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夏を炒める

大根の旬を外れたこの季節荒目におろして飲む酒薫る

この時期の大根は旬ではない。でも私は嫌いではない。冬の弾けるようなみずみずしさを持つ大根とは品種が違うのであろう。スーパーで目についたなんだか元気の無い大根を家に連れて帰り、おろしてガラスの器に盛るのである。そしてジャコか瓶詰のなめ茸をのせて、たらす醤油は気持ちばかり、酒は冷でも熱燗でもいい。それで私の夏はやって来る。

私の知るその頃の三河の夏は爽やかだった。朝早くから内海である三河湾の防波堤で一人釣り糸を垂らした。潮の匂いを全身で感じまだ冷たいコンクリートに腰をかけて釣り竿の先にある糸の一点で海と同化した。魚など釣れなくともよかったのである。海を感じ、夏を感じ、自分の存在を感じていた。
そして海風が途切れる頃母の用意してくれた包み紙を開く。母の作った握り飯にはデカく塩辛い焼き鮭が入り三河湾の海苔に包まれ真っ黒だった。そして傍には母の漬けた三河田原の青首大根の黄色くない沢庵漬けか、東海漬物のきゅうりのキューちゃんが座っていた。塩辛い握り飯と塩辛い漬物で暑い夏を乗り越えさせようという母の作戦だったのであろうか。

それに比べると私の作る料理に塩辛さのパンチは無い。大根の皮は厚くむいて刻んで炒めるのであるが、私の作る大根の皮のきんぴらに母の味の面影など無い。オリーブ油で大根の皮を炒め、仕上げにフライパンで醤油を焦がし、黒胡椒をふる。この甘辛い大根の皮をもうずいぶん長く食べてきた。大根の旬の冬にももちろん口にするが、これは私の夏の味なのかも知れない。大根をおろし燗酒を付けて夏の大根の皮を炒めて故郷を思う。私の心に三河湾の浜風が薫り、いつも塩辛いまあるい握り飯が心に浮かぶ。そして、施設暮らしをする兄の顔が浮かび一つため息が出るのである。

盛夏、そんな言葉がピッタリなこの季節に私は夏を炒める。汗をかき酒を飲み、汗をかきそして夏を食う。こんな作業をあと何度私は繰り返すことができるのであろう。
盛夏、それは私のため息の夏でもある。

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