『20世紀論争史―現代思想の源泉』ノート
高橋昌一郎著
光文社新書
この本は、ある大学の教授と助手が研究室でコーヒーについての蘊蓄を語り合い、味わいながら、20世紀における主要な現代思想や哲学における対立点、科学分野における論点さらには社会学的観点からの様々な問題を取り上げて対話する形式で書かれている。読んでいると、大学の教養課程での教室の空気を思い出した。
この著作で取り上げられている根源的な問題については、もはや「科学」や「哲学」などの分野の垣根を越えて扱わなければならないテーマばかりだ。
テーマは、「20世紀とは何か?」に始まり、「時間」「直観」「言語」「実証」「論理」「数学」「理性」「対象」「実在」「認識」「本質」などの哲学的テーマと、「ET」「宇宙」「生命」「進化」「増殖」などの科学的テーマ、そして「意志」「習得」「公平」「未来」「責任」など人間存在や社会の在り方に関わる幅広いテーマが30章にわたって取り上げられている。
「直観とは何か?」の章では、〝時間〟を哲学の中心に据えたベルクソンと、ベルクソンの時間論は〝客観〟と〝主観〟を同一視していると徹底的に批判したラッセルの論争が面白い。
「実証とは何か?」では、過去の〝哲学的問題〟は〝言語的問題〟にすぎないとして、「すべての哲学的問題に最終的な解決を与えた」とするウィトゲンシュタインと、その考えを徹底的に批判したポパー。この二人は直接的に大激論を交わしたことがあるそうだ。
そのほか、「対象とは何か?」では、ゲーデル対フォン・ノイマン、「機械とは何か?」ではチューリング対ウィーナー、「進化とは何か?」では利己的遺伝子で有名なドーキンスと、ドーキンスの「漸進的進化論」を批判し、「断続平衡説」を唱えたグールドなど個人間における興味深い論争が取り上げられている。
また「宇宙とは何か?」では、〝強い人間原理〟と〝弱い人間原理〟の対立など哲学思想的な対立も取り上げられている。
いずれもいつ決着がつくのかわからないテーマばかりであるが、このような論争を繰り広げてきた〝人間〟という生き物の飽くなき好奇心そして探究心に驚くばかりだ。(カゲの声:よくこんなややこしくて面倒なばかり考えているやつがいるなぁ……)
私が特に興味を引かれたのが「意志とは何か?」の章である。ここではショーペンハウアーから大きな影響を受けたドイツの哲学者のエドゥアルト・フォン・ハルトマンだ。彼の『無意識の哲学』は次のように主張する。
人間は無意識に支配されており、それが〈三つの幻想〉を人間に抱かせると考えた。それらは、①人間は現世で幸福になる、②人間は来世で幸福になる、③科学の発展によって少なくとも人間世界は改善されている、というものだ。
ハルトマンはこれら三つの欲望が幻想にすぎないということを示すために徹底的な批判を展開した。特に人類が最も成功を成し遂げたローマ帝国の崩壊の悲惨な結果や、科学がもたらす大量破壊兵器が今後どれだけの人間を殺戮し、地球環境にダメージを与えるか、などを例に挙げる。
ハルトマンはそこからさらに自説を展開する。科学を発展させて、宇宙が二度と生命を生み出したりしないように、絶対的に宇宙そのものを消滅させるべきだと結論する。「存在の悲劇」が二度と繰り返されないように、人類は進化して、宇宙を永遠に消滅させなければならないというのだ。
論理の飛躍もあり、皮肉に満ち荒唐無稽に思える論旨であるが、彼の哲学の行く末は『反出生主義』に通じるものだろう。彼は心の底からそう思っていたのであろうか。