働かざる者、おおいに食えよ。
メンタルを壊して会社を辞めた2018年。ライターの仕事のツテはまだあったけれど、新たな仕事を請け負うのが恐かった。果たして私はまた、人とスケジュールを合わせたり、締め切りに間に合うように作業を進めたりすることができるのだろうか? 考えただけでパニックになりそうだった。
仕事のできなくなった私に生きてる価値なんてあるのだろうか? そんなことをずっと考えていた。自分の生活費を自分で稼げることが「ちゃんとした大人」の条件なのだってそれまでの私は思ってた。だから、それができなくなった自分に生きる価値は無いのだと、自分を責め続けていたんだ。
このときの私は「受け取ること」を学ばされていたのだと思う。資本主義が当たり前になった世界で生きてる私たちは、仕事を人生の核に置きがちだ。労働や時間や価値を差し出す。その見返りとして、生きるための糧を受け取る。差し出すことと受け取ること。その二つは「仕事」と呼ばれて密接に結びついている。
でも、目に見えない次元では、「差し出すこと」と「受け取ること」はまた別のテーマであるらしい。自分が何かを差し出すことにいちいち見返りを求める必要はない。自分に価値なんてなくたって素直に受け取っていい。いかに差し出せるか。いかに受け取れるか。その両方を魂は学ぼうとしている。
「生きるためにはお金が必要だ」と思い込まされた世界の中で私たちは生きている。そして、お金を手に入れるためのまっとうな手段が仕事だと教えられる。働かざる者、食うべからず。でもそれは、小さな世界の中だけの常識でしかない。
働けなくなったのに、お金だけ受け取るのは屈辱だと思ってた。何もしないでお金を受け取ったなら、お金をくれた相手の言いなりにならなくちゃいけない。そう思い込んでいたんだ。そう、そんな決まりはただの思い込み。何もしなくても、誰の役に立っていなくっても、受け取っていい。生きていていい。それを学ぶための時間が私には必要だった。
誰かの役に立たなければ、生きる価値はない。そうだとしたら、それはとても冷たい社会だ。自分にとって役に立たないと感じる人を蹴落としていく社会だ。無理して頑張っているときほど、そうじゃない誰かを攻撃したくなる。「私はこんなに頑張っているのに」という文句がこぼれ出そうになる。
一方で、降参したことのある人は他人に優しい。完全無欠の人間だったら、わざわざ地球に生まれてくる必要もない。ポンコツで、ダメダメで、でも生きてる。そんな自分にも他人にも、大きく花丸をつけてあげられる。デコボコしながら、生きていこうぜ。価値なんてなくたっていい。生産性もなくたっていい。何の役に立ってなくていい。働かざる者、おおいに食えよ。
『霊視とは?』目次
みあんご!(野原ミア)です
ガイド(守護霊)が無理に強制終了をできなくなってきている
働かざる者、おおいに食えよ。
それだけはやりたくない!と思っていることほど、人生を変える大事なもの。
自分から水晶と同じ波動が出ている?
いかがわしくてウサンクサイ、水晶に関わる仕事ってこれか……!
The Rock Girl®(ロックガール)との出逢い