愛着トラウマの外側に来た寂しさについて
夜、心が痛むような痺れるような時がある。
例えば、家の近くの路地にある焼き肉屋を通る時。窓から、テーブルを囲む家族が見える。
私の家族も、こんなふうに誰かの目に映ったことはあっただろうか。
私は家族が欲しかった。厳密に言うと、愛情と心からの関心と向き合いが欲しかった。
けれど、愛情を通わせるというのがどういう事なのか知らなくて、家族の形だけを保持することに固執してしまった。どんなに虐げられても、向き合ってもらえなくても、私は家族の一員としての役割をずっと続けていた。
本当に欲しかったものは形ではないと気付かないでいた私は、パートナーとも、一番大切なものが欠けた関係をつくり、尽力してそれを保っていた。
最後に付き合った人が、別れようと言った時の言葉。
「僕たちは、楽しいことは一緒にできるけれど、何かあった時に思いやれる相手じゃないんだと思う。」
私はこの言葉を聞いて、怒りがわいたのを覚えている。私はずっと頑張っていたのに、努力していたのに、と。
今では、その意味がわかる。私達は、自然に溢れる慈愛や思いやりに欠けていて、私の努力は、付き合いの間、彼の心をわかろうとすることに使われず、ただ二人の関係のその形を保つ為に費やされていた。彼の興味や心の内側と会話をせず、顔色を見ながら「満足」を与える事が多かった。
軽い友達ならそれで良くても、たったひとりのパートナーがそれでは、人生は寂しく惨めなものになってしまう。
愛着障害という言葉、後天的なコンディションに「障害」とつけるのはどうなのと思ったりしたけれど、やはり正しいのかもしれない。
どうにかして、一緒に生きていかなくてはならないものだから。障害、が正しい気がしてきた。
トラウマケアにかかる前、私は相手の関心を全身全霊で引いた。パートナーがいた時は、自分の生活そっちのけで、彼の人生のタスクに関わった。驚くほどの気力と体力だった。
愛着トラウマからくる焦燥感や恐怖が、原動力の多くを占めていたのだと思う。自分を有用にして認められたかったし、感心させたかったし、感謝されたかったし、それで愛されると勘違いをしていた。
時々、時間が巻き戻せたらどんなに良いだろうと思う。過去に戻り、自分自身についたすべての嘘をつくのをやめて、やり直すことができたなら。
完全に一人になってから三年。
もう、家族を持つことが完全に現実から切り離された。かつての世界との隔たり。
今の年齢になる前から、私は子供ができないと知っていた。
私自身がずっと、のどから手が出るほど家族が欲しかったから、チャンスがあるなら皆んな家族を持ってもらいたいと思っている。だからもう、未婚の男性と付き合いたいと思えない。死別したという男性と出逢ったことがあるけれど、それは少々私には重すぎた。一周まわって、ひとりで生きるのが最適解のような気がしている。
残りの時間、「何が残されているだろう」と考えて、また受け身でいる自分に気付く。
何をしたいのと心に問いかけても、何も返ってこない。本当はわかっているのだと思う。見えてこないし聞こえてこないのは、また傷付くのを恐れているのだと思う。
「淋しい」と「怖い」の狭間。
かつて向上心だと思っていたものは、不安と焦燥感だった。追われるように生きてきて、自分がすっかりわからなくなった。