玄奘、法華経を翻訳す
猿渡空は、スマホを見ながら、長安の都を歩いていた。歩きスマホだ。
明徳門から朱雀大路のメイン・ストリートを、時空を超えて観光する。
いつもの私服姿だ。1人だけ21世紀の恰好だが、誰も気にしていない。
遠方から来る異国の者も多いので、完全に外国人だと思われている。
一応、カモフラージュ?のために、唐紅を顔にペイントしている。
額の花鈿(かでん)と頬の斜紅だ。この時代の一般的な化粧だ。
猿渡空的には、サッカーの試合でも、応援している気分だった。
「……ドラマ『長安二十四時』によると、西市で食べ歩きがお勧め?」
歩きながらスマホで、長安の時空レビューを読んでいた。ホント面白い。
それにしても、一体どうやって記事が更新されているのか、謎だった。
「……お釈迦様に頼んで、このiPhone、神器に変えてもらったから」
様々な時空と繋がる照魔の鏡の様な機能を持っている。スマホ型神器だ。
霊装アプリがインストールされており服装・ステータスも自由に選べる。
変身する時はスマホをかざして、魔法少女的に、変身バンクも披露する。
斉天大聖孫悟空、キュアモンキーだと思っている。おサルさんだ。
新体操もやっていたので、忍者のような体術が使えるようになった。
旅の間、護衛として戦ってきた。だが長安に帰って、お役御免となった。
もう元の世界に帰ってもいいが、沙悟浄が手伝っているため残っている。
猪八戒も何だかんだ言って残っている。旅の最後まで付き合うつもりだ。
沙悟浄は何も言わず玄奘のサポート役に徹しているが不満があるそうだ。
ブタの💝様経由で河童型宇宙人の不満を聞いている。結構、深刻らしい。
玄奘は仏典を意訳していると聞く。3行を2行に縮めるとかお手のものだ。
それの何が悪いのかよく分からない。だが不可逆性の問題と言っていた。
3行を2行に縮めたら訳語から原語を復元する事が不可能になると言う。
それが翻訳の不可逆性の問題だ。だが翻訳とはそういうものではないか?
気にしているのは原文の意味が変わる事で仏典の内容改変に繋がる事だ。
う~ん。よくわからない。玄奘なら大丈夫ではないかと思っていた。
玄奘は長安の慈恩寺で、夜中の12時まで、朱筆で原文に線を引いていた。
明日、翻訳する箇所を色付けしている。色付けしない箇所は訳さない。
そして朝の3時に眼を覚まして、サンスクリット語の原文に眼を通す。
そんな生活を何年もぶっ通しで続けていたが、玄奘は全然参っていない。
だが目は血走り、呼吸は浅くなっていた。明らかに健康を害している。
長旅で身体を痛めていた。ヒンドゥークシュ山脈越えで身体を冷やした。
肺を患い、冷え性にも悩まされている。体調が悪い時は咳が止まらない。
それでも、玄奘は『法華経』の翻訳に、心血を注がざるを得ない。
その様子を亜空間から見ている者たちがいた。寸劇が開始される。
「……デイヴィッド、あなた疲れているのよ」
「それはドラマ『24 -TWENTY FOUR-』、いや、『Xファイル』か」
猿渡空とブタの💝様のやりとりが聞こえた。だが玄奘は言った。
「……『法華経』こそ大切だ。この翻訳で全てを超える」
玄奘は並々ならぬ気迫を持って、翻訳の準備に当たる。
「ホーホケキョ!」
猿渡空が鳴いていた。季節外れの鶯だった。
翌日、珍しく、一人の証義が玄奘に真正面から異を唱えた。
沙悟浄が姿を変えた僧、胡瓜和尚だ。今迄にない様子で、反論する。
例によって、玄奘の意訳だった。3行が2行に減っていた。
「……いや、これで行く。これが正しい」
玄奘は言った。胡瓜和尚が鋭い視線を向けた。
「なぜです?これでは原文の意味が損なわれる」
「……損なわれない。内容は保たれている」
「これは翻訳ではない。意訳だ。解釈だ」
だが胡瓜和尚も一歩も引かない。二人の視線が交錯する。
「……解釈は間違っていない。梵語の冗長さ、繰り返しを排しただけだ」
「なぜです?ここは素直に訳してもいい箇所の筈。なぜここで?」
「……旧訳と違いを出さねば、何のための新訳か」
玄奘がそう答えると、周囲の者は皆押し黙って、二人を見た。
胡瓜和尚は瞑目した。自分はあくまで玄奘のサポート役に過ぎない。
出しゃばってはならない。だがその気になれば、玄奘以上の事ができる。
この河童型宇宙人は、宇宙を放浪して、数百ヶ国語をマスターしていた。
そしてたった一つの星で、数百ヶ国語以上もあるこの星を見付けた。
地球は、何という豊饒さに満ちた星かと思う。だがこの星の人ではない。
「鳩摩羅什(クマーラジーヴァ」ですか?」
ここでそれを訊く胡瓜和尚の度胸に、周囲の者は緊張した。
「……そうだ。この翻訳で全てを塗り替える」
玄奘は否定しなかった。そこには単なる対抗心以上の執着が伺えた。
ここで、有名な『般若心経』で、玄奘訳を見てみよう。
原文の3行を、2行に減らして、訳出している例だ。
『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舎利子。色不異空空不異色。色即是空空即是色。受想行識亦復如是。
冒頭だけ記載する。太字の2行に注目だ。他の人の漢訳を上げる。
色性是空空性是色。色不異空空不異色。色即是空空即是色。
これはインド僧法月による漢訳である。原文に忠実で3行だ。
色空空性是色。色不異空空不異色。是色即空是空即色。
これは唐僧智慧輪による漢訳である。同じく3行だ。
インド僧法月と唐僧智慧輪の漢訳は、同一の意味である。
色=空、空=色。色≈空、空≈色。色≜空、空≜色。
よく見ると、玄奘訳は、法月訳の最初の一行をすっとばしている。
色≈空、空≈色。色≜空、空≜色。
仏教は記号で表せるものではない。あくまでこれは便宜的なものである。
言葉の羅列を記号で可視化して、玄奘訳のおかしい点を明らかにした。
どうだろうか?
こうすると、最初の一行をすっとばした玄奘の考えも見えて来る。この文章は三段論法(συλλογισμός)ではない。そもそも三段論法でさえない。だが三段論法でないからと言って、二段論法にしてよいものだろうか?
般若心経は、論理学的に言えば、トートロジーが、三段並んでいるだけである。だがこれは仏教であり、論理学ではない。だが構造上、三段で構成されている。記号論理学は小論理学であり、形而上学は大論理学であるとしたのはヘーゲルだ。ヘーゲルの弁証法、正・反・合の正は不要として、反・合だけにしたらどうか?
玄奘の発想はこういうものである。これは思想の改変である。明確に悪だ。無論、全ての玄奘訳が間違いではない。一部おかしいが、正しいものもある。般若心経に、観自在という仏教用語がある。玄奘のこの訳語は定着した。原語は、avalokitesvara(アヴァローキテーシュヴァラ)と言う。
玄奘は、Avalokita(観る) +isvara(自在)と解釈してそう訳した。
鳩摩羅什訳では、観音と訳されている。どちらも間違いではない。
玄奘は夜な夜な、夢を見た。
竹林の中を彷徨う。時折、パラパラと砂が落ちて来る。
――ここはどこだ?物の怪でもいるのか?
ふと自分を見ると、旅の装いをしていた。
――何だ?戻ってきたのか?旅の途中?
唐ではない。天竺か?低く唸る虎の声がする。
玄奘は周囲を見渡した。虎が近くにいる?
「……孫悟空!猪八戒!」
答えがない。二人は近くにいない。
「……沙悟浄!」
玄奘は叫んだが、次の瞬間、虎が現われた。
それは真っ黒な虎だった。黄色い縞模様が、稲妻のように走っている。
咆哮した。まるで間近で、ミサイルを発射したかのような轟音だ。
霊的な威圧が物凄い。虎砲(こほう)と言うのだろうか?逆らえない。
玄奘は地面に倒れ、虎に襲われる。ふと視線の先に女の童がいた。
「意訳してはなりません」
「……待て!それは御仏の意思か?」
だが答えは叶わず、玄奘は虎に身を喰われた。
夜中、絶叫して、玄奘は目を覚ました。滝のような汗が出る。
悪夢だ。いや、これは霊夢だ。自分が間違っているという警告か。
だが玄奘も信念があってやっている。今更、曲げる訳にもいかない。
それからも黒虎の霊夢は続いた。玄奘は毎回、その身を虎に食われた。
――まさか間違っているのか?いや、そうではない。そうではない筈。
疑問の日々は続いた。だが日に日に、玄奘は衰えていった。
生気がない。それでも『法華経』を訳出した。意訳はなるべく避けた。
このお経に手を付ける事は、玄奘にも、躊躇われたからだ。
『法華経』は大乗の中核である。玄奘、法華経を翻訳すだ。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺054
『玄奘、旅の終わり』 玄奘の旅 20/20話
『玄奘、西天取経の旅に出る』 玄奘の旅 1/20話