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「運命の裏側」を共有して思うこと。


今日のお昼、電車の中で「運命の裏側」を見た。

4人ほどの高校生っぽい女の子の塊がいくつかあり、70%は浴衣姿。


「ピンク色、かぶっちゃったねー」
「でもAちゃんは花の柄だし、わたしは蝶々の柄だから、雰囲気違うくない?」
1つの塊では、互いの浴衣を褒めあっていて微笑ましい。

(2人とも似合ってるよ。)

たぶん知り合いだったら、わたしはこう言うだろう。


「いけるよ、勇気出せば言えるよ!」
「わたしたちは、遠くで見てるからね」
また別の塊では、こんな声も聞こえる。

「告っても確率は45%だと思ってて。それでも言うべき?」
「夏休み中に連絡して、オッケーもらえたんだから!もう100じゃない?」
「はぁぁ〜!今日は運命の日だ...。」

どうやらこちらの塊の中の1人は、意中の人に告白するもよう。

誰かが言っているように、夏休みにもかかわらず連絡して、誘って会える返事をもらえたんだから、100%大丈夫!

(いけ!いけるよー!)

前のめりで、聞いてしまってる自分がいた。

どの塊でも今日は特別な日。
のちに「運命」と思える日になるかもしれないこともあり、
電車の中は色めきだっていた。


そう。今日は近所の花火大会なのだ。




中高生の頃の花火大会といえば、毎年特別だったような気がする。
小学生までの頃は親と見ていた花火でも、思春期に入ってからは地元の友達と待ち合わせして見ていた。

花火を「見る」よりも、花火の日を「楽しむ」に近い。

花火の日に告ったことはないけれど、
これでも中学・高校時代は好きな人がいた。


「花火見てるのかなー?」
「会場に来てるのかなー?」
「突然会ったらどうしようかなー?」
「あ!もし突然会ってしまったら、浴衣の方が可愛いと思われるんやろうか?」
「...なんで部活のジャージ着て来てしまったんやろ」

あーや、こーや考えたとて、
結論が出たためしはない。

突然会ってしまった...!なんてこともない。

だからと言って、花火の内容を覚えてるわけでもない。


「偶然、花火大会で会えたら...」なんて妄想ばっかしていた類の女子だったので、
目の前にいる彼女たちがちょっと大人びて見えた。



(告る日を花火大会に決めて誘うなんて、すごいことだよ!)

妙にテンションが上がったまま、帰宅した。



家に帰って、夫に電車の中の出来事を言うと、
「オレも裏側見て来たでー」と、得意げな返事がきた。


仕事を終えた後、
突然髪の毛が切りたくなって馴染みの美容院で切ってきたとのこと。

いつもはゆったりとした時間が流れる美容院だが、
昨日は「イケイケなメンズ」や「かっこよく変身したメンズ」がいたらしい。

みな、今日の花火大会に備えていたのだ。


「今日はこの日のために一張羅着てきたっす」
夫の隣の席に座る高校生は、得意げに美容師に言う。

あどけない雰囲気の高校生でも、
髪を切って、整えて、ワックスで仕上げると数分前とは違うオーラを醸し出していたらしい。


告白するかしないかは別として、
「いつもと違うオレ」で花火大会に向かう姿がカッコよかった、と夫は言う。



花火大会が、運命の日じゃないかもしれない。

でも、自ら行動(告白)を起こす側も、
待つ側(?)も、
ちゃんと準備している。


「花火+夏休み=非日常」の、たった1日を楽しむために。


ありがたいことに、我が家のベランダからは花火が見えるため、
打ち上がるギリギリまで「運命の日の裏側」を共有した。

自分があの頃どうだったか、その時の気持ちも添えて。
思い出し笑いを交えながら、エピソードをなぞるように20年前以上のことを喋った。


上手く撮れた1枚


ドゴーーーン!!!


花火の一発目が上がった瞬間、ふと思った。

「結婚してからは、花火がはじまると花火に集中していた」ことを。

・今の色珍しいね
・あの形なに?
・これ、好きなやつー
・この曲に合わせて打ち上げるの難しそう
・職人技やねー、この感じ。上から見ても下から見ても飽きさせないね


こんな風に、花火そのものの話をすることが多くなった。


でも、20年以上前は、
「人」に想いをはせすぎて、花火に集中していなかったような気がする。

「いろんなシチュエーション」に憧れすぎて、花火のなんたるや、みたいなことはまったく考えていなかった。


年月を経ても、花火を見るためには上を向く。
それはまったく変わらない。

でも、上を向くときに思うことは360度変わる。

当たり前ではあるけれど、
そのときにはその瞬間なりの大切な感情が伴っている。

きっと、
今のわたしと10.20年後のわたしが花火を見て思うことは違うし、違うことでまた気づきもあるんだと思う。


「(好きな)人」に想いをはせながら見ていた花火。
今は、(大切にしたいと)人の横にいて、花火を集中して見てる。

花火側の視点からすると、
もちろん人が何を考えているのかなんて知る由もない。
思いっきり打ち上がり、夜空に煌めきながら散るだけ。

その繰り返しの様は、1時間弱続いた。

きっと今日、「運命をむかえるかもしれない裏側」を見れたからこそ、
1時間弱の「今」を考える有意義な時間になったのだと思う。


今日が誰かにとって、
運命と思えた1日でありますように。


本日は、よき花火でした。

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