自分の人生を生きていますか?~受験シーズンを前に
11月中旬の現在、約2か月後の1月には大学入学共通テスト(旧センター試験)も控えており、その後も2月には中学受験、高校受験、そして大学受験はずっと続いていく、いわゆる受験シーズンに突入しつつある時期だ。
受験生ご本人だけでなく、受験生のご家族の方々もそわそわと落ち着かず、もしかしたらピリピリとした空気の中にいる方々も少なくはないと思う。
やりたいこと、夢があって、それを叶えるためのプロセスとしての受験は全力で応援したいし、ご本人は長い人生の中の1コマである頑張る時期として集中するのが一番である。
しかし、20年近く受験業界に携わっているが、ちゃんと話を聞くと、本人の確固とした希望で志望校を決め、受験をしている受験生は案外少ないものだ。
一見すると本人の希望だが、実は
親に認めてもらうため
先生が勧めたため
世間的な評価を得るため
人気があるため
なんとなく
など、
本質的には本人の希望ではない受験をしている場合が多い。
そのような人々は、自分の人生を生きていない。
時代や地域によって生じた価値観を真に受けて、他人の人生を生きているのだ。
受験勉強をすることで、ある程度の教養が身に付くし、反射神経や思考力が鍛えられるため、そのプロセスそのものを無駄とは思わないが、他人が決めた尺度に自身をねじ曲げながら押し込んでいくことで得られる幸せの度合いはいかほどなのか疑問である。
貴重な時間やエネルギー、お金などのリソースの使い道として、その受験は果たして価値のあるものなのかも、いったん立ち止まって考え直すことができる最後の時期でもある。
受験に成功したとしても、その後の人生はまだ始まったばかり。思考の癖に向き合わないと、その先もずっと世の中や家族が決めたレールの上を走る生き方をしていくことになってしまうかもしれない。
とは言え自分もそうだった。
小学校高学年から始まった受験戦争に放り込まれ、自分はまだまだダメだ、という思いを根底に持ちながら、受験が終わって大人になってからでさえ、遊んだり休んだりもしつつ、終わりのない自己啓発の沼で長年泳いでいた。
今のままではダメだ
もっと上にもっと上に
成長すべき
などの文言と共に、今を楽しむことなく、努力という名前の虐待を自らに課していた。
自己啓発の沼にいた時は、そのままの自分を認めることが出来なかった。社会や世間の作り出した定規で自分を計り、それよりも足りないとか、長すぎるとかいった考えで本来の自分を歪めていった。
もちろん向上心を持つことや努力することは時に必要である。けれども、10代という若い時期から、自分はこのままではダメだというマインドが当たり前になってしまうと、その後も他人の決めた尺度を優先し、疑問を持たずに本来は必要のない頑張りをしてしまうパターンに陥ってしまうかもしれない。
特に、受験シーズンと呼ばれる冬の時期は、その後の1年間の健康を左右されると言われる大切な養生の期間である。
本来の自然の摂理の中では、普段よりたくさん休み、たくさん寝て、自分に優しくしてあげる時なのだ。
受験生の方々にはくれぐれも無理をして欲しくないと思っている。志望校の知名度や偏差値の高さは本当に重要なのだろうか。どこに入るか、ではなく何をするか、そしてそれをどう活かすかが、大切なのではないだろうか。
必要以上に身の丈に合わない目標を叶えるため、かつての私のように、ビシバシと厳しく自分を追い込み睡眠も限界まで削ってエナジードリンクやコーヒーで覚醒させながら勉強する、というようなやり方ではなく、
自分の人生にとって本当に大切なものはなにか、自分自身の定規で計りながらやることを取捨選択していき、周りに流されず自分オリジナルの幸せな受験をしてほしいと思う老婆心を共有したい。