1986年8月15日、祖父の思い出
それは、もしかしたら、山崎豊子の
『二つの祖国』だったかもしれない。
テレビ画面に、モンペ服の若い娘と、
白い作業着の若者が映っていた。
若い二人は、河原の土手を歩いている。
二人で、将来の約束をしている。
だが戦争で引き裂かれるというお話だ。
太平洋戦争、1940年代の話だ。
若者はアメリカに渡り、
若い娘は日本に残る。
そんなドラマだ。
その少年は、
居間にいた。洋風だ。
20畳を優に超える。
テレビも大きい。
空調が効いていて、
とても涼しかった。
エアコンではない。
ビルで使うような
ボイラー室から、
冷たい空気が直接、
送風されてくる。
軍艦みたいな仕組みだった。
少年は、
視線を窓の外に転じた。
大きな庭の芝生を、
使用人さんが刈り揃えていた。
水を蒔いた後で、
青々と輝いている。
中年のお手伝いさんが、
使用人さんに声をかけている。
離れの控えで、休憩を取るようだ。
赤茶けた彫りの深い顔が印象的だ。
どういう経緯で働いているのか、
よく分からない。
もしかしたら、少年の祖父が、
仕事を与えたのかも知れない。
会社の元従業員だろうか。
あるいは、もっと古い知己か。
二人は談笑しながら、立ち去った。
祖父は1914年生まれだった。
大正三年生まれだ。
寅年だ。甲寅だ。
ちなみに親子三代で、
トラ、トラ、トラだ。
真珠湾攻撃か。
実は戦争世代で、
この三寅のパターンは結構いる。
祖父は23歳で出征した。
1986年8月15日の時点で72歳だ。
2024年存命であれば、110歳だ。
だが祖父の人生の全ては、
ほぼ昭和に収まる。
平成は知らない。
そして親も知らない。
育ての親はいたが、
産みの親ではないと、
大人になる前に明かされた。
少年が名乗る苗字も、
実は祖父の育て親のもので、
本当の苗字は知らない。
そういう意味では、
父方の祖父は、
根無し草だった。
どうしてそうなったのか、
経緯までは聞いていない。
祖父も知らないのかもしれない。
そしてこの話は、
両親からではなく、
直接、祖父から
聞かされている。
両親はこの件を、
少年に伝える気はなかった。
だから知らないと思っているだろう。
知る必要がない情報だと判断している。
確かに、生活上、困る事ではない。
だが戦後、
祖父は会社を興し、
戸塚に工場を作った。
堂々、その苗字を、
会社名に当てている。
だが社員たちは知らない。
実はこの会社名、本当の苗字じゃないと。
なお従業員は200名を超えている。
製造業、プレス機の会社だ。
祖父はエンジニアの気質もあった。
そして鎌倉山で、
旧華族の邸宅を買った。
高砂の近くにある。
それは巨大な西洋風の洋館で、
屋上に25mのプールまであった。
漫画か、アニメの世界でしか見ない、
女中や使用人が、本当にいた。
祖父は戦後、
経営者として成功した。
そしてこの館を改造した。
B29の爆撃でも
壊れない金庫とやらを作った。
「……B29でも壊せない」
祖父は自慢気に言っていた。
「今はB52ストラトフォートレス
と言って、爆弾投射量はB29の比じゃない」
「……ベトナムをやった奴か?」
少年は頷くと、祖父は無言になった。
それはルパンに出て来る
大金庫にそっくりだった。
開けるのが大変で、
とにかく扉が重くて厚い。
ダイヤル式だった。
中にはお宝というよりは、
契約関係の書類が入っていた。
都内に複数の土地を持っていた。
これは不思議だった。
少年は、荻窪の天沼に住んでいた。
ゼンマイが生い茂る古池があり、
葡萄が生える蔓の樹があった。
戦前、大陸の住人が棲んでいた古い家だ。
ドクダミだらけの庭だった。
祖父は三軒の家と土地を所有していた。
明らかに不自然だったので、
戦後、何か人に言えない事をした
可能性が高い。戦後のどさくさか。
少年の父は、この三軒の家とその土地を、
祖父から財産として受け継ぐ事ができたが、
「ブルジョアから施しは受けない」
という事で、荻窪の天沼から出た。
もし父が、祖父から財産として、
この家と土地をもらっておけば、
後年、少年は働きながら、
大学に行く事はなかっただろう。
バブル期に、少年の父は、
映像会社を興して、監督と名乗った。
海外の映像の仕事をやったが、
バブル崩壊で、事業が倒産し、
借金だけが残った。
だが英語の翻訳家になり、
大学の非常勤講師で食いつないだ。
大学院に在籍していた事が幸いした。
英語とドイツ語と
デンマーク語ができた。
ギリシャ語・ラテン語は挫折したようだ。
古典語は迂回して近代語をやった。
大学では哲学史を担当し、
バートランド・ラッセルを取り上げた。
反骨爺、反戦爺だ。
なお修士論文は、
セーレン・キェルケゴールだ。
哲学論文で、テキストは、
『不安の概念』だったと思う。
人間とは、関係するところの関係である。
懐かしい。『死に至る病』だったか。
キェルケゴールとは、微笑みを誘う。
ヘーゲルの講義を聞いて反発した人だ。
父とは過去世、
あのベルリン大学で、
縁でもあったのか。
今でもあの時空は行きたい。
父はフィレンツェのメディチ家とか、
法王庁の暴露本を翻訳した。
母親は、この暴露本を気にしていた。
ローマン・カトリックに対する
冒涜だと言っていた。
これらの本は、
ネットで検索すれば、
今でも出て来る。
暴露本は売れなかったが、
メディチ家は売れたようだ。
父の名が、
世間的に知られているのは、
日本で最初にメディチ家を、
紹介したからだろう。
各界の著名人から連絡をもらっている。
作家の藤本ひとみの手紙を見た事がある。
大学の非常勤講師になれたのも、
このメディチ家の功績だろう。
後年、少年の父は、
大逆事件を起した幸徳秋水とか、
正岡子規に関心を持ち、著作した。
だが少年の母親は、
これらの人物を好まなかった。
母親は、日本の古典に通じていた。
よく和歌を諳んじていた。
古文、漢文、日本神話の世界観から見て、
これらの近代人は、日本人としておかしい、
大和の心に反する人物と捉えていた。
母親は、紫式部の
『源氏物語』を愛していた。
少年の母親は、
強い霊感があったので、
平安時代が、
肌感覚で分かる人だった。
生霊とか呪いとか、お手の物である。
実演しかねない恐ろしさがあった。
少年も霊感があり、
母から受け継いでいるが、
どっちが強いか分からない。
同等程度か、もしかしたら、
少年以上かもしれない。
何かの本質を鋭く見抜いたり、
未来を予知する事に長けていた。
ただ巫女体質だったので、
一度、暴走すると大変だった。
鎮魂するのは、いつも少年の役目だった。
父はI don’t knowだった。
少年の父は反逆的な人だった。
ヘーゲルに反発したキェルケゴール、
ローマン・カトリックに対する暴露本翻訳、
大逆事件を起した幸徳秋水。
左翼で、無神論のマルキスト、
おまけにノンポリだった。
アナーキストかもしれない。
あと東京裁判に強い関心を持った。
天皇の戦争責任だ。
昭和天皇が、マッカーサーに、
You may hang meと言った事にかけて、
I can hang youみたいな事を言っていた。
こういう処は、母と徹底的に合わなかった。
なお少年が大学に受かった時、
家に金がなく、父は、
「世の中が悪い」
と言った。
祖父はすでに亡くなっていた。
館の奥に、中国風の書院があり、
祖父は一日中、書道をやっていた。
腕前はかなりのものだと聞く。
だが師匠と喧嘩別れしてから
ずっと一人だった。
祖父の影響で、
少年も書道をやった。
左利きだったので、
右手を鍛えた。
おかげで、左右どちらでも
字が書けるようになった。
書道の成果はそれだけだ。
祖父の思い出は、奥の書院で、
書道をしている姿と重なる。
無言で、いつも緊張感が漂う。
その日もセミがたくさん鳴き、
陽射しはとても強かった。
祖父は電話で、
誰かと話をしていた。
とても長い。
長電話だ。
少年は、
電話の相手を気にしていた。
アレは戦友だ。
間違いない。
「……そうか、とうとう奴も逝ったか」
祖父は遠くを見た。
「もう40年経ったしな……」
1986年8月15日、終戦記念日だ。
祖父は毎年、この日に電話をかける。
生き残りを、点呼しているのだ。
両親は話したがらないが、
少年の祖父は日本兵だった。
戦争に出征して、生還した。
それが一体何を意味するのか、
あまり考えたくないのだ。
父方の祖父は陸軍で、
母方の祖父は海軍だった。
母方の祖父は戦死した。
軍艦ごと沈んで、
海の藻屑になったらしい。
艦の名前が知りたかった。
帝国海軍の艦は全て知っている。
母方の祖母に訊いたが、
「なんて船だったかね?」
あまり関心がなかった。
それよりも、祖母はよく言っていた。
「あの帝国海軍第一種軍装は、
どんなブ男でも、輝かせるんだよ」
「あの白い服は魔法だね」
「どんな娘もイチコロさ」
「天皇は金のウ〇コすると、
信じていた時代だ」
「皆、夢中になって、
海軍さんを追い掛けたもんだよ」
母方の祖母は、破天荒な人だった。
葬式にボーイフレンドが沢山来て、
会場が騒然とした記憶がある。
バブル前の思い出だ。
祖母は10代後半の頃の写真を、
後生大事に持っていた。
着物を着た若い娘が微笑んでいる。
色褪せていたが、フルカラーだ。
この時代、カラー写真はまずない。
自分で彩色したのかもしれない。
そして孫である少年に見せるのだ。
可愛いだろう。綺麗だろうと。
確かに美少女だった。
すでに40年以上昔の話だ。
祖母はやたらと一緒に、
お風呂に入りたがった。
「○○はいい男になるよ」
「……しくじったね」
「生まれる時代が合ってれば……」
とんでもない祖母だった。
世界は男と女と、常々言っていた。
戦争なんか、関係なかった。
実際、この人に戦争の影は一切ない。
だが太宰治と
心中するタイプの人じゃない。
明るいのだ。
そして自己中心的な人だった。
母親とは徹底的に合わなかった。
どこかピューリタン風だった母親は、
潔癖な処があって、祖母を嫌っていた。
母方の祖母と少年の母親は、
そもそも似てなかった。
母には霊感があり、
祖母には全くなかった。
ただ家系的には、
そういう人はいたらしい。
祖母から聞いている。
庭で栗拾いしている時だったか、
昔、巫女的な人がいて、
神降しをやっていたらしい。
そんな話を祖母から聞いた。
後年、神社でうっかり間違えて、
少年は神降しをやってしまうが、
御愛嬌だろう。ドンマイ。
まぁ、世の中、そういう事もある。
母方の家は古く、富農だった。
坂戸に桑畑を持ち、蚕を営んでいた。
苗字も、桑や蚕と関係がある。
藁ぶき屋根の家が本当にあった。
母は子供の頃、暮らしたらしい。
後年は普通の一軒家を建てた。
だが祖母は、
藁ぶき屋根の家が良かったようだ。
母と祖母は、仲は良くなかったが、
住む場所だけは気にしていた。
老人は棲み処を変えると早死にすると。
だが後年、意味深に感じるようになった。
少年は自分の母親から、
母方の祖父の話を、
一度も聞いた事がない。
少年も訊かなかったが、
母親からも一度もない。
祖母から直接、話を聞いただけだ。
少年から止むを得ず、訊いたのだ。
実は偽者のおじいちゃんはいた。
要するに母方の祖母の彼氏だ。
土建の社長だった。
面倒くさいので、
お互い話は合わせていた。
偽りの家族だった。
Spyファミリー?
そう言えば、
アーニャも霊感がある?
人の心が読める?
少年と似てなくもない。
母方の祖父の件だが、
もしかしたら、
あの戦死した祖父は、
違うのかもしれない。
あの海軍さんの遺影も、
カッコいいから飾ってあるだけで、
当時の祖母の彼氏の一人かもしれない。
本当の母方の祖父は、
いないかもしれない。
そう考えると、
母娘の不仲も説明が付く。
だが真相は闇の中だ。
気が付くと、
祖父の電話は終わっていた。
暫くぼんやりとしていた。
「誰と話していたの?」
少年は祖父に声をかけた。
「……昔の仲間だ」
祖父は思い出に浸りたいようだった。
「40年以上前の?」
祖父は初めて、少年を見た。
「……そうだ。40年以上前の話だ」
「戦争だよね。どこの部隊にいたの?」
「……昔、上海とフィリピンに征った」
祖父は曖昧に答えたが、
少年はすぐにピンと来た。
「近衛第2師団、スマトラ島……」
祖父は心底驚いていた。
自分の孫でもある小学生を見る。
「……なんで知っている?」
少年は第二次世界大戦に詳しかった。
すでに100冊近く読んでいる。
「戦史に書いてあるよ」
だとしても、一瞬で当てるのは尋常ではない。
「……あの戦争を知っているのか?」
祖父がそう言うと、少年は頷いた。
市立図書館には、分厚い資料があり、
図書館の中でなら、閲覧可能だ。
少年の頭の中では、すでに、
第二次世界大戦は立体化している。
「……ちょっと待っていろ」
祖父は何かを決意すると、何処かに行った。
それは三八式歩兵銃だった。
撃鉄は外してある。
だが弾倉ベルトもあり、実弾もある。
「安心しろ。銃刀法は許可されている」
そう言えば、
書斎に日本刀も飾ってあった。
持ってみると、
ずっしりとした重さがあった。
「そいつにオレの命を預けた」
祖父は弾倉ベルトも渡して来た。
「中国人も、アメリカ人も、
そいつで沢山、撃ち殺した」
少年は沈黙した。
本物だけが持つ、静かな迫力がある。
「日本はケチな国でな」
少年は銃を祖父に返した。
「弾を一発撃つ毎に報告していた」
祖父は三八式歩兵銃を構えた。
「上海に征った時はまだ良かった」
1937年の第二次上海事変だ。
「……朝香宮鳩彦王の護衛?」
祖父は呆れていた。
「そうだ。本当に何でも知っているな」
近衛は皇族を護衛する兵だ。
全国から選抜される。
エリート兵だ。
「学者にでもなるのか?」
「……いや、ならない」
少年はハッキリ答えた。
「御宮様を警護するからな。贅沢も許された」
祖父は上海に、カメラを持ち込んだと言う。
写真も見せてもらった。
1930年代の上海の街並みだ。
戦場の写真というより、観光写真だ。
だが瓦礫で崩れた街角の写真もあった。
「この頃は、まだそんなに戦わなかった」
上海事変は国民党が相手だ。
強くはない。
だが裏でナチス・ドイツが、
国民党を支援していた。
だから、第二次日独戦争とも言われた。
第一次世界大戦で、日独は戦っている。
1936年に日独は、防共協定を結んでいる。
だが実際の利害は複雑で、
大陸で代理戦争が起きていた。
「……八路軍とは戦わなかった?」
当時の言葉で、今の人民解放軍を指す。
「懐かしい言葉だな。久しぶりに聞いた」
祖父は何かを回想しているようだった。
「オレたちは八路軍とはやらなかった」
祖父の発音が、少し変わってきた。
「だが敵は皆、しょんべん弾を撃ってきた」
昔の兵隊言葉だ。
さしすせそが、ちゃんと発音できていない。
明らかに、祖父は若返っていた。
「……分隊支援火器、機関銃はなかった?」
「そんな上等なもん、こっちにはなかった」
祖父は言った。精々、迫撃砲とまりだと言う。
「とにかく、弾が途切れないんだ」
祖父は三八式歩兵銃で、
ダーッと撃つしぐさをした。
「しょんべんみたいに撃ってくる」
大違いだと祖父はぼやいた。
「……勝てると思った?」
「あの戦争にか?」
祖父が質問で返すと、少年は頷いた。
「それはよく分からないな」
急に祖父は現実に戻った。
「ただドイツがスターリンググラードで
ずっと止まっているのは見ていた」
当時の新聞で、内地でも外地でも、
ドイツの戦況は報じていた。
1942年の夏から1943年の冬だ。
「だがそのうち、報道しなくなった」
祖父は乾いた声で言った。
「具合が悪いんだろうと、皆言っていたよ」
当時の人達も、それで察したのだろう。
「だがオレたちはフィリピンに征った」
「……マッカーサーを追い出した戦いだね」
祖父は頷いた。
I shall returnで有名だ。
マニラ攻略だ。
この時は勝利した。
だが1944年10月20日に帰って来た。
米海軍はレイテ沖海戦に勝利した。
「オレたちは現地に留まり、
フィリピンを防衛した」
上陸した米軍は圧倒的だった。
組織的な抵抗は、すぐに瓦解したと言う。
「連絡が付かなくなり、指揮も崩壊した」
祖父の部隊は、山の中を転戦した。
「米軍の輜重隊を襲っていたんだ」
いつしか、祖父が部隊の指揮を執り、
完全な野盗集団になっていた。
「一人残らず、殺して、奪った」
後年、映画『ランボー』を見て、
祖父は「アレはオレだ」と言っていた。
また孤島で日本兵が見つかる度、
「アレもオレだ」と言っていた。
1945年9月2日に、戦艦ミズーリで、
連合国に降伏文書調印式をやっている。
正式に日本が降伏した日だ。
だが祖父は、
1946年の秋まで戦っていた。
フィリピンの山中は、
地獄の戦いだったと言う。
人間性を捨てた戦いだったようだ。
少年の母親は、
この祖父を嫌い抜いていた。
とにかく、
人殺しは恐ろしいと言う。
しかも金持ちで、
成金趣味ときている。
清教徒の血が騒ぐ?
少年の両親はともに、
この祖父を嫌い抜いていた。
だが祖父は言った。
お互い正々堂々と殺し合った。
悔いはない。男と男の戦いだと。
祖父の戦争が終わったのは、
米軍の山狩りだった。
ちょっと暴れ過ぎていたらしい。
日本軍の残党がいるという事で、
まとまった兵力が投入されて、
捕まった。
包囲されたので、
投降せざるを得なかった。
だが出て来たのは、
帝国陸軍の将校だった。
「信じられなかった」
祖父は言った。
日本は戦争に負けて、
とっくに終わっていると言われた。
部隊の解散式を無理やり挙行した。
「不思議なものでな。
アレでオレの戦争は終わった」
当時は日本軍の残党も多く、
各地で、陸軍の将校が残って、
部隊の解散式をやっていた。
これは効果がてきめんで、
殆どの兵が戦いを諦めた。
これも戦後の後始末だろう。
「復員船で聞いた話だがな」
祖父は言った。
「南方の孤島や山野で今も、
日本語が聞こえる事があるんだよ」
少年は何の事か、ピンときた。
「兵の姿は見えないが、
日本語だけ聞こえるらしい」
現地の人たちは、さぞかし、
気味悪がった事だろう。
「まだ仲間たちは、戦場に残っている」
祖父の声は真剣だった。
これは実際に戦った者しか言えない。
実際に聞こえた日本語は、
何なのか、分からない。
だが19世紀のナポレオン戦争で、
似た話がある。
モスクワ遠征で、失敗して、
かなりの数の落伍兵が出た。
彼らは物乞いにまでなり果て、
「S'il vous plait!」(お願い!)
とロシアの農奴たちに懇願した。
だが逆に殺されたりして、
無念の最期を遂げた。
彼らが通った後には、
「S'il vous plait!」(お願い!)
「S'il vous plait!」(お願い!)
と兵の姿が見えなくても、
フランス語だけ木霊した。
戦場で兵が無念に死ぬと、
その言葉だけ聞こえて来る。
不成仏霊だ。
ちなみに、ロシア語で、
この「S'il vous plait!」は、
この時、外来語として入った。
勿論、あまりいい意味ではない。
祖父は本土に帰還すると、
殆ど目が見えなくなっていたらしい。
栄養失調で、目をやられたのだ。
だからヤツメウナギを食べたそうだ。
とにかく、鰻を食べて、
視力を回復させたらしい。
この時期に、父方の祖母と結婚している。
幼馴染らしいが、よく分からない。
父方の祖母には、
申し訳ない思い出がある。
少年は親族の祝いの席で、
祖母の死期と病名を予言した。
全くの不意打ちだった。
皆、意味が分からない。
だが少年は、近所の友達が、
白血病で亡くなる事を経験しており、
死に敏感になっていた。
絶対に助からない死を感じ、
入院前の最後の遊び相手にも、
指名されて、最後の遊びをした。
少年は今でも鮮明に覚えている。
そして祖母に同じものを感じた。
だから少年の中では、論理性があった。
だが父方の祖母は孫の発言に、
かなり困惑していた。
仮にこの時点で、病院で検査して、
治療を開始しても、間に合わなかった。
肺がんだった。
ちなみにガンで死ぬと予告した。
一年後、的中してしまい、
それ以降、完全に鬼子扱いとなった。
少年の一族は、多分、
母方の血だろうと噂していた。
両親はこの件で、少年の側には、
決して立たなかった。
あくまでも本人の責任と言っていた。
感知しないという事だろう。
父方の祖母が亡くなり、お通夜の時、
布団に寝かされた祖母を少年は見ていた。
まだ肉体に魂が残っていた。
完全に死んではいない。
だが時間の問題だ。
48時間経った死後2日、
祖母の肉体から魂が抜けて、
ただの死体になっていた。
少年が母親を見ると、
母親は黙って頷き返した。
こういう処だけ、完全に一致した。
少年は親族の死を見ても、泣かなかった。
これは世間的に、よろしくなかった。
ますます鬼子扱いされる。
ただ少年の中で、論理があった。
どうせ人は生まれ変わるし、
転生輪廻している。
何を悲しむ事があるだろう?
母方の祖母の死でも、同じ態度を取り、
向こうの家でも、顰蹙を買った。
感情が壊れている子扱いだった。
そんな事はないが、この11歳、12歳頃が、
生きていて一番辛かった。
とにかく周囲とぶつかった。
感覚が違い過ぎた。
少年の父はマルクス主義者で、
左翼で無神論だ。霊感はない。
だからまるで理解できなかったようだ。
母は、霊感はあるが、自分の立場が、
不味くなる事は決してしない。
いつもだんまりを決め込んだ。
祖父は祖母の件で怒ったりしなかった。
ただ戦場で幾多の死を見てきたので、
独特の嗅覚は持っていた。
「死ぬ奴は臭いがするんだ」
後年、ヘミングウェイで、
全く同じ台詞を読む。
『A Farewell to Arms』?
『For Whom the Bell Tolls』?
覚えていない。
祖父の書斎には、美術品が展示されていた。
南宋、ヴェネツィア、イギリス……。
それは絵だったり、工芸品だったり、
様々だった。武器まで置いてあった。
父はそんな祖父を成金趣味と思ったのか、
「このブルジョアめ!」
と祖父を罵った事がある。
また少年がいとこたちと、
人生ゲームというボードゲームを、
祖父の家で楽しんでいたのだが、
突然、父がやって来て、
「こんなブルジョアな遊びはするな!」
と大声で叫んで、取り上げた。
母親も同感と思っていたのか、
この件で何も言わなかった。
少年の両親は、明らかに、
清貧の思想があった。
お金持ちは汚いと、
感じているようだった。
そういう意味では、
とても宗教的で、
キリスト教的だ。
だが二人とも、
その親の金で大学に行っている。
そこで出会って、結婚までしている。
少年はまた別で、お金はあっても、
困らないものと考えていた。
お金を汚いと思った事はない。
だが宗教の世界では、よくある話だ。
そしてマルクス主義も、
実は全く同じ発想だ。
資本家は汚いと言う。
お金持ちは汚いと言う。
だから労働者に立ち上がれと言う。
革命を起こして、千年王国を作れと言う。
マルクス主義と言っても、本質的には、
ユダヤの世界観をひっくり返しただけだ。
旧約聖書を換骨奪胎しただけだ。
共産主義が謳う地上の楽園とは、
ユダヤのミレニアムに他ならない。
だからマルクス主義は、邪教と言ってもいい。
ユダヤ・キリスト教を裏返した思想に過ぎない。
どちらもお金を嫌う。清貧の思想だ。
これを克服したのが、プロテスタンティズムだ。
勤勉貯蓄の思想が、清貧の思想に打ち勝った。
だから西洋社会は伸びた。
西洋社会では、プロテスタンティズムが、
ローマン・カトリックと共産主義を抑え込んで、
資本主義の精神を伸ばした。
だが今、
そのプロテスタンティズムも死にかけている。
LGBTQと移民にやられている。西洋の敗北だ。
日本は、江戸時代に、二宮尊徳が現われて、
プロテスタンティズムと同じ効果をもたらした。
だから脱亜入欧して、G7の一角にまでなった。
叔父や叔母も、父のブルジョア云々は、
大人気ないとかなり呆れていたし、
いとこのハーフの女の子は、
「まぁ、フランス語ね」と呟いた。
この頃、マルクス主義が全盛で、
大人たちは、ピケとかゲバとか、
様々な用語を口にしていた。
父の弟である叔父たちも、
「俺ら、ブルジョアの子だから、
いつかプロレタリアに革命されちゃう?」
とか冗談で言っていた。そんな時代だ。
少年は、このマルクス主義が気になり、
かなり早い段階で、調べ始めていた。
広辞苑や百科事典に眼を通した。
人生ゲームは、
マルクス主義によって、
台無しにされたが、
ハーフの女の子は、
気にしていなかった。
アメリカ人なので、
お金は大好きだ。
流石、資本主義の国か。
この子の父親は、アメリカ人で、
NASAのスペースシャトルの
メインエンジンの設計者だった。
チェコ系のアメリカ人だ。
検索すれば、出て来る。
チャレンジャーがぶっ飛んだ後、
責任を取らされたのかどうかは知らない。
彼女は、NASAで、プールを利用した
無重力状態を生み出す装置の体験を、
少年によく自慢していた。
だが少年は、別に、
うらやましいとは思わなかった。
後年、夢で宇宙に招待される事になるが。
ある時、少年は、祖父の館を歩いた。
階段から二階の書斎まで歩いた。
西洋の貴族の館のように、
赤いカーペットが敷いてある。
コンクリートで、少年の足に冷たい。
階段の途中から、工芸品が並ぶ。
少年は祖父の美術品の陳列を見て、
自分の考えを、祖父に伝えた。
「これは全部、お爺ちゃんの過去の人生だよ」
南宋→ヴェネツィア→イギリス。
「お爺ちゃんは全て商人として生きている」
「……ほう」
祖父は否定しなかった。そして言った。
「……イギリスは気になるんだ」
シルクハットとステッキを持つしぐさをした。
一瞬、船の上で、海を感じた。風を感じた。
「……大英帝国は沈まぬ太陽の……」
祖父がこういう話をするシーンはここしかない。
「……いや、全て昔の話だな」
祖父は最後まで言わなかった。
恥ずかしくなったのかも知れない。
祖父は戦争を生き抜き、
会社を立てて、一族を繁栄させた。
父からブルジョアと罵られたが、
その孫は一度だけ、二人の仲裁に入り、
「ブルジョアではない。シトワイアンだ」
と覚えたてのフランス語を口にした。
父は市民と意味が分かったが、
祖父は分からなかったようだ。
暑い夏の思い出だ。
少年の祖父の墓は、
今、どこにあるのか、
知らされていない。
だからお墓参りもできない。
だから代わりに、元少年は、
この私小説を捧げる。
大戦の鎮魂と共に。
こういう話は、
一生に一回しか、
書けないかもしれない。
今ある我々の平和は、
祖父の代の貴重な血で、
贖われている。
1945年の秋、
大量の赤とんぼが発生して、
空を覆い尽くしたと言う。
戦争と平和は遠いが、
また近づいて来ている。
あの夏が繰り返されない事を祈る。
1986年8月15日、祖父の思い出だ。
了
プロフィールに代えて 1/2 随想:読書生活の始まりについて
ポータル 大和の心、沖縄特攻