周期
今日も私は此処にいる。
今日も私は此処で生きている。
私の中で籠っている何かの感情を、言葉の何かに纏って、外に出したくなる周期があるみたい。
女性の月経も月の満ち欠け...というふうに言われるけれど、自分の身体や心は本当にそんな感じでいろんな変化を経て、またもとに戻ってきている。そんな感覚がある。
数年かけて戻ってくるものもあれば、数日かけて戻ってくるものもある。
"戻る"という表現をしているけれど、円のように一周して元いた位置に完全に戻ってくるわけではなくて、螺旋状になっていて少しやや真上に戻る。半径1m以内のエリアに戻ってくる、こんな感覚。
月経だってそうだ。同じような痛みが大体同じような周期で訪れるが、子宮内膜を剥がしながらどんどん厚くしていっているのだ。全く同じではない。
同じ点に1mmもズレなく同じようには戻れない。前つけていた点に重なることはできても、新たなエリアに、きちんとはみ出しているのだ。
となりのトトロを一回でも観てしまえば、"となりのトトロを人生で一回も観たことがない人"にはもう二度となれないのだ。
そういうことなのだ。
今日noteをかこうとおもったのは、いろんな理由が重なったから。
今かいている記事は、とても内容はきれいではなくてごちゃごちゃしていて、到底アップできたもんじゃないな、と思う。かきながら、ね。笑
◎前回かいたnoteから1ヶ月が経とうとしていた
◎仕事の休憩時間に本を読みながら涙を流していた
◎いつもよりかなり早めに寝床についた
こんなに好条件が揃っているのだ。かかない理由は、"たいせつな人と電話する"くらいしか見当たらない。
休憩時間中に読んだ本でいつの間にか涙を流していたのは、かなり感情が動いていてとても気持ちが良かった。
何かに気が付きそうで、いや、気付いてしまった、だけれどその気付いた事柄に対して動ける自分が今此処にいるかどうかは定かではない。
なんとなくの自分の今の立ち位置、からの多分私が求めているだろう自分自身の動き方、みたいなのをふわ〜と感じた気がする。ちょこっとだけ琴線に触れた気がする。
というのも、
"職場の休憩時間"というところがかなりのキーな気がするのだ。
"大学の休憩時間"にも同じようなことがあった。すっごく覚えている。その時は植松努さんの本だった。
最近少しずつ息がしづらくなってきたなあと感じている職場。
私の働いている事務所にいるひとりひとりは嫌いではないが、全体的な空気感に少しずつストレスをチクチク感じている。ストレス因子が生理中にはとても分かりやすい。面白い。
なんてたって、日に日に生理痛が増しているのだ。あれだけ日本各地を痛みなく旅暮らししてきた私だ。すごい身体の変わりようにびっくりするし、世の社会人の女性はこんなにも痛みとしんどさと生きづらさとストレスとイライラと闘っているのだと、ようやく分かった。でももう懲り懲りだ。
自分の満足いく睡眠と、心地よい人間たちとの触れ合い、そしてたいせつに味わいたい美味しい時間、私がわたしをたいせつにできる豊かな時間。
これが私には必要だ。
これを無くして生きていようものならば、"生きている"にならないし、きっと"生きたい"と思えなくなる気がする。
自分を好きになろうとか、認めてあげようとか
そういうの最近たくさん見るけど、なんかそんなのよくわかんないし、どうでもいいなと思っちゃう。
自分の心と身体が喜んでることをちゃんと自分が気付いてあげて、その場所へ連れて行ってあげる。
自分が好きなものとか嫌いなものとかをちゃんと把握する。
なんかもやもやしてるときは、多分これしたらすっきりするとか、そういうの。知っとくといい。
なるべく人間に寄りかかるものではなくて、1人でレバーを回して蓄電や放電できる感じのやつ。
それをめーいっぱいして、色々感じたら、人間に触れ合う。言葉にして伝えて受け取ってもらう。
あー、どんどん私の心も身体も分厚くなっていってるかなあ。
心も身体ものびのびと。おーきく。
無理しすぎず無理してみて、きっと大丈夫。
またねー
もも
いただいたサポートで美味しいメロンパンを買いたいと思います。(^^)