、アル中OLの身にやつし、酒神と共に暮らしている。
 部屋にはいつも、ギャル、ガングロ、イケイケも溜まっていた。
 みんな、流行り廃りを司るにぎやかしの精だ。全員神様のお祭り要員だったりする。もののけとまではいかないが、神格を持たない妖精・精霊の類だったりする。お祭りで神輿を担ぐ時、こういうお手伝いさんは、どうしても必要なのだ。
 「あ~あ、いつになったら、ワタシの出番は来るんだか……」
 舞子は嘆いた。折角、地上に肉体を持って生まれたのに、全然力を発揮できていない。
 天花娘娘は、天帝が創造した究極の対疫病神なのだ。だから健康極まりない。超明るい。
 セカンド・パンデミックでも、サード・パンデミックでもどーんと来いだ。
 「う~ん。それにしても今日も世の男たちは、私を幸せにしなかった罪でギルティだよね」
 舞子がバッカスにしな垂れ掛かると、にぎやかしの精三人が麦酒で、頭の花に水をやった。
 「やめてやめて、花が枯れちゃう!何やってんのよ!」
 舞子は慌てて頭を押えた。今日も千鳥足舞子の華麗なる夕餉は続いた。
 
注1 ヒトラーの発言とされるが、ドイツ語の原文・出典は不明。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード5

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