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小説|隣のレイモンドと道連れのJ #3

渦を抜けると彼らは雑踏に埋もれていた。しかしその人々は、身なりは違えどいずれもレイとJのようで、まるで無数の鏡に囲まれたようだった。彼らはそれぞれ、奇抜な髪形や派手な服装で自己を主張している。Jは一瞬たじろいだ。

「僕の拠点のひとつさ。」レイは唇を僅かに歪めて言った。

Jは顔を顰めた。「どうしてこんなに、俺たちみたいなペアがいるんだ? まさか全員、俺とお前なのか?」

「正解」と、レイは落ち着いた様子。「ここでは多次元の僕らが集まって、それぞれの役割をこなしている。僕らはペアとして機能するんだ。ただし、あらゆる次元で、決定論的に、僕らがペアを組むわけではないよ。」

Jは眉を潜めながらも、まだ腑に落ちない様子で続けた。「役割って、なんだ?」するとレイは微かに肩を動かし、目を細めた。「技術開発だよ。君の存在が欠かせないんだ。」

Jはその言葉に少し不安を感じたが、レイの軽い調子がそれを和らげたようにも思えた。「まさか、被検体じゃないだろうな?」Jの言葉にレイは小さく笑い、頭を軽く振った。「まさか。」

「じゃあ、俺たちも何かやらなきゃならないのか?」Jはまだ半信半疑の様子で尋ねた。

レイは笑みを浮かべたまま、不敵な表情を崩さず言った。「まずは補給だ。」

Jは胸に湧き上がる違和感を呑み込みながら、レイの背中を追った。


レイとJがさらに街の中心へ歩みを進めていると、遠くからデモ行進の声が聞こえ、広場の様子が次第に目に映る。Jは一瞬、足を止め、広場を埋め尽くす群れを見つめた。そこには鮮やかな装いのJたちが列をなし、プラカードを掲げて抗議の声を上げていた。「レイに規制を!」「Jの待遇改善を!」──その言葉はJの胸に何か鋭いものを突き刺すようで、彼は足を止めた。

「これ……何なんだ?」Jは自分の口から漏れたその疑問を、すぐにレイに向けた。

レイは集団を見渡して、淡々とした口調で応じた。「意見を持つことは自由だからな、J。民主主義の証だよ」

Jはそれに答えず、再び群衆の声に耳を澄ませる。レイに従ってここまで来た自分が、この群衆のJたちと何が違うというのか? Jの中で言葉にならない不安が形を帯び、やがて自分自身を否定されているような息苦しさが胸にこみ上げた。

「レイ、俺たちJは、抑圧されているのか……?」Jが問いかけると、レイは少しだけ表情を引き締め、誤魔化すように言った。「まぁ、少し過激だよな。でも、どんな政治システムでも一定の不満は避けられないだろ?」

だがJには、抗議しているJたちの様子が切実で深刻に見えた。そこに共感を抱く一方で、自分だけ簡素な服装をしていることに疎外感を覚えてもいた。

その時、不意に何人かのJたちが広場の中から歩み寄ってきた。彼らはJを鋭い目つきで見つめ、勢いよく近づいてくる。

「野犬注意だ!」レイが警告するより早く、Jは腕をつかまれた。「こっちに来い」と、低い声が耳元に響く。レイに向けられた鋭い視線とともに、Jは無理やり引き離され、抗議の群れに引き込まれた。

「おい、待て!」Jは抵抗しようとしたが、すぐに押さえつけられ、赤いバンダナを巻いたJの前に引き出された。その中心人物らしいJは、「お前はレイの下僕じゃないだろう?」と、挑むようにJに言った。その目は冷たかったが、どこか憐れみも感じられた。「俺たちはお前を解放してやる。もうあいつに従う必要はない。」

「解放?」Jは混乱し、必死に状況を理解しようとした。

「知るべきだ」とそのJが、Jの顔を覗き込む。「お前がただのジャミング装置だということをな。レイのやりたい放題を隠すために、お前も俺も利用されてるだけなんだよ。」

Jはその言葉に凍りついた。理解が追いつかず、息苦しさを感じた。そこへステッキを携えたレイがゆっくりと歩み寄り、取り囲まれたJを眺めながら言った。「ちょっと待ちなさい。」

Jたちは一瞬たじろいだが、すぐに怒りを込めた視線をそのレイに向けた。「お前のようなレイが、俺たちを道具として使っているんだ!」

そのレイは彼らを見回し、静かに言った。「ここで君たちが抗議するのは自由だ。だが、Jが何のために僕らといるのかは、そんな単純なことじゃない。」すると、Jの一人が声を荒げて言った。「じゃあ、説明してみろよ! なぜ俺たちはお前に従わなきゃならないんだ?」

そのレイは一瞬の間を置き、落ち着いた口調で説明を始めた。「僕らは多次元の脅威に対抗するためにここに集まってるんだ。Jはそのためのパートナーさ。レイだけじゃ、全ての問題に対応できない。だからJが必要なんだよ。お前たちがやっていることは無駄じゃない、とても重要なんだ。」

その説明を聞いても、Jたちの表情は硬いままだった。「重要だって? 俺たちはただのノイズキャンセリングだろうが!」

レイは微笑を浮かべ、少し皮肉っぽい口調に変わった。「でも、それなしで、僕らはどれだけの物事を進められると思う? 君たちはシステムの一部だ。そして、全体には一部が不可欠だということを理解してほしい。」

Jはその会話を黙って聞いていたが、自分がただの道具ではないというレイの言葉に、僅かに宥められるものを感じた。しかし、当然すべてが腑に落ちているわけではなかった。


Jは暗い部屋で、他のJたちの間に座っていた。群れに紛れた安心感と、自分が何者か分からなくなる感覚が、Jの胸の中でゴミの浮いた波打ち際のようにせめぎ合っていた。その淀みを、次の瞬間、鋭い金属音が切り裂いた。

扉が勢いよく開かれ、光が細い刃のように部屋に差し込む。その中に立つのは、周囲の空気すら手なづけたかのような圧を纏った作業服のレイだった。その目はナイフのように冷たく周囲を牽制し、迷うことなくJの方へ歩み寄り、持っていた端末を手にかざすと、スキャンするようにJを見つめた。

「次元コードAXE3008」と機械音声が流れる。レイの顔には、ほんの僅かな緊張が見えていたが、すぐに取り繕うように口元に微笑みを浮かべた。「J、こんなとこに隠れてたのかよ。」そう告げるレイに、Jは混乱したまま引っ張り出された。

しばらく歩くと、Jは抑えていた疑問を口に出した。「俺はただのジャミング装置らしいな?……一体、俺は何人目のJなんだ?」

レイは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに軽い調子で答えた。「馬鹿なことを言うなよ。君はもっと大切な存在だ。だからこそ、こうして探しに来たんだろう?」

次第に抗議の喧騒は引いていった。だが、胸の中にくすぶる疑念は消えなかった。Jは歩きながら、薄氷を歩くような不安を抱えていた。――自分の存在はただの入れ替え可能な道具に過ぎないのか?

「まだ考えてるのか?」レイが横目でJを見ながら、どこか呆れたように声をかけた。

Jはその問いに答えることなく、口を閉ざして歩き続けた。

しばしの沈黙の後、レイは足を止め、溜息をついてから話し始めた。「君の気持ちは分かるよ。何かに縛られてるように感じるだろうし、僕が君を無理やり引っ張っているように見えるかもしれない。でも、聞いてくれ。君には選ぶ力がある。僕が話しているのは、君が何をしたいか、どう生きたいかを選べる力だ。」

「選ぶ力?」Jは困惑して聞き返した。「俺が何を選べるって言うんだ? 無理やりここに連れてこられたのに。」

レイは一度息を吐き、静かに話し始めた。「確かに、今までの状況では自由に見えなかったかもしれない。それは認める。でも、ここからは違う。君が何をしたいか、それは君自身で選ぶことなんだ。一緒に次元を旅してきたのは、君の力が必要だったからだ。だが、君もまたこの旅を必要としているはずだ。これは、君の選択なんだ。」

Jはレイの言葉を反芻し、短い沈黙の後、少し不安げに訊いた。「俺はこの状況を肯定するJなのか?」その問いに、レイは静かに答えた。「僕はその答えを持ってるわけじゃない。無数にJがいるというのは事実だが。」

Jの胸から疑念は消えなかったが、少なくとも自分の意志で選択できる余地があることに、一筋の希望を感じ始めていた。

「さて、ここが座標だ。」レイの一言に、Jは自分が広間の中の、いくつもの彫像の間に立っていることに気が付いた。そこには様々なレイとJの姿を象った彫像が並び、無言の視線を彼らに浴びせていた。その光景を前に、Jの中で静かに膨らむものがあった――この多次元宇宙で、自分たちは何を成し遂げるのか。そして、自分は何を選び出すのだろうか。その答えを求める想いが、彼の中に根を下ろしていった。