まとめ読みがオススメな『1984年』と『侍女の物語』をざっと味わう方法。
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』を読みました。
有名なディストピア小説ですよね。
『侍女の物語』は1985年にカナダの作家マーガレット・アトウッドが上梓しました。この作品はジョージ・オーウェル『1984年』の姉妹篇とも評されています。ところが、わたしはその事実知らずに『侍女の物語』を読み始めました。原作の小説ではなく、グラフィックノベル版を読みました。
グラフィックノベルとはコミックを指すのだけれど、アメコミとは区別して、このように呼ばれているらしい。この『侍女の物語』でもそうだけど、グラフィックノベルには「単独作品で、文学的である」も含意されています。確かにルネー・ノールト女史の書くグラフィックノベル版『侍女の物語』は、全頁カラー、水彩タッチで、上品で知的さが溢れています。
さて、読んだものの、この作品をやすやすと語るのは難しい。
そもそも、わたしはジョージ・オーウェル『1984年』を読んだことがありません。『1984年』の姉妹篇と言われても、その姉を知りません。
原作『1984年』を読み通すのは積ん読として、ひとまず森泉岳土版コミックで読みました。
『螢』と『1984年』合わせて110ページほど。森泉さんの作風は、絵で語りすぎない。だからこそ、『1984年』の骨格があらわになります。
そのあと、"中田敦彦のYouTube大学"を見ました。
この動画は公開された時に見ました。そのときは現代SFの基礎教養程度しか感じず、印象に残りませんでした。中田さんには申し訳無いけれど、森泉岳土版コミックの方が『1984年』となり得ています。
次に、"アサヒ 音楽と文学は色ガラス さん"さんの「大いに誤解されているジョージ・オーウェル『1984年』、本当はこういう小説です」
『1984年』は、さまざまなメディアや作品で引用・オマージュされているので、なんとなく予想はできていました。『1984年』は現代の作品や言説に溶け込んでいるんです。改めて、『1984年』をストーリを含めて知ると、そのガジェット感への印象はより濃くなります。
アサヒさんの動画を見て、『1984年』には、やはり付録「ニュースピークの諸原理」がついていた、と分かりました。
※ 森泉岳土版コミックには付録部がありません。
『侍女の物語』にも付録にあたる「『侍女の物語』の歴史的背景に関する注釈」があります。『1984年』では付録「ニュースピークの諸原理」です。
※ クリエイティブ・コモンズで翻訳を公開されている方がいます。『1984年』の全訳をこちらで読めます。
さて、『1984年』に寄り道し、『侍女の物語』に戻ってきました。
とはいえ、やはり語るのは難しい。
『侍女の物語』は、『1984年』以上に、男が口出しできない、女性作家ならではの事柄が込められているからです。
※ 原作とグラフィックノベル版はいずれも、斎藤英治さんが翻訳をされています。
原作の書籍 落合恵子さんによる解説もあります。落合恵子さんは次のように語ります。
そう、ディストピア世界と指すまでもなく、リアルな世界でも見え隠れしている。
読書しているとき、読み終えたとき、次の言葉に身体が澱まされる。
読んで良かったのか、読まなかったほうが良かったのか。
1つ付け加えると、グラフィックノベル版を読まれた方も、少なくとも原作の付録「『侍女の物語』の歴史的背景に関する注釈」を読まれた方がいいです。グラフィックノベル版の付録部分は簡素になっており、想像力が豊かな方でないと状況を把握できないと思います。原作小説の付録は、文庫で22ページです。
『侍女の物語』の続編が出てますよね。これも積ん読ですね。