とどのつまり
「トラウマを抱えて生きる」ってことなんだろうな。
私は、性被害や複雑な親子関係など「トラウマ」化しやすい過去の体験や、それによって変わってしまった脳、共感覚や写真記憶など、記憶が鮮明に保持されやすい身体を持っている。
でも、複雑性PTSDの症状を引き起こした原因がどれだけ明らかになっても、抑圧されて解離で取り出せなくなっていた記憶を思い出せて、過去の流れが理解できたとしても、誰も過去には戻れないし、起きたことはなくせないし、記憶も消せない。それが事実。
どのような体験でも「トラウマ体験」にはなり得る。ただ、それがどんなものだとしても、いま、私を困らせて、対処すべき「症状」はいっしょ。(パニック症状の原因が性被害だろうが、親子関係だろうが、過去の体験といまの症状の因果関係を明らかにできたとして、それそのものに、そこまで大きな意味がない。そのどちらだとしても、対処すべき取り組み自体は大きく変わらない)
トリガーとフラッシュバック、不信感、緊張、激高、鬱、解離、悪夢、睡眠障害、回避、etc....
トラウマ体験になった過去と、後遺症になった症状。私は、たくさんの「困りごと」を抱えている。
それでも、「生きる」。
大切なひとと、いまを、幸せに、生きる。
ひたすら、「いま」を紡ぎ続ける。
泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだり喜んだりしながら。
自分らしく、生きる。
立ち止まったり、休んだりしながら。
自分を受け入れて、自分を大切にして、自分を大切にしてくれる人を大切にして、一緒に幸せを受け取る。
その日常を、「楽に」してくれる何かを、「自分に合う」と思えたら、どんなものでも取り入れていく価値がある、ってことなんだろうな。(そして合わなかったら、或いは合わなくなっていったら、固執せずにそれも手放していく)
[→たぶん、要するに、少し飽きてきたんだろう、と思う。笑。もう、なんかもう、「飽きてきた」笑。たはは、うん。飽き飽きしてきた。加害者教員に、或いは母に、或いは父に、或いは祖母に、或いは祖父に。怒ったり恨んだり悔しんだり。答えのない、そして果てのない「なぜ、なぜ、なぜ、」に。もう、つまんない。不思議と、スコン!と、やりきった感がある。抑圧でも、見て見ぬふりでもなく。恐れていたものを、直視して、対峙して、今度こそは真正面から向き合って。やってみて、見えてきた風景がある。風を感じる]
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