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「ズルい」を乗り越える~比べない生き方
物心ついた頃から23歳頃までの私はほぼ「ズルい」という感情によって生きていた。
ある意味向上心の原型であったし、どこに「ズルい」を感じるかに気付くことによって、自分の欲と向き合うきっかけにもなった。
おそらく「ズルい」を感じることもなく、のほほんと性格良く成長していたら、良くも悪くも今の私はなかったと思う。
「ズルい」の本質は、褒められたい、とか、認められたいといった気持ちが根底にあることが多かった。
「自己肯定感」の育たなかった私は、他人が自分より評価されていると、自分を価値のないものに思ってしまった。
なので、その「ズルい」を感じる相手に並べるように、そして越えられるように、自分のレベルを上げるため可能な努力を重ねた。
特に家では、なんでも私より上手く出来て容姿も良い妹がいれば、親にとって私はいらないだろうという思い込みが強く、毎日苦しんでいた。
自分は妹の劣化版であり、なにか1つでも秀でているものがないと、私には存在価値がない、自分は単に、可愛い可愛いみんなに愛される妹の補欠要員だと思っていた。
妹が追いつけない高い所まで行こうと努力したが、私は器用でもなく頭も良くないため、妹は余裕であっさり私の自己ベストを塗り替え続けていった。
なぜかほぼすべての私の選択を真似する妹に、結局は勉強も、習い事も、運動も、すべて「取られた」けれど、なんであんなに頑張ったんだろと思うくらい、必死に努力はしていた。
報われなかったし満たされなかったから、本当に苦しい日々であった。
大学まで私と同じ所へ行き「偏差値」の自己ベストも簡単に更新されてしまったが、その後やりたいことがよくわからず就活で失敗したという妹は妹で悪気がなく、姉の後を追うという選択肢しかなかったのかな、と大人になってから気づいた。
第一子は開拓者である。創意工夫を重ね、要領が悪いなりに、苦しんだ過程で身に着けた雑草のように生き抜く力をベースにして今も生活を支え、ご飯を食べているから、長い目で見れば悪いことではなかったかもしれない。
2つ目の「ズルい」である、自分の欲や、求めていることに気が付くきっかけになった感情は、海外関連のことだ。
毎日思い焦がれ、心から熱望したヨーロッパ旅行に、特に海外に興味のない友人があっさり親に連れて行ってもらったのを知ったり、英語が好きでもないのに親の意志で突然留学に行った同級生がドラマで憧れたアメリカの高校生活を手に入れるのを見て(動機が不純でアホすぎるが)、涙が枯れるほど泣いた。
中高時代、そういった海外への憧憬と欲求を溜めに溜め、大学に入ってから留年しそうになるほど猛烈にバイトをしてお金を作り、糸の切れた凧のように色んな国を放浪した。
ヨーロッパには10回以上行けた。アメリカは旅行するには楽しいが、暮らすには合わないとわかった。
そのようにして、私は学生時代、自らの「ズルい」の感情を利用して、不器用ながらどうにか自分の努力で欲しいものを手に入れてきたことも多かった。
ただ、「ズルい」を中心に生きていた頃は同じくらい悔しい思い、満たされない思いもして辛かったことも確かではあるため、23歳頃にそのステージを卒業できて良かったと思う。
卒業のきっかけは、親や妹と物理的に距離を置けたことが大きいかもしれない。
あとは、23歳という若さでいったん早々と正社員をやめて、専業主婦を経験したことで、競争的な社会から離れて生きるという選択肢もあることに気付けたことも一因である。
横並びで他の人と競争しなくても、他人や社会が決めた正規の道を歩まなくても、自分の人生は自分で選べるんだということが分かったから、なのかもしれない。
その後も30歳くらいまでは時々緩やかに「ズルい」が続き、友人の結婚相手の収入や海外赴任に嫉妬したり、私がやりたい仕事でのポジションに就いている人をライバル視したりと、相変わらずの心の狭さを発揮することもあったが、若い頃のように鼻息荒く追いつこうとすることはなかった。
その後、性質や立場の違いを理解し、本当の意味で比べなくなったのは、自分が満たされていると気付いてからである。
内側に目を向けてみると物事や自分の本質に気付くことがある。
外の世界や他人との比較で苦しくなった時は、少し自身と向き合ってみるチャンス。
数値化できない価値を自らに感じられたら、深い幸福がやってくる。