「ラッセンとは何だったのか?」原田裕規 編著:感想
Xで見かけて、なんだか面白そう!と思って読んでみました。大分辛辣な批評も多く、チクチクしたところもありましたが、読んでて楽しい本でした。
以下、気になった言葉やトピックから感想を書いていきます。
概要
本書は、日本で一番売れたアーティストと言っても過言ではないクリスチャン・ラッセンが、どのように人々に愛され、時に疎まれ、日本に関係してきたのか。また、なぜ極端なまでに語られてこなかったのか….などなど、様々な角度からラッセンを考えていく論評がオムニバス形式でまとめ上げられた一冊となっています。
私のラッセン原体験
90年代生まれの私にとって、ラッセンに関する記憶は「エウリアン」というのが居たと聞いたことがある…くらい。なんか怪しい商売かしら?という印象で、それ以上興味を持つこともありませんでした。
あとはどこかのショッピングモールか、小さなお医者さんで見たことがあったような…水族館みたいな絵を描く人だったっけ?というのが私のラッセン原体験。
アクアリウム・ビュー
ラッセン作品の特徴といえば、地上と海中を輪切りにしたような構図。この構図を「アクアリウム・ビュー」と呼ぶらしい(なるほど!)。絵の内容は、生き生きと泳ぐイルカ、きらめく水面に、鮮やかな南国の魚、サンゴ、穏やかに揺らめく海藻…といった、自然の、というより理想の海が描かれています。
ここで、私が水族館やアクアリウムに期待しているのは、ラッセン的なものなんだと気づきます。編集された自然。人間に愛想の良い生物。
そういえば、数年前しながわ水族館に行ったとき、イルカに眼の前でうんちされたことがあります(すごい迫力でした)。他の動物のうんちシーンも見たんですが、イルカに眼の前でされたことが何だかショックでした。貴重なシーンのはずなのに…。やはり、私の中のイルカはラッセンだったんだろうと思います。刷り込みってすごい。
インフルエンサー的?
ラッセンは画業のほか、サーファー、ミュージシャンとしても活動していたそう。なかでもサーフィンの腕前は確かで、容姿も整っているためかサーフィン誌の表紙も飾っていたようです。そして自身のファンブックまで出版(!)。孤高のアーティストというよりは、ビジネスマンライクな人物。今で言う、インフルエンサー的な売り方だったのかなあ、と思いました。深見東州が近いのかしら?
そんなマルチな活動が、疎まれる理由の一つでもあったそうです。画家は表に出ることはなく、ひたすらに制作に打ち込んでいる、一種の神秘的なイメージが必要とされていた時代だったのでしょう。
SNS全盛の昨今では、作家の顔出しは当たり前。活動するジャンルの幅も広くなれば、拡散される機会も増える。そのことに対して疎む人を見かけることは、あまり多くはありません。それだけ作家が前に出ることが当たり前になりました。作家による自己プロデュースをいち早く、大幅に展開したのもラッセンだったのかも。
そんな事を考えているうちに、インフルエンサー的アーティストと新興宗教家の違いって何だろうな?と疑問がよぎりました。
ハイ・アート、インテリア・アート
ラッセンはアートなのか?インテリア・アートなのか?という議論も盛んにされていました。ハイ・アートが、理解するのに教養が必要なものだとすると、インテリア・アートはもっと大衆的で、「複製で…美術の専門家ではない人々が比較的気軽に入手でき、インテリアとして広く楽しまれている作品群」(補足より)らしい。デパートとかで売ってるやつかな?もっと手軽になるとIKEAとか。
ラッセンはインテリア・アートに分類され、美術の専門家ではない人々が好むというのが従来の大方の意見。
そのなかで、2056年の日本を舞台に某美術館でラッセンの大規模な回顧展が実施される….という設定で、ひとつ論評が書かれています。なんともジェットコースターのような構成。大胆で面白かったです。評論本のはずなのに、小説のような緩急が感じられました。
大昔はインテリア・アートとされてきた作品も、今日ではハイ・アートの先祖になっていることも多いのかも。いつかラッセンもそうなるのかな?
ハイ・アートの自作自演感とアートを買う支配層
ラッセンとは違うと、よく引き合いに出される「ハイ・アート」。思い浮かぶのは、美術館に展示されているような現代美術作品。キャプションを読まなければ、まず何を表現したのかわからないものが多くあります。浅学なため、読んでもわからないことが多々…。
そういった作品をわからないなりに鑑賞していて思ったのが、「なぜ、こんなに美術の制度に言及するのだろう?」という疑問。現代美術には作品の新規性が重要だとは聞きますが、こだわりすぎるあまり、自分で美術の制度という物語を作り、自分で壊していくような、どこか自作自演的な印象を、私は現代美術に対して持っています。もちろん、全部が全部じゃないのですが…。
ハイ・アートとされる分野の人々が、評論家と手を取り合ってその裾野を広げてきた話は、なんとなく実感がありました。アニメ、マンガ、イラストレーション、写真といったサブカルチャー(この呼び方もあまり好きじゃない)が、ギャラリーという真っ白な箱に吸収されていく様子。「なんだかなあ」と思わずにはいられませんでした。2000年代〜2010年代の若かりし頃…。
例えるなら、自分が大切にしてきた写真アルバムの1ページが、無断で、全く違う文脈で教科書の挿絵にされてしまうような気分。ハイ・アートの行き詰まりを、強引に解決しようとして巻き添えを食らっているんじゃ...。
そんな様子を見て、美術作品って後から勝手に美術の物語として編纂されるものではいけないのか?とちょっと思ったり。でも、アートを買う支配層が「物語を買う」ことを重視しているのならそうならざるを得ないのかも。ブランドってみんなそうだもんな。こんな美術界の動きも、それに伴う私のモヤっとした感情も昔から繰り返されてきたことなのかもしれません。
ラッセンを通して、日本の美術制度の歪みや独特さ、時代の空気感も知ることができた、期待通り面白い本でした。読み進めるたびに、クリスチャン・ラッセンの輪郭がはっきりとしてくるのがわかって楽しかったです。
私はハワイに行ったことがないので、どのくらいラッセンがハワイっぽいのかはわかりません。ハワイに行ったら、ラッセンの絵を見たときの感想が違ってくるのかも…。