2022 キリンジ「愛のCoda」に関する一考察
https://www.youtube.com/watch?v=AG9aLSrJSmc
この曲の話をするとき、最愛の人について話すのと同じ恐怖を感じる。
キリンジの「エイリアンズ」を初めて聴いたのは、車内でラジオを流していたときのことだった。この曲が出てまもなくの話なので、2000年初頭のころだろう。
「いい曲だな」と思ったが、長いあいだ私はこの曲を忘れていた。
ふたたび思い出したのは、秦基博のカバーからだった。
すこし迂回した形で私はキリンジの曲を聴き始めた。
私が聴き始めた当初、弟でヴォーカルの堀込泰行はキリンジをすでに脱退していた。
兄弟で曲を作っていたころのキリンジで、弟の最高傑作は「エイリアンズ」だが、兄の堀込高樹の最高傑作は「愛のCoda」だと私は思う。
最初、曲を聞き流しながら、私の好きな街の歌だねと思った。
私には街の出てくる歌を偏愛する傾向があって、スピッツの「田舎の生活」では
というフレーズが好きで、山崎まさよしの「untitled」では
に引っかかり、「愛のCoda」では
ここで私はこの歌に落ちた。垂直に、頭から吸い込まれるように。
私には、ある曲を好きになったらそれをずっと聴き続ける癖がある。
雨の山道を登る車中でこの歌をリピートして、
「ほんとにモノクロだな」と車窓に広がる雨雲を見て思ったり、
信号待ちの車内で「そういうどちらともつかない思いってあるよなあ」としみじみ考えたりした。
この曲の主人公は、雨の空港から遠い土地へ旅立とうとしている。
ここで主人公が行くのは遠く離れた別の世界なのだとわかる。
主人公はある人の面影を心に残している。
短い期間で激しく求め合い、何らかの理由で途切れてしまった恋をしている。
主人公はたぶん恋愛を華麗にこなせるタイプではないのだろう。
ひとつの恋に一生蹴つまづいてしまう、不器用な人間に見える。
私は今この歌をバラバラに語っているのだけれど、私が何となく理解した順番で話をしている。
一番のサビの部分。
思い人と春に恋に落ちて、夏か秋に離れてしまった、その主人公が
「春をやり過ごす」ために地の果てに旅立つ。
おそらく主人公は春にこの国にいるのが耐えられないのだ。
最愛の人がいる春を思い出すことが。
「すべてを覆いかくす雲の上で 静けさに包まれていよう」
主人公は静けさの下に、心を残しながらもたぶん二度と会えない人への想いを秘めている。
悲しみを胸に沈めて笑う人を見ているような気分だ。
今あなたは笑っているけれども、心の奥底にものすごい絶望があるのではないですか、と聞いてみたくなる。
好きな人への想いが透けて見える一節。
孤独で誇り高く、そして脆いかもしれない恋人を気にかける主人公の温かさを感じる。
そしてひとりで歩き続ける恋人の虚勢を感じながらも、どうすることもできない静かな苦しみが滲み出ているような気がする。
夜寝る前に「あさきゆめみし、そうか源氏物語か!」と思いつき、次の朝「『あさきゆめみし』は源氏物語の漫画の題名だ。『あさきゆめみし ゑひもせす』はいろは歌じゃん」とひとりで反省した。
そして主人公が恋人のことを本質的なものが見える人間だと思っているんだろうな、とうっすらと感じた。
主人公は孤独とともに遠い土地へ旅立っていく。
この国や好きな人への想いを断ち切れず、かといって思い人を自分の手で幸せにすることもできない諦観と絶望を抱えながら。
YouTubeの動画のコメントで堀込高樹氏にインタビューした方の投稿がある。
堀込氏が今では「愛のCoda」のようなリアルな恋愛の曲は作れないというような話をされていたというコメントだった。
それに別の方がまたコメントをつけていて、この飛び散った言葉をリアルだと表現するのかという話が書いてあった。
私にとってこの曲は恐ろしくリアルな恋愛の歌だ。
思い人への郷愁。
叶わぬ想いを胸に持ち続ける絶望と希望。
激情をむりやり呑み込んだあとの諦観と静けさ。
来世でしか成就しない恋愛を夢見て生きている人の哀しみと喜び。
その手触りをありありと感じる歌だ。