エルカミーノのはなし。
一歩踏み出したおぼつかない足元が、ぬかるみでずるりと滑る。酸素を、酸素をもっとくれ、と欲しがる喉と肺が呼吸を荒くする。
ちょうど一年前のこの日、わたしは背中と肩にのしかかるバックパックの重さにひいひい言いながら、9時間かけてフランスのピレネー山脈を越えていた。しかも雨の中。
と言ったらえっ!?何それいきなり?となるかも知れないが、ちょうど一年前の今日5月10日、(日本は11日ですね。)スペインの巡礼地、エル・カミーノ・サンティアゴの約800キロの距離を、ムーミン谷のスナフキン(憧れの人)よろしくバックパックを背負って歩き始めたのである。
これを読んで下さってる方の中にはカミーノの事を知ってる、という方もいらっしゃるかもしれないが、ざざっとどんな場所か説明させて頂くと
エル・カミーノ・サンティアゴ・デ・コンポステラ キリストの使徒の一人であった聖人ヤコブの遺骸が眠るとされている『サンティアゴ・デ・コンポステーラ(サンティアゴ大聖堂)』を最終地点としてそこまで伸びる巡礼路のことで、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の3大巡礼地の一つ。中世より王族、貴族、聖人君主から宗教家、哲学者や村人、罪人に到るまで、多くの人が救いを求めて歩いた道で、長い長い歴史がある所。(カミーノはスペイン語で『道』の意味)サンティアゴまで向かうルートは一つではなく、フランスのサン=ジャン=ピエ=ド=ポーから出発する「フランス人の道」やポルトガルからスペインへ入る「ポルトガルの道」、アップダウンの多い「北の道」、南スペインのセビリアから歩く「銀の道」など、そこに至るルートは多岐に渡る。※巡礼路は徒歩以外にも自転車、馬やロバで巡礼する方法もある。
こんな場所である。私は「フランス人の道」というルートを選んで歩いた。ここは巡礼者にもっとも歩かれているルートで、アルベルゲと言われる巡礼者宿も他のルートより数多く、(その日の宿が取れない=5〜10キロ離れた次の街まで徒歩というカミーノの絶対法則)世界遺産をはじめ歴史的・美術的見所もたくさんあり、道標もしっかり整備されている(巡礼路は黄色の矢印をひたすら頼りに進むので、道標がないとあっさり道に迷う)。初めてカミーノに歩く私にはぴったりだと思った。
カミーノを歩く理由は人それぞれで、中世の時代からずっとそうであったように、宗教的な理由から歩く人もいるし、愛する人を無くした悲しみや喪失感と向き合うために歩く人、歩くという行為に何らかの意義を見出して歩く人、スポーツやレジャー目的で歩く人もいれば、純粋に旅がしたくて歩く人もいる。どんな理由で歩こうが、カミーノを歩き始めた時点で誰もが巡礼者、ペレグリーノ、ペレグリーナになり、カミーノは自分が進むべき道になる。わたしは旅好きで放浪したい人間なので、カミーノの事を知って惹かれない理由はなかった。
人生のある一時期、私はどうも苦行的なものを好む傾向があった。
もう随分前の事なので今は絶対にしないしやりたいと思わなくなったが、バンジージャンプをエイヤっとした事もあったし、何か「度胸がいるもの」「人がえっと驚くようなもの」ばかりを好んでやりたがる傾向があった時期がある。そんなに必死になって、私は一体何を証明したかったのであろうか。
このカミーノを歩いた理由がそれだったとは思わないが、周りの人々に「スペイン行って800キロ歩いてくる」と言ったら「いいじゃんそれ!」という声と、「私は絶対にそんな距離歩きたくない」「そもそもなんでそんなに歩きたいの?」という疑問にも似た声もいくつか上がった。わたしからしたら、
生活に必要なものを全てバックパックに詰め込み、行ったことのない町や村々を日々訪れ、基本その日の宿はその日に決める。移動は徒歩のみ。で、800キロ歩く。
と聞いてやりたくない理由が一つも見つからない(単純に楽しそうだなと思ってしまう)ので、やはりその傾向は色濃くわたしの中に残っているのかも知れない。(そもそも800キロ歩く=苦行だと思えない。)だって、なんか燃えてきませんか聞いてるだけで.......!!!!!
と言う訳で私は意気揚々と準備を始め、REI(かゆい所に手が届くアウトドアスポーツ用品ストア)で買ったOsprayのバックパックを相棒に、ソロカミーノの旅に出かけたのである。
この時期を振り返ってみると、特に何かが激しくうまくいっていないという事もなく、それなりに幸せだったのだろうと思うが、当時デートしていた彼に「とにかくここにあるものを一旦全部リセットしていきたいと思う。」と言い残してLAを発った。こう書くとなんだか思いつめたようなドラマチックな台詞だが、当のわたしはそんな事を言うつもりも、彼との関係を終わらせようとしているつもりもなかった。が、考える前に自然と口をついて出た言葉がそれであったので、明らかに「人生のリセットボタンを押したい時期」であった事は確かだろう。とにかくばたばたと忙しかったし、「これまでの人生を静かに振り返る時間」と、「これからの事をじっくり考える時間」が欲しかったのだと思う。
ロサンゼルス空港からパリのシャルル・ド・ゴール空港へ向かい、パリのモンパルナス駅から電車を乗り継いでフランス人の道のスタート地点であるサンジャンピエドポーという街へ向かい、カミーノを歩き始めた。
このフランス人の道、他のルートと同じく難関と言われる場所がいくつかあるのだが、その一つは間違いなく巡礼初日にやってくるピレネー山脈越えだ。サンジャンピエドポーからスタートして、ピレネーを超えてスペインのナバラ州へと入る。バックパックの重さにも慣れていないし、足腰だってまだそんなに強くなっていない。(一応体を慣らすために巡礼前にトレーニングらしき事はした)カミーノを歩いていて、体力的にも精神的にもめちゃくちゃきつい日は何日もあったが、(そしてやはり800キロ歩くのは苦行だった)初日のピレネー越えは間違いなくその一つだ。
カミーノを歩いていて、思ったこと、感じたことはたくさんあるが、そのひとつが「体は環境に自然に適応してくれるんだな、すごいな」ということ。
わたしは空手や合気道をなんとなくずーっと続けてきてるので、そのおかげで体力は割とある方だと思うのだが、バックパックを背負って最初は5キロ、10キロの距離を歩くだけで悲鳴をあげていたふくらはぎも、慣れてくると15キロぐらいゆうに歩けるようになったし、最初は重くて仕方なかったバックパックも、旅を続けるうちにバックパックなしで歩くと落ち着かない、むしろないと歩く時にバランスが取れない、なくてはならない相棒(というか本当にないと死活問題なのだが)になった。
毎日、朝起きて、ご飯を食べて、バックパックを背負い、歩く。毎日20−25キロくらい、だいたい1日6−8時間ぐらい歩いた。多い時は足を引きずりながら30キロ超えて歩くこともあった。とにかく人生でこんなに歩いた事はない、という距離を歩いた。カミーノに行く前とは全く違う環境で生活しているのに、適応してくれているわたしの体にわたしは感謝した。
その時のわたしを前に進ませてくれたのは、環境に適応してくれた自分の体ばかりではない。人々からの励ましの言葉もそうだ。
宿屋のおじさん、スーパーのおばちゃん、教会の神父さんやシスター、バル(居酒屋兼食堂)のおっちゃんおばちゃんお兄ちゃんお姉ちゃん、通りすがりの街の人や、巡礼者達からの” Buen Camino!(ブエン・カミーノ)” "Ultreia!(ウルトレイア)"と言う言葉。
Buen Camino(ブエン・カミーノ)は良い巡礼を、という意味のスペイン語で(直訳するとGood way) 、Ultreia(ウルトレイア)はラテン語で、Go beyondとかOnward、その先へとか、前進するという意味。
ブエン・カミーノが巡礼者のための旅の無事を祈る挨拶で、ウルトレイアは道端でくたびれてヘトヘトになっている巡礼者を、「頑張れ!前へ進むんだ!」と鼓舞するようなニュアンスだ。
巡礼路を歩いていると、いたる所に、すでにそこを歩いた巡礼者たちからの”Buen Camino"や”Ultreia"のメッセージが壁に書かれてあったり、中には松ぼっくりや石で文字を作ってあるものもあったりして、心を和ませてくれた。私も道ゆく巡礼者たちに、Buen CaminoとUltreiaは一万回ぐらいは軽く言ったと思う。
Buen Camino! Ultreia!!
(良い巡礼を!!前に進んで!)
カミーノを歩いた方なら、この言葉の力強さをきっとお分かりいただけると思う。この言葉に私は本当、何度励まされたかわからない。
信仰の地であるだけに、普段の生活ではなかなか体験できないような事もたくさんあった。不思議なシンクロ現象じゃないけれど、ちょっとびっくりするような事が起こったりもした。カミーノを歩く誰もが、「カミーノで起こる事は、全てあなたに起こるべくして起っているんだよ。」と言っていた。歩き終えて、本当にそうだなと今では思う。
色々な街で、色々な人に「明日の早朝起きて、あなたの旅の無事を祈っています」「どうかご無事で。サンティアゴまでのあなたの旅路が安全である事をお祈りします。」と言われた。
『全く見ず知らずの他人が、好き好んで歩いて旅を続ける人間の旅路を諸手をあげて祝福し、旅の無事を祈ってくれる』という行いは、わたしの価値観を大きく揺さぶるものであった。これが純粋な信仰心と無償の愛から来るものでないのなら、これが一体何なのか誰かわたしに教えて欲しい。
で、結局カミーノに行ってどうだったの?と言われると「本当に素晴らしい経験でした。」と一言で終われてしまうのだが、「その素晴らしい経験」は、数え切れないたくさんの場所や出来事、そしてたくさんの人たちとの出会いで形成されている。わたしはそれら全てを何のてらいもなく「わたしの宝物です」と言える。
2019年の5月、6月はわたしにとってまさに「あの夏の大冒険」となり、あの濃い青のスペインの空と、石畳の街に響き渡る鐘の音を思い出す度に、私はとても幸せで切ない気持ちになる。今もカミーノの事を思い出すと、私の一部が帰りたいと言ってきゅうと泣く。カミーノは私にとってそんな場所だ。
最終地点のサンティアゴには36日間かけて到着して、その他の移動や滞在など含めると42日間、フランスとスペインにいた。その間にあった色んな事は、詳しく書くとものすごい長さになってしまうのでここでは割愛するが、カミーノを歩いている時は、とにかく人生が驚くほどシンプルになった。
寝る、起きる、食べる、歩く、人と会話する。寝る、起きる、食べる、歩く、人と会話する。これの繰り返しだ。
明日で9週間目になるこの自宅待機生活も、今までやっていた事を一旦ストップして、生きる事にフォーカスするという点ではカミーノと似ているな、とも思う。一旦やっていた事を止めて、24時間7デイズ自分と向き合わなければいけない環境。時間があるので、したかったこともできるが、時間がある分、目を背けていた部分や見たくない所にも光を当てなければいけない。
余談になるが、最近の私の毎日というと、前向きに色々とクリエイティブに物事をこなせるすごく気分が乗っている日もあれば、ダラダラと何をするにもやる気が起きない時もある。気分がコロコロ変わるな、という日もあれば、(これは結構皆経験してるみたいなので、もしこれを読んでくれている人の中にこういう気分を強く感じてる人がいても、それは自然な事だと思う。)勝手に涙が出て来る日だってある。なんかみんなSNSで色々あれしてこれして、となっているが、人の自由なので、もし別に何もしたくなければしなくていいと思う。
しばらく前、わたしは待機生活の間にやる気がまったく起きないモヤモヤ期があって、ダラダラしてしまう自分を責める気持ちの時があった。人から「今起きてる事はね、世界を揺るがしてるパンデミックなんだよ。不安になる事も、やる気が出ない事も当たり前なんだよ。今日一日を無事に過ごせたという事が、あなたが今日という一日で、誰かのためにした最良の事だ。それをあなたは知っておくべきだよ。」と言われて、(実際全くもってその通りなのだが、なんだか目から鱗が落ちたような気になったのだ。)気持ちがすごく楽になった。なので、もしこれを読んでくれている中に同じようにモヤモヤを感じてる人がいれば、この言葉が何かの役に立てばいいなと思う。
話をカミーノに戻そう。カミーノを歩いてからの一年間、思い返せば色んな事があった。きっと皆さんもそうではないかと思う。そして、これだけ熱っぽくカミーノのことを語っておいて勝手なのだが、わたしはこの一年の間に、このカミーノの励まし言葉を体の奥の奥の方にしまい込んでしまっていて、旅の間に撮った写真をちょっと前に引っ張り出して来るまで、この言葉がどれだけ力強いかをすっかり忘れてしまっていた。
ロサンゼルスは自宅待機が5月15日までと言われていて、明日になればまた市から、今後どうなるか新しくアナウンスがあると思う。
これからの新しい世界がどうなるかわからないけれど、それが何であれいいものになれという希望を持って挑もうと思う。そして、私はしばらくしまい込んであったこの言葉を、お守りがわりにポケットにしのばせておこう。怖くなった時に、わたしの足を一本前に進ませてくれますように、という願いと共に。
そしてこれを読んでくれたあなたが、もしこの言葉が気に入ったとか何か思うことがあったなら、どうぞこの言葉をポケットに入れて、あなたと一緒に持っていってください。はるか昔から、生きる人達を励ましてきた言葉が、あなたのお守りにもなることを祈って。
(見えにくいが『ウルトレイア、ヘレナ』と書かれてある)
泊まったアルベルゲの壁。『地球でつけたあなたの足跡はいずれすべて消えゆく。近道を選ぶ事なく、長き道のりを行け。』と書いてある。
えっ、、、、神様ですか?