スタートレック:ピカード(S2)孤独を癒す時空を超えた旅だった
STAR TREK:PICARD Season.2を観終えました。
この記事は、ネタバレ(Spoiler)とか過剰に気にするような人には向かない内容です。
少し長くなりますが、ざっと導入部の概要のみまとめておきます。
イントロダクション
前シーズンでは、まさに年老いて惑星連邦とも対立してしまい隠居せざるを得ない状態に追いやられた老将ピカードの奮起の物語でした。
そこには老いや不治の病、死への恐怖といった普遍的なテーマで生命の意味を考えるようなエピソードが中心でした。
また、悲劇の別れとなったデータと「本当の別れ」をしっかり描くことも重要なテーマにあり、舞台は宇宙のあちこちで星を飛び回っていたように思います。
今シーズンでは、名誉と地位を回復し惑星連邦宇宙艦隊の大将(宇宙艦隊アカデミー総長)として復帰したピカードが、希望に溢れる若者達に期待を寄せる明るい出だしからドラマは急展開していきます。
過去に遭遇したボーグとは異質の謎のボーグ・クイーンが現れ、あれよあれよという間に危機的状況に陥り、気付けば「異常な日常」に支配された世界にいることに気付かされます。
そこはピカード達が知る時間軸にある地球とは異なる歴史を辿った、排外的で覇権主義を選択した地球人が歩んだという「選択されなかった未来」で、異種族を排除し弾圧的に宇宙を征服する地球連合が支配する2400年代だった。
なぜ歴史が歪められてしまったのかという暗く不穏な物語が始まります。
歴史が変わってしまった原因に「Q」が介在していることがわかります。
20数年ぶりにピカードの前に現れたQはかつてのような飄々とした雰囲気はなく切羽詰まった不穏な様子で、ピカードに厳しく当たります。
Qとの会話から歴史が分岐したタイミングを突き止め、正しい歴史に修復すれば未来は元通りになるのではないかと仮説が生まれ、ピカードや再会した仲間達はなんとか過去へと飛びます。
歴史の分岐点は2024年、ほぼ我々が暮らす現代です。
DS9「2024年暴動の夜」でも2024年は地球史の重要な分岐点となっていましたが、それだけではなかったようです。
2024年のロサンゼルスに到着した一行は、不法移民が厳しく取り締まられ荒れた社会を目の当たりにします。
排外的な地球人の歴史を歩むか歩まないかそういう瀬戸際とも考えられ、これは現在社会の風刺です。
ようやくここからドラマの本編が始まるといった感じでしょうか。
今シーズンでは、変貌してしまった歴史の謎を解き修復するといったテーマで2024年の地球に縛られるかたちで進行し、前シーズンとは一転して星を飛び回ったり宇宙に飛び出すのは限定的です。
過去の地球ではピカード家やお馴染みの人物の先祖、懐かしい顔が登場します。
そしてお馴染みの人物が2024年代の異なる人物を演じていたり、過去の作品に登場した人達が別なキーとなる役を演じていたり、カメオに近いゲストも著名な人が現れたりします。
スタートレックの歴史を理解していないとわからないことだらけでしょう。
逆によく知っているほど設定の疑問や矛盾に気付くかも知れませんが、実はすべてそれらが解決できるように矛盾しない説明が公式PRなども通じて発信されています。
むしろいままでモヤッとしていた設定が正確に言及されるといった方が正しいのかも知れません。
そこにはジャン=リュック・ピカードの父モーリスと母イヴェットがどんな人であったのかも含まれ、ジャン=リュックの心の成長と前に進むための重要なエピソードとして描かれています。
トラベラー/ウォッチャーという呼称で過去の作品にも登場した、歴史の分岐点となり得る人を見守る役目の人が今回も登場し、そこに意味を持ちます。
表面的な解釈ではピカードの先祖を見守る人物を指しますが、それとは別にまったく別な人がジャン=リュック・ピカードを見守っていたことも描かれます。
テーマは「わかれと孤独の癒し」
今回の物語の本当のテーマは「孤独の癒し」かも知れません。
90歳を過ぎでも本当の恋愛ができず最愛の人と結ばれることなく過ごし同時に親族も失っており、結局は孤独な老人となってしまったピカード。
ずっと何ともいえない孤独を抱えて生きてきたアニカ・ハンセン/セブンオブナイン。
どこにいても居心地が悪い孤独を感じ自信が持てないアグネス・ジュラティ。
そして、機械と融合することで途方も長い年月を生き様々な種族を同化してもなお満たされず孤独に苛まれていたボーグ・クイーン。
そしてそして、全知全能で不死にも近い永遠の存在であるQが永い時を生きた末に抱いた孤独。
その他にも脇役となる人がそれぞれの孤独を抱いています。
それぞれの人々が、誰かと自分と逃げずに向き合うことでこの孤独から解放され前に進めるのだということが繰り返し描かれます。
それは最後の最後まで描かれることになります。
対立し排除するのではなくお互いに信じて受け入れること
過去に目を向け過去の出来事と正しく対峙しそれを受け入れること
運命に導かれた死には抗えない、むしろ変えてはいけないこと
救えない命があってもそれにも意味があり、責任を感じずありのまま受け入れること
他人だけではなく自分を許すこと
時は二度目のチャンスを与えないが、人間は何度でもやり直せること
これが重要なテーマとして全10話の「鍵」になっています。
同時に歴史を正しいかたちに修復し、さらには未来に生まれる脅威を防ぐためのピースともなっています。
最終的にそれぞれの人々の孤独の癒しにも繋がります。
また、作中では様々なかたちで「わかれ」が描かれます。
このわかれにもすべて意味があり、悲しいだけ寂しいだけでなく前に向かって生きるためのきっかけとなっています。
今回、断片的にそれぞれの人々のエピソードが描写されていくためとっ散らかった印象は拭えませんが、最終の2話にかけてすべてが収束します。
悪戯の域を超えてしまったQの歴史への介入とピカードに執着し今シーズンでは厳しく当たっていた理由も明らかになり、これまで恐ろしい存在として描かれていたボーグ・クイーンの内面に触れるだけでなく彼女なりの葛藤や挑戦も描かれます。
「Q」
Qはずっと未熟な人類へのテスト(裁判)と称してピカードを厄介ごとに巻き込んでは彼の人生を振りまわし宇宙存亡の危機に立たせたりして執着してきました。今回はその執着が異常沸点に達した様相です。
その執着の理由、そして全シリーズを通してQはピカードに単に意地悪をしていたわけではなく、ピカード自身の行動が宇宙史に重大な影響を与えるとてつもない分岐点になることを知っていたので、彼が分岐点に辿り着くたびに試練を与えて内面の進化を促しつつ、その先の分岐を克服するために必要なヒントを預けていたようです。
そうすることでQなりの方法で全能者として「妥当なタイムライン」を維持しようとしていたとも考えられます。
毎回のように謎かけをして理由や答えを直接言わなかったのは、全能者としての立場とピカードの成長のためだったのでしょう。
それだけでなくピカードを本当に気に入っていたから彼の孤独を憂いていたようです。
Qは永遠に近い存在として終わりを迎えようとしていました。
Q連続体が死ぬことは一般的ではないですが次の段階に進むための変化として死は存在していて、今回そういう境地に至ったようです。
永遠の孤独を知るQだから、孤独な最後を迎えるという「恐怖やむなしさやあらゆる感情」を知っていて、人生の終焉に向かう孤独なピカードに同情したのでしょう。
死が迫るQに猶予はなく、乱暴なやり方でしかピカードを導き未来とピカード自身の両方を救う方法がなかったからこそ冒頭の厳しい当たりになったと解釈できます。
実はQがピカードを見守る存在だったことがわかります。
ピカードは自分にとってQが/Qにとって自分がどのような存在だったかを悟り、今度はひとり死の旅に向かうQの孤独を癒やします。
Qとピカードの別れについての深掘りはこちらの記事で書いています↓
「ボーグ・クイーン」
機械と融合しあらゆる種族を同化し冷酷な存在として描かれてきたボーグ・クイーンの内面も詳細に描かれます。
機械的な合理性の集合体で情緒に乏しいと思われていたクイーンに、実際には情緒があり葛藤があり「モンスター」ではないことが明らかになります。
人間の女性的な感覚やある種のユーモアも持ち合わせていて、ボーグの存在と秩序を守る責任を一身に負った極めて真面目で滅私の人物ともいえそうです。
完全なネタバレになるので避けますが「より良い共存のあり方」に関心を持ったクイーンはその実現を決意して「生き方」を変えるチャレンジをします。
ボーグ・クイーンは時空を超えてそれぞれの記憶や知識を共有でき、未来の出来事も予測できるためQと同じように歴史の線上に何が起こるか気付いています。
遠い未来の危機を回避するため彼女なりにあらゆる方法や手段を考え、その準備には2024年から400年かけています。
長命だから可能な挑戦ですが、同時に「より良い共存のあり方」に答えを出すにはそれだけの時間が必要だったということにもなります。
歴史が修復された2400年代では、400年を費やし技術的にも精神的にも進化したボーグとなっています。
物語の冒頭で登場したボーグ・クイーンの目的がそこで判明します。
彼女はボーグの存続だけでなく、友人達の存続や共存を願って400年を費やしてきたことになります。
まとめ
STAR TREK:PICARD Season.2では、真に自分と対峙し孤独を克服することや素直にありのままを受け入れることで他者を思い遣る力を得られる教訓話として描かれています。
非常に道徳的なSF寓話です。
これを普通に説いたところで単なるお説教ですが、こうしてたとえ話にすることで道徳観や倫理観の危機に瀕している全米に届けようとしたことがよくわかります。
未来の宇宙SFドラマなのにも関わらず、2024年のほぼ現代を舞台におおよそSFっぽくない格好の人々が物語を展開します。
このセンシティブな話題を通常の宇宙枠でやってもシリアスに伝わらないので、あえて現代に日常の少し未来を舞台にしたのでしょう。
異民族との共存も孤独から踏まれる不幸も現実的な問題です。
パンデミックで狂った世界と戦争という異常事態のいまだから意味を持っているようにも思えます。
撮影の舞台裏
ちなみにロサンゼルスの現代劇、断片的な人物描写という構成はパンデミック下で再開した当初時期の撮影だからという点も考慮されるべきでしょう。
密閉されていない外ロケーションを多用すること、数人の登場人物ごとのパートに分け全キャストが揃わないようにすることで安全確保をしていたわけです。
同時にそのような舞台にすればいつもの重厚な特殊メイクをした異星人を登場させずに済みます。
特殊メイクには膨大な時間がかかり撮影の遅れを深刻化させるためこれを省くことが重要でもあったようです。
そのためボーグ・クイーンを演じたアニー・ワーシング以外は簡単なポイントメイクだけでフルメイクはしていません。
その関係でアニーのみ朝方からメイクのため現場入りし、別撮りが多かったようです。
放映前イベントでパトリック・スチュワートが初めてメイクしていないアニーを見て「びっくりした」と笑い話にすらなっていました。
今回のボーグ・クイーンは難しい役どころであるため、演技力があり「人間とは違う感性のもと真面目で思惑を抱えながら対立するけど結果として助けになる」を演じられる彼女でよかったように思えます。
他の人気ドラマでも「真面目」「対立する」「でも重要な」人物をよく演じている印象がある。
また、アニーはそばかすが個性の俳優で本作でもそばかすを消すことなく出演しています。初のそばかすがあるボーグ・クイーンで、異質なクイーンとしてもよかったのではないかと思います。
これは「俳優の個性を尊重する」という多様性を優先した判断で、従来のハリウッドではそばかすはノイズでしたが今回はそうではありません。
トリビアとして、STAR TREK:ENTERPRISEにこのボーグ・クイーンよく似た女性リアナ(アニーが演じている)が登場しますが「よく似た別人」だそうです。
全般的に本当によく考えられて最善を尽くされていると感じました。
これから観るという方は、どうぞ最後まで楽しんでください。そして、たくさん考えてみてください。
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