豆をくえ節分立春春のうた
子どもの頃に季節の移ろいを意識したことなどあっただろうか。
木の先の可愛らしい芽がふくらむのを目にして「ああ、春がきたな」とか、街を歩く時の頬にあたる空気の冷たさが欠けてきて「もうじき春なんだな」なんて感じることである。
ある程度歳を取ってくると、って言うか大抵の年寄りは生まれる前くらいからそんな事は感じてきたよと、したり顔で物申される。私も含めて大抵は歳とともに脳に根付いた知識に過ぎないのではないだろうか。
そんな年寄りのなかでも、私は出来の悪い子どもだったのだろう。この時期兄と豆まきをした記憶が朧にあるが、季節など感じたことはなかった。そして、基本的にこういった年中行事が苦手であるから記憶に残っているだけだと思う。
こんな事がめんどくさいのである。そのくせ社会人となり組織に入ってからは「宮島さんはさすがA型の乙女座だ」と根拠の無い言いがかりを皆に付けられるくらい普通にそんな行事には加わった。
母が用意した煎り大豆を撒き、撒いた大豆を拾い集めて歳の数だけ食べなきゃならないのがたまらなく嫌だった。今ではそうでもないのだが、その頃そんなに豆が食べたくなかった。殻に収まった落花生も家にはよくあったがそれも好きじゃなかった。歯と歯の間に残るのが気持ち悪かったのだ。しかし、ピスタチオはそうじゃなかった。中学時代だったと思う。父が長期に渡ってイランにいた。たまに帰ると荷物の中にピスタチオが入っていた。それが初めての出会いである。裂けた割れ目に爪をかけて中身を出し、薄皮とともに口に放り込む。煎り大豆ほど固くなく、落花生よりもコクがあった。今スーパーで見かけるのより粒が大きかったように思う。殻でルアーを作ったから間違いない。たまに帰る父というよりピスタチオが嬉しかった。
季節感の無かった私は本で目にする季節の具体を、してきた経験と照合して振り返りながら腑に落としていったんだと思う。
それにしてもいまだにその名を残す俳人・歌人の季節に対する感覚はすごいと思う。でも、考えればたいていの先達はそれなりにお歳を召した方ばかりである。生まれ持った感性はあったのだろうが、そういう枠にはまって育って来て身に纏っていったのではないのだろうかと思う。
春のうた、童謡・唱歌は子どもの頃から好きであった。「早春賦」「春の小川」「春よ来い」「どこかで春が」「朧月夜」など今でもそらんじるこれらには子どもの私にでも想像できる春の景色があり、その曲も歌声も春を感じさせるものであった。
今の子ども達はそんな春のうたを耳にしているのか気になる。
エセ関西人である私は今年も節分に恵方巻を頬張り、豆を齧る。そして、熱い日本酒で流し込み春を迎えるのである。
節分、そして立春、これからやって来るこの春を私は胃袋も動員して五感で楽しむのである。
※ヘッダー写真はたまに行く難波地下街の立ち食い串カツ屋、春キャベツが出て来ると季節を感じてなんだか嬉しい。
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