無個性だと言われた私の話
「言い方悪いけど、○○って無個性だからね」
実の父親からの何気ない一言。
父は、私を傷つける目的で放った言葉ではないかもしれないが、私は傷ついた。
その理由は、私が一番知っている。
図星だったからだ。
今回は、そんな私の話をしたい。
私は3つ年上の兄がいる。
その兄は、生まれながらにし沢山の持病があった。
出生時点で、少し小柄だった彼は、アトピー、喘息、多くのアレルギー持ちであった。
その3年後に生まれた私は、健康優良児。
親の手がかからなかったそう。
そして成長していく段階でも、手がかからないだけでなく、私自身も手をかけないようにと無理をしていた。
兄が食べれないものがあれば、私が食べる。
兄ができないことがあれば、私がする。
そして、兄はすぐ体を壊す。
緊急病院に駆け込む母親を、小さな私は何回も見た。
親の興味関心は兄にあった。
そんな家族を横目に、幼かった私は沢山の怪我をした。(ただの不注意によるものもある)
そうすれば、親が私に向くからだ。
度重なる怪我により、私は親の興味を引いてきた。
どうにか親の目に入ろうとしていた。
思春期に入り、兄の病気も落ち着くようになった。
しかし、親の興味関心は未だ兄のままだった。
新たな問題がやってくる。
勉強はしない兄。
運動もやりたくない兄。
時間にルーズな兄。
やりたいことはとことんにやりたい兄。
集中したら話しかけても何も聞こえない兄。
ゲームが大好きな兄。
だんだん思春期に入り、いじめられるようになる兄。
親からしたら、病気が良くなっても、兄は手のかかる子だった。
そこから私は手をかけまいと兄を反面教師とし、生きてきた。
勉強は言われる前にやり、
時間、ルールはしっかりと守り、
ほどほどに勉強、運動をし、全て平均以上にできた。
人並みというのは、私にとって楽なことだった。
父が言った「無個性」という言葉。
あなたには言われたくなかった。
私が無個性であるという現実を作ったのは、れっきとしたあなたの仕業なのである。
何かがすば抜けることのない私。
人は全てを平均以上にできる私を羨むかもしれないが、私はそれがコンプレックスなのである。
これが私だと言えるものが欲しかった。
無個性だと言われることなく生きたかった。
個性を伸ばすことのできる環境にいたかった。
こんなことを思いながら、私は今日も生きていく。