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諦めたものを取り戻す場所
なんとなく人生には流れというものがあって、偶然に見える重なりが道を作っていくのだと思う。それを体感したので、最近の出来事を感じたままに書いてみる。
心に残った言葉
最近、ドラマを観るのが楽しい。私は長らく海外に住んでおり、日本のドラマをリアルタイムで追うことはなかった。配信サービスが始まってからは、好きな俳優さんや脚本家さんが関わるドラマを年に2、3本観るぐらい。
しかし、いまは日本にいるので、その時間にチャンネルさえ合わせればドラマが流れる。なんと素晴らしいのだろう。
2024年の秋クール。観ているのは「宙わたる教室」「ライオンの隠れ家」「海に眠るダイヤモンド」。ここで恋愛系が一切入ってこないのが自分らしい。恋愛を主題に描くのではなく、物語の一要素でまぶしてある程度がお好みである。
中でも、一番ハマっているのが「宙わたる教室」だ。たいへん良すぎて、友人に会うと熱心に布教している。
<あらすじ>
東京・新宿にある定時制高校。年齢もバックグラウンドもバラバラな生徒たちのもとに、謎めいた理科教師の藤竹(窪田正孝)が赴任してくる。彼は世界的にも著名な科学者であり、なぜ定時制で教師を始めたのか誰も分からない。藤竹の目的とは…?
このドラマの魅力を語り出したら10000文字ぐらいになるので、詳細は別の投稿に譲るが。舞台は定時制高校。視聴者を引き込むべく重要な第一話で、教師の藤竹が悩める不良生徒に言った言葉が、ずっと心に残っている。
「ここは、諦めたものを取り戻す場所ですよ」
この言葉はドラマの主題とも言えるので、物語全般に根付いている。藤竹の助言により困難を抱えた生徒たちが前を向くたび、自分自身にも問いかけられている気がしてくるのだ。
諦めるという言葉は、感情に属するのか、行動に属するのか。私は何を諦めてきたんだっけ。諦める前に、自分には無理なのだと最初から望みもしなかったこともきっとあるだろう。自分とは違う世界のことだと、無意識レベルで。
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ドラマを観る仕事
そんな趣味=ドラマになりつつある中、私は仕事でもドラマを観ている。何を作っているのかよくわからないけど「Webディレクター」と職種に書いてあったので応募したら、ご縁をいただき採用。蓋を開けてみると、タスクの一つが「ドラマを観る」だったのだ。
私の主務はストーリーを追って文章化することだから、考察はいらない。前に音楽の考察記事を何度か書いたことがあるが、かなり大変な作業だった(めちゃくちゃ楽しいのだけど)。今回の仕事で、単に話を追うだけなら意外とさくさくいけると気付いた。余計な感情を入れないせいか、フラットに見れて勉強になることが多い。
例えば、ここで謎を提示して視聴者を引き込むのか、ここらへんで「転」の展開がくるのか、などなど。ただ筋書きを追えばいいのに、つい深読みしてしまう性質は変わらないのだけど、物語の面白さや作り手の想いに触れて、ピュアに感心している。
noteの勉強会
そんなわけで公私共にドラマの影響を受けている最近は「物作りってやっぱり素敵だなぁ」という心境にあった。そんなとき、目に飛び込んできたのが、みずのけいすけさんが主催する「書けるようになるnote勉強会2024」だった。
みずのさんのnoteで拝見し、開催場所もよく知っている施設だから「おぉ」とは思ったのだけど、即決はできなかった。noteの勉強会だと、当然ながら「noteを書きたい!」と意欲的な人が集うはず。たぶん気後れしてしまうと思ったからだ。
もうずっと、かれこれ一年以上、言葉が喉につっかえるような気持ちを抱いていた。言語化したい思いはどんどん内側に溜まっていく。なのに、それを形にする気力がどうしても湧かない。
そんな私が参加しても、空気を澱ませるばかりで良くないのではないか。温度差を感じてますます心を閉じるんじゃないか。でも、きっとそんな自分のままではいたくないのだ。だから、ギリギリ数日前に、勉強会参加の申し込みボタンをポチッと押した。
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いちど諦めたもの
うんと昔、noteを始めた5年前ぐらいに、みずのさんとお話させてもらったことがある。みずのさんは、書くことについて「人柄ごと愛されたほうがいい」と仰っていて、その教えが温かく印象的だった。
そして、今回の勉強会でも同じことを参加者さんたちに伝えていた。それが本心であるかを裏付けるように、みずのさんは本当にその人の書きたいものを、そしてその人自身を、まるごと受けとめている。
勉強会は、たくさんのヒントあり、手を動かすワークあり、質疑応答ありで、あっという間だった。二次会に行き、参加者さんたちと交流させてもらう中で、こんなにも「書きたい人」がいるのだと驚いた。あと、みんなめっちゃ元気だ。はじめましての方ばかりで、たくさん刺激を受けた。
二次会が終わり、三次会へと続きそうな余韻の輪を抜け、帰り道を歩き出した。
冷たい12月の空気。2024年の終わり。私はおそらく、言葉を楽しむことを長らく諦めていた。紡ぐ楽しさよりも、受けるしんどさのほうが上回っていたからだ。
リアルが遮断された疫病以降、オンラインの世界にはより一層尖った言葉が行き交うようになった。攻撃の対象とはならなくとも、流れ弾だって傷にはなる。実生活でも、思うように伝わらない場面の積み重ねで、疲弊していた。
だけど、noteの勉強会で、二次会の交流で、その澱みが薄まっていくのを感じた。
書くって、作るって、やっぱり楽しいのかも。
諦めたものを取り戻してみよう。書きたいことが強くあるわけじゃないし、私に一つの道を極める根気はないけど、音楽を聴けば歌詞に惹かれ、ドラマを観ると台詞が気になり、ブログ、note、英語と、ずっと言葉の周りで遊んできたんだ。
そうやって、心が赴くままただ素直に楽しんでみる。それも悪くない人生だと、夜道を歩きながら思った。
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