「私の身体を生きる」を読んで、自分の「身体」や「性別」に向き合ってみた話
自身の「身体」と向き合うことがテーマの、17人の作家たちによるエッセイ集。
普段自分の「心」にはよく向き合うことが多いけれど、身体に向き合うというテーマがヨガをやっている立場からも興味があり、読んでみた一冊。
基本、女性の身体についてのエッセイだが、私はここ数年自分を「女性」であるというより「性」に偏らないただの「人間」、というか種も越えた「生き物」として認識する時間が増えている。
少なくとも、「産む側」の性として生きることを完全に放棄する覚悟が固まってからというもの、「女性の身体」を持って生まれ生活していることの意味や、子孫を残さない生き物として「人生」とどう折り合いをつけていくかをずっと考えている。
そのように、私のような人や、子どもがいる人もいない人も含め、多様な女性の生き方について考えることが人生のテーマの1つでもあるし、私が提供しているヨガのサービスは包括的な意味での「女性」のためのものであるため、物理的側面である「身体」から女性の生き方を考える機会としてもこの本は興味深かった。
1人1人に物語があり、真面目かつ赤裸々な内容に、他人の秘密を覗き見しているような気分だった。
それぞれの作品は5~10分ほどで読めるので、サクっと隙間時間に読み進められるところもオススメ。
作品によっては性的な描写もあったりするので、職場の空き時間に読んでいた時は後ろから誰か来ないかドキドキだったがw
誰にも言えないようなことに共感したり、似たタイプの人がいて驚いたり安心したり、あらためて考えさせられることがあったり、不思議で良い読書経験だった。
ここからは少し私の話。
普段は深く考えず女性の服を着てメイクをし、一般的な女性として社会生活を送ってはいるが、その「女性」というカテゴリーに違和感をおぼえる瞬間もかなりある。
世の中から「女性」として扱われることが気持ち悪くなってしまった。
数年前のある日、ハイヒールが履けなくなった。
別のある日、身体のラインが出る服や、膝が見えるスカートがはけなくなった(年齢とともに体型が崩れたせいもあるが)。
また別のある日、これまでよくやっていたように、髪をコテで巻けなくなった。
自分なりの感覚ではあるが、無意識のうちに世の中に対して、自分を女性として扱ってくださいという「女の子印」を取り外したのだ。
その「印」をつけたり消したりすることで、周りからの扱いがガラリと変わるのは驚きだ。
子どもの頃から兆候はあった。
親戚の誰かからもらった人形は遊び方が分からなかった。
母が作ってくれた、ままごとセットもどうして良いのか分からなかった。
小学校でも、女子たちのグループにいると何をすべきかよく分からなかった。
代わりに私は何時間もレゴブロックでオリジナルの建物を作ったり、
庭で植物の観察をしたり、土をいじって遊んだり、
男子とふざけ合ったりするような子どもだった。
思春期に身体が変化し始めると精神的な戸惑いを大きく感じ、特に親の前でその変化を隠そうと必死になった。
いつまでも「性」を感じさせない中性的存在である「子ども」でいた方が楽な気がした。
親に自分が「女」であることを見せるのは裏切りであるように思え、その変化に気まずさを感じ、わざと男の子のような振る舞いをしたり、可愛く見えないダブダブの服を着たりした。
中学から女子校に入ると、ある程度外見でヒエラルキーが決まるような空気感があり、周りから見下されないために容姿を整える癖がついてしまった。
「女の子印」をつけ始めたのはこの頃だったと思う。
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