誰もが必ずもっている
今年も河津桜が咲きはじめている。
11年前、世界中が日本に思いをよせ、祈りを送ってくれた。
世界はこんなにも優しさに満ち溢れていたのだと初めて知った。
それと同時に失って初めてほんとうは何が大切であったのかに気づかされる。私たちにはあまりにも愚かな一面があることも知った。
あの日、被災された方々はお互いに助け合い
僅かな物資を分かち合ったという。
自分ではない誰かのために。
自らが想像だにしなかった極限の状況下にあってなお
他を助けようとする思いがあるのだと教えられた。
それが私たちの奥底に埋め込まれているもの、
ひととしての本来の有り様なのだと思う。
誰もが持っているもの
それを愛というのだろう。
他を慈しむ思い、生かしたいという思い。
分かち合い、そして赦し合う思い。
誰が正しくて、誰が間違っているという善悪の議論でお互いにののしり合うのなら、これが新たな争いとなっていつまでもいつまでも決着はできないだろう。どこかにまた火種はくすぶりつづけていくに違いない。
国境は人間が勝手に地球の上にひいた線にすぎない。
大自然はそんな線に関係なく
お互いがお互いを生かし合いそれぞれの種を育み循環しながら、ともに地球に生きるということはこういう事なのだよと見せてくれている。
今週一週間は、私はウクライナへ向けて祈りを送ろうと決めていた。
だから今日の投稿も書いていこう。
命の奪い合いをさせるために子どもたちをこの世に送り出した母親はいない。
誰もが愛され幸せになるために生まれてきている。
もう誰の命も奪われることのない地球にしていこう。
奪い合いの先に幸せはない。
誰もが持っている愛の思いに灯をともし
それを高らかに掲げていこう。
あの日、命の尊さを教えてくれた皆さまへ。
11年後の3月11日にあらためて愛と感謝の思いを送ります。
この世界に愛と平和にみちあふれた日がきっとくると信じて。