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ゼネコンがあんがい昔からSDGsだった話

この話はフィクションであり、事実に基づくことの無い架空の話です。

太郎の育った業界

ゼネコンとは総合建設業、『General Contractor』の略です。
建築、土木はもとよりそれに伴う資機材の購買から新開発まで、そして一連に携わる『人』の育成まで行う建設を一から十まで考え行う業界です。

そしてこのゼネコンは世間が今ほど『サステナビリティ』なんて言葉をもてはやす以前からそんなことを考えながら仕事をしていたのです。

太郎は何も知らぬままにそんな世界に飛び込み自身の半生を業界で生き、その中で繰り広げられた人と人の戦いに巻き込まれながらも多くの優秀な技術屋や営業マンたちによって一人前に育て上げられました。

今回はその中のほんの一部、地方都市の営業所に配属された太郎が40年も前にの見聞きして知った一部の勇気と知恵を持つ男たちの行ったSDGsにもつながる仕事の話です。


登場人物

・所長:太郎が事務屋時代世話になった某営業所の所長
    このゼネコンの創設時メンバーの一人の息子であり、裕福な家庭に
    育ちながらもこの難しい地域の裏社会まで知る仕事の出来る所長で
    あった。

・課長:太郎の社会人で初めての上司
    この地域で育った独特の閉鎖性を持ちながら上手に所長を利用して
    昇進していったズルい事務課長である。
    年配の独身女性社員をいじめ抜き、辛抱できなくなった太郎が口を
    開くと矛先は太郎に向いた。
    姑息な手口で太郎をいじめるとにかくイヤな事務課長。

・太郎:大学を卒業して半年間本社で研修を受けてこの営業所に配属された
    新入社員。所長の息子とは同期入社で所長に非常に可愛がられる。
    後に営業マンに転身する。


始まりはよくある工事反対運動

どこで建設計画をしても近隣住民の100%賛成の工事ってのは無いのだが、そこでの反対運動は強烈だった。

計画されたのは特別養護老人ホーム、それもかなり大規模のものであった。
全ての人間に必要とされる高齢者介護施設は『嫌悪施設』としてだいたいどこでも嫌がられる。
身勝手な人間たちの総論賛成各論反対なのである。

山の中腹に計画されたその場所に行き着くにはある町内をダンプをはじめとする工事車両が行き来をしなければならない。
それを絶対に認めないというのである。
そして、その町内に課長が住んでいたのである。
ただ黙って住んでいりゃあ、まだ許されたが、反対する首謀者にいろいろアドバイスを入れていたとあとから情報が入って来た。

最後には会社から示談金を取る皮算用で会社の情報を取り、首謀者と付き合っていたようである。


所長の判断はSDGs

とにかくその時は計画は進めなければならないのに前にも後ろにも進めることの出来ない状態だった。
作業所所長だけではどうすることも出来ないところまで追い詰められて、話は営業所長にまで上がってきた。

所長の考えは明快だった。
「押してダメなら引くか」と。
何を言い出すかと思いきやそのまま某ゼネコンにいって一番の責任者と話をつけて来たと言った。

実は某ゼネコンが計画地の山の反対側で200ヘクタール(東京ディズニーランド敷地4個分)に近い造成工事を行っていたのである。
そこまで取付道路を作り、工事で出る土砂を搬出する計画だった。

そこを通って残土処分地に廃棄に行くのかと思っていたらそんな単純な話じゃなかった。
その造成地に出た土砂を撒く、という作戦だったのである。
土木屋の計算では搬出土砂を200ヘクタールに撒けば造成計画の誤差以内の数センチにも満たない搬入になるということだった。

無駄の無いSDGsにもつながる判断をし、某ゼネコンと話をつけてきたのである。

とにかくそれで反対する地元町内を工事関係車両は通行すること無しに工事は竣工した。
今ではその地元住民の老人ホームへの入居者もいると聞く。
人間ってのはそんな都合のいいものなのである。

太郎はこの所長が亡くなるまで付き合いをした。
所長は60歳で会社をやめて自宅から自動車で小一時間ほどの場所にアトリエを置き、絵を描き、陶芸をし、野菜を作っていた。
ゼネコンを辞めて違う会社の営業マンだった太郎は時々行き、仕事の経験談を聞いて野菜をもらって帰った。
所長は64歳で亡くなった。


最後は人間である

違うゼネコン同士でこんなやり取りは通常あり得ない。
もう時効であろうが、事実が知れれば発注者もいい顔はしないであろう。
建設業界の中で以前はよく密談で動く話が囁かれたが、実際そんなこともあったかも知れない。

しかし、この件に関して言えば大量の搬出土砂をダンプで運び出すことによって近隣住民に被害を与えること無く、ダンプの排出するCO2も無く、工事期間も短くなり、無駄になる予定だった土砂もそのまま活かすことが出来たのである。
そんな話を違う会社同士で付けるのには普段からの付き合いが無ければ出来ることではない。
マンション建設だけに特化した会社では無理である。
土木も、建築もその間に溝を作らず横断する考えを持てるからこんな発想に結び付いたのである。
そして、人間の付き合いがあって初めて成立した話なのである。

太郎は所長から「最後は人間関係だぞ。」と、言われたのをいつまでも忘れない。

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