雑音が気にならなくなった話
過去を振り返り、合わない人や悪意を向けて来る人から離れればいいとか、気分がのらない頼まれごとは断ればいい、といったような簡単な事が、どうして出来なかったのだろう、と考えた。
そして、被支配の構造を作るのに、そんな自らの行動で、率先して貢献していたのだと気付いた。
先日、規模の極めて小さな音楽活動をしているある女性から、頼み事?をカジュアルにされた時のこと。「写真やってるんでしょ?今度、アー写(アーティストプロフィール用の写真)撮ってくれないかな??」
私の写真はコマーシャルなものではなく、また、昨今値上がりし続けるフイルムで撮っている。(デジカメは持っていません) まして、アー写やライブ写真など、全く興味がない。ただちに、「私多分、人の為に撮る事出来ないと思う。」と伝え、そして、そういった写真をデジカメで撮ってくれる、商業カメラマンの存在を伝えた。すると彼女は、「いや、あの、そんな大袈裟な事じゃないんだ、わかった大丈夫!」と言い、その一件はその場で終了した。あわよくば、無償でささっと撮ってもらいたいという、気軽な思いで頼って来たのだと思う。
これ自体、全く大した内容ではない。ただ、過去の私は、こうやって、さらっと流す事が出来なかった。「今までお世話になったし……」「期待しているみたいだし……」と断るのに難儀したり、請け負ってしまった後で後悔したり、どうしてもやりたくなくて連絡を絶ったりしていた。よって、軽くとも重くとも、頼って来る人(人類のほぼ全て)に、苦手意識を持っていた。
断る、別のオプションを提示する、という技(というより多分、普通の対応)が出来るようになると、頼んでくる人を苦手に思ったり、恨んだりしなくて済む。なんて画期的なのだろう。(激しい拒絶を伴わず)普通に断る、という選択肢が私にないという妄想に、深いところで囚われていたんだな、と気付く。
そして、似た原因で、私のやりたい事や欲しい者を、全否定してくる母や「友達」についても、「皆んな違った意見が有るのだから、それに長年お世話になったし、こんな事で離れるのは良くない気がする……」と自分に言い訳をしながら、苦しい関係を続けていた。長くなればなるほど、その関係の在り方は、固定化された。
この元「友達」は、私がまた写真を勉強したいと告げた時、「へぇ?でも、写真て、才能ある人はひと握りでしょ?やっても意味無いんじゃない?」と言ってきた。当時は、全てこの調子だった。(こういう家電が欲しいと言えば、「あ〜、要らないな〜」というふうに) 他のどうでも良いことについては聞き流したが、写真についてだけは、考えを伝えた。「才能有るとは思ってないけど、写真撮ったり焼いたりすると癒されるし、続けていきたいと思ってる。」と返した時の彼女の顔を、よく覚えている。顔を真っ赤にし、攻撃性を皮膚の下に隠していた。彼女は、「へえ……」とだけ、発音した。
幼少期から、母親も同じだった。何かを始めたいと告げると、いつも、「そんな事して一体、何になるって言うの?」と言い、いつも話は終わった。
この上なく単純な話。離れれば良かった。ポジティブな環境に、私を連れていってあげれば良かった。もしくは、その環境を、作り出してあげれば良かった。幼少期ならともかく、大人の私は、とっくにそれが出来るはずだった。
あれ程苦しめられた「雑音」が、全く気にならなくなった。掻き消されることなく、心の声が聞こえるようになった。好き、嫌い、楽しい、興味ある、見たくない、行きたくない、素敵、もっと聴きたい、等等。言葉だったり、心の中の明るさや色や温度で、気持ちや考えがすぐ分かるようになった。
ここまで辿り着くのに、なんと長かったことか……