英語学習の軌跡~留学、英会話レッスンなしで、推し活少女が英検1級、TOEIC960まで成長した話
前置きが長くなったが、ここから英語学習の軌跡を辿ってみたい。
・小学校時代
一般的な公立の小学校に通い、初めてローマ字を学習。
車の中で何故かディズニー映画の曲が
リピートされており、英語の音に慣れていた
ことが後に役立った可能性はある。
リトルマーメイドの”Under The Sea”
(アンダーザシー)という曲が、
「あたらしい」に聞こえていたことを
何故か鮮明に覚えている。
・中学1年
中学受験で私立に入ったものの、
英語に関してはローマ字で止まっていた。
小学校から英語をやっていた内部進学生
たちに置いて行かれ、苦手意識を持った。
you と your の違いが数週間理解できず、
テストも散々・・・
1月か2月頃、インフルエンザに罹り
1週間学校を休んだのだが、その直前に
たまたま友人が貸してくれた
『タイタニック』のDVD
(ビデオだったかも知れない)にハマり、
人生が変わった。
高熱にうなされながらも、
他にやることがなく暇だったので、
『タイタニック』を毎日のように
1週間観て過ごした。
それまではディズニー映画などしか知らず、大人向けの映画をあまり見たことが
なかったので、運命的な恋愛の情熱や、
色んな生き方をする人がいること、
人生は楽しんでも良いのだ、
という価値観を初めて目撃した。
そして何より主演の
レオナルド・ディカプリオに一目惚れし、
どんどん『タイタニック』の世界観に
のめり込んでいった。
インフルエンザが治り、学校へ戻って
友人にDVD(ビデオ?)を返すと、
人生で初めてCDというものを買ってみた。
(後に買ってもらったが、すぐDVDを買う金銭的余裕はなかった)
もちろん『タイタニック』のサウンドトラックである。
セリーヌ・ディオンが歌う主題歌の、
”My Heart Will Go On”を1日30回くらい毎日聴いて
映画を思い出す日々。
気付いたら歌詞を全部暗記していた。
そして、2つ目のサウンドトラックに
入っていた、映画のセリフが一部入った
バージョンのものも手に入れて、
自分がローズ(ヒロイン)になりきり、
ジャック(ディカプリオの役)と会話するという
妄想劇を繰り広げたお陰で、誰にも教わらずに
シャドーイングをし、音読を繰り返し、
フレーズを暗唱するという英語学習をしていたらしい。
ただ、英語の成績やテストにはまだ反映されていない。
・中学2年
『タイタニック』に影響され、映画業界で
働きたいからアメリカ、ハリウッドに
絶対行きたいと思うようになり、
(女優になってディカプリオと共演したいと55%くらい本気で思っていた)
少し日々の英語学習にも真剣に取り組み始めた。
文法は感覚でやっており、あまり理解していなかったが、
とりあえず単語はちゃんとやろうと思い、
毎日たくさん書いてスペルと意味を覚える習慣ができた。
すべてはディカプリオ氏と会話するため、
というモチベーションだ。
あわよくば彼女になって結婚・・・
という妄想もw
この頃から、新しく学校で習う文法項目は、
歌詞や映画のセリフで既に知っているという現象が起きる。
理論を知らないなりに、CDに付いていた
歌詞カード(懐かしい)を熟読し、
知らない単語を紙の辞書で調べ上げる
ということをやっていたため、
なんとなく感覚で分かっていたのだろう。
今まで意味不明だった英語の授業で
先生の説明が頭に入ってくるようになり、
勉強としても英語が楽しくなった。
その頃、ディカプリオ氏の『タイタニック』
以外の映画をすべて観尽くしてしまい、
むしろ共演していたジョニー・デップに
心移りし始めたり、セリーヌ・ディオンの
主題歌を聴きすぎてさすがに飽きてしまい、
他のアーティストにも興味が沸いてきた。
最初は当時のアメリカやイギリスの
アイドルグループから入り、だんだんと
R&Bやヒップホップにも興味が拡大。
映画も毎月のように色々なものを
観に行くようになり、私の趣味が
ほぼすべて英語圏のものになった。
興味の幅が広がったため、最初の
『タイタニック』の時のような1点集中型の
ハマり方はしなくなったが、
やはり大好きな曲は繰り返し何十回何百回と
聴いて覚えていたので、英語の単語同士の
よくある組み合わせや、発音に慣れていった。
・中学3年
引き続き洋画洋楽オタクの生活。
気付いたら学校のテストでも点数が取れるようになってきた。
発音がキレイと褒められ、調子に乗る。
余裕が出てきたため、定期テストのない時期
は英検などに挑戦するようになり、
教科としての英語の成績にプライドも出てきた。
この頃は海外ドラマにもどっぷり浸かり、
頭の大半がその人間関係やストーリーに占められる。
特に、高校生が出てくるドラマにハマり、
アメリカの高校生活を経験したいという
欲求で、留学にいきたい熱がピークを迎える、
が・・・もちろん叶わず。
悔しさで単語をがむしゃらに覚えながら、
いつか独力でアメリカの学校生活を送りたい
と夢見ていた。
単にダンスパーティーや車の通学に憧れていた。
基本、モチベーションがミーハー。
熱しやすく冷めやすい、諦めの早い人間なので、
当初の映画業界に行きたい!という願望は
現実的に考えて無理、となり、
この頃は洋楽や洋画の雑誌編集者に憧れていた。
(スクリーンとかロードショーとかインロックとか毎月立ち読みしてたな)
↑ 簡単に買えなかった
この頃、お小遣いを貯めて洋書を購入し、
翻訳家の真似事をして独力で和訳を作成する
ということにハマっていた。
もちろん半分もいかずに挫折・・・
・高校1年
高校受験をせずそのまま内部進学で高校に
行ったので、受験をした人たちに勉強面で
引け目を感じていた。
いったん中3の頃には英語の成績が上位に
上がったが、帰国子女枠で高校に入ってきた
人たちや、ちゃんと高校受験した人たちが
流入してきて私はまた凡人に戻った。
しかも、中3から高1の壁は厚く、一気に
教科書の進みが速くなり、単語を覚える量も
増えてまた余裕がなくなった。
洋楽洋画のお陰で文法は何故かもともと
知っていたものが多かったのは有利だった
が、学校のテストは例文の暗記などが多く、
歌詞のようにはなかなか覚えられなかった。
この頃、2週間ほどオーストラリアへ
ホームステイに行ったが、ほぼまともに
会話が成立しないなりに、少しでも通じた
ことが楽しく心震えた記憶。
(中3だったかもしれない)
・高校2年
どうにか落ちた下層から這い上がり、
中の上くらいをキープ。
中学の頃は大好きだった単語の暗記が
苦手になってきた。
(単に私の能力では量的にキャパオーバー)
紙の辞書を読み込みながら謎解きをする
ような、翻訳という作業が好きだったため、
教科書などの予習は熱心。
どうしても行きたい大学が出来たため、
それをモチベーションにして頑張り始める。
この頃はトレンドの音楽であまり好きなもの
がなくビートルズやエルヴィス・プレスリー
のような初期のロックや、60~80年代の音楽
を開拓したり、ということをしていた。
相変わらず映画は好きで、友達と一緒に
世界観にどっぷりハマって何度も同じものを
観に行ったりしていた。
・高校3年
大学受験。
奇跡的にギリギリで第一志望に合格できた
が、今から思い返すと単語量は全然足りて
いないし、文法もほぼ感覚でやっており
理解していたとは言えない。
分厚い1問1答形式の問題集をハムスターの
ようにグルグル繰り返し、構文や例文を
ラップのようにリズムとノリで覚えて乗り切った。
論理思考ができないため、おそらく長文読解
も雰囲気で解いていた気がする。怖すぎる。
英検準1級は2回落ちた。
センター試験(共通テスト)は8割ちょっとくらい。
練習だと満点取れる時もあったのにな~
という負け惜しみ。
(世界史は1問ミスで97か98点だったから、
中途半端な英語ではなく世界史のお陰で大学に入れた可能性大)
・大学1~2年生
みんな英語の得意な大学に入ってしまった
ので、ここでまた下層に落ちた。
スピーチ系の英語の授業を取ったら
無理すぎて単位を落としたこともある。
劣等感でいっぱいになり、もう英語は嫌だな
と思って他の言語に力を入れて、ロシア語と
ドイツ語を勉強していた時期もある。
ただ、自由を手に入れて海外を飛び回れる
ようになったため(留学はダメだったが)、
必然的に英語を使う機会は増えた。
念願だった留学をしようと、お金を貯めて
1人で1か月ほどアイルランドへ行ってみたが、
そんなにがっつり勉強という環境でもなく、
ホームステイ先には日本人もいて、
思ったほど英語を使えなかった。
毎晩パブやクラブに繰り出し夜遊びを覚えて終了。
・大学3年
就活を意識し、TOEICを受け始める。
まず、試験が長すぎて途中で寝落ちする、
というケースが多々あり、なかなかまともな
点を取れなかった。
しかし、他の言語を勉強する過程で文法を
理解するための頭の使い方がようやく分かり、
実は英語の文法というのは結構シンプルなのだということに気付いた。
就活の時は最終的に830くらいで出していたかな。
その頃の勉強法は、
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