虫が苦手(空気を支配する人との共通点)~内と外の話
ヨガやアーユルヴェーダ的な考え方、東洋の哲学全般と矛盾する話題だけれども、苦手な虫トップ3と言われたらなにを思い浮かべるだろうか。
私は、
蛾、ゴキブリ、そして蝉が苦手である。
共通点はすべて突然飛ぶことにある。
そもそも虫というものが全般的に苦手で、大人になった今でも絶対触れない。
友達の子どもが虫を捕まえて来た話などを聞くと、自分がやはり子育てに向いていないことを何度でも強く確信してしまう。
安心安全で清潔な安らぎの場所である家に虫を持ち込まれたらたぶん発狂する。
私にとってはカブトムシもクワガタもゴキブリも同じ、黒くて飛ぶ大きな虫であり単に恐怖の対象なのだ。
窓を開けっ放しにする、というのも苦手で、開けたとしても網戸がしっかり閉まっており隙間がないことを確認しないとダメ。
内と外の区別をはっきりしてしまうことから様々な苦悩が始まるということも理論上は理解しているが、やはり内(家)は快適な場所にしたい。
このあたりに私の人間的な未熟さや器の小ささが反映されていることは自覚しているが、今のところは生理的にムリなものは仕方ないと開き直ってもいる。
爬虫類や蜘蛛にはそこまで嫌悪感がないのに、鳥類が少し苦手なのは、やはり飛ぶか飛ばないか、の違いが大きいかもしれない。
飛ぶ生き物は動きにおける不確定要素が大きすぎる。その動きが急に空気を支配することが受け入れられないのだと思う。
夏になると毎年、蝉への恐怖で駅までの道が肝試しみたいになる。
今年もまた、突然目の前に現れて羽音をかき鳴らした蝉にびっくりして奇声を上げながら飛び退いてしまった。
たぶん蝉より私の動きの方が奇妙だ。
それを通行人に見られて本当に恥ずかしかった。
なぜこんなに蝉が苦手なのか毎年考えている。
自分なりに出した結論としては、
①パーソナルスペースの突然の侵害
②羽音が大きい
③動きが大きい
これらの要素が蝉をムリだと思う理由だ。
そして、気づいてしまった。
苦手な人と同じ特徴があると。
私の苦手な人は、
①突然距離を詰めてくる
②声が大きい
③振る舞いががさつ
そしてかなりの確率において、①②③の揃った人は集団の中で場の空気を支配する。
組織ではこのような人たちの声が通りやすいため、傾聴せずコミュニケーションが雑なのに、なぜかリーダーシップがあると思われがちだ。
(私の密かな使命の1つは、そのような空気を支配する人から、声の小さなその他の人にも主権を取り戻すことだと思っている。)
ただ、毎年蝉に怯えるのも、空気を支配する人に苛立つのもメンタル的に健全ではない。
人間は普遍的に内と外の区別をし、外を敵とみなすことで内を守る本能があると、ある論文で読んだことがある。
窓を閉め切って虫を排除し、空気を支配する人たちから距離を置いて静かに暮らすのも1つの方法だし、私はずっとそうしてきた。
しかし、少しずつ内と外の垣根を低くしていき、同じ世界、そして宇宙に共存する仲間として彼らを見始めたら、自分の人生も更に豊かで幸せなものになるかもしれないなとも思う。
そもそも外を敵とみなすからこそ、単に人種や宗教が違うからというだけで争いが起きることもあるのだ。別に外は敵ではない。違うからといって警戒し、守りに入る必要もない。
虫たちは虫たちで一生懸命に生きているし、人間を怖がらせる意図はない。
空気を支配するように見える人たちも、1対1で話すと落ち着いて対話できるし、ただ騒がしくしているわけではないと分かる。善意で場を盛り上げたり楽しませることをしてくれることもあるし、むしろ場を仕切る必要のある場面では自分がそう見えていることもあるかもしれない。
違いや境を意識せず、調和して生きていけたらきっともっと楽しくなる。そして本当の平和が内側からやってくると思う。
いや、今朝もマンションの廊下に張り付いていた蛾を見て気を失いそうになったほど、やはり虫は苦手だ。そして、広がって歩き集団で騒ぐ学生を見て鬱陶しく感じたことは事実。
修行はまだまだ続く。
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