不快な年末
めっちゃ不快なんですけど。
有名人のセクシャリティー絡みのニュースってそんなに需要があって面白いものなのかね?
それを不快と感じているのは私だけでしょうか。
性欲はほとんどの人が持っている人間のデフォルト機能。
だけど性的嗜好は人それぞれ。
スタンダードだと思われている同年代の男女間だけでなく、年齢性別人種問わず、様々な嗜好がこの世には存在する。最近では2次元の存在に性欲を感じる、なんて人もいるらしい。
そしてそれは好きな食べ物や好きな色などと同じく、社会的な地位や立場に関係なく本能的に好きなもの、なのだ。
個人のセクシャリティーに関する内情を世間に暴露することに何の意味があるのだろうか。
例えば両親の性的嗜好を近所のおばさんが子供に話したら、どんな気持ちになるだろう。私は不快だ。
家という空間の中で、壁一枚隔てた先で両親が何をしているのか、それを知ったところで子供に何の有益がもたらされると言うのだろう。
たまたま見てしまった、知ってしまった、というシチュエーションと、近所のおばさんに教えられたというシチュエーションでは全く違う。
もちろん大前提に、被害にあわれた方は加害者がどんな立場の人だとしても泣き寝入りをしてはいけない。正しい方法で訴えて罪の重さを相手に認めさせる必要がある。
もし和解が成立せずに裁判になったりしたら、証拠として思い出したくもない苦くトラウマにすらなっている記憶を公に証言しなければならないだろう。だけど裁判で公にされる性的加害を受けた詳しい証言は、誰かが見ようと思って検索しなければ表に出てこない。
不特定多数の人が開いたパソコンの画面にその他のニュースと一緒に飛び出してくるようなものではない。
政治や社会問題の記事に紛れて、衝撃的でキャッチーな見出しをつけられたそんな記事を目にする度にため息が洩れる。
不快だ。
私たちはこの社会の中で生きている限り、法律や秩序を守らなければならないし、他人を傷つけてはならない。だからもし誰かの性的嗜好のせいで傷ついてしまった人がいるのなら、それは訴えるべきであり、加害者は法的にその罪を背負い償わなければならない。
でもだからと言って法的な判断が下される前に世間一般に広めてあーだこーだとよく知りもしない人たちが議論するようなものではない、と私は思う。
前にも書いたけど、罪を犯す人が皆100%極悪非道な人間だとは限らない。罪を犯した人間は人格や社会的立場を貶められて当然の報いだ、と思っている人の方がよっぽど非道だ。
被害を受けた人が雑誌やメディアに頼らずとも直接訴えることは出来ないのだろうか?メディアで大々的に取り上げて大ごとにしないと誰も取り合ってくれないのだろうか?
それはそれで大きな問題だが、かと言って、ギリ18禁とも思えるような内容の記事を世間に垂れ流すっていかがなもの?
トラブルがあった事実を報道するのは構わない。報道の自由だ。
だがツラツラネチネチと詳細を書きつづる必要はあるのだろうか。
そしてそれを見て聞いた人はどう感じているのだろう。有益な情報だと思うのか、はたまた悪人リストに加害者の名前を刻み込んで社会からその人を抹消する活動でも始めるのか。
まったくもうつくづく不快だ。