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利き手利き腕の話
合気道の稽古ではどの技にも左右があり、前・後ろがあったりする。
誰もが利き手を持つ、私は右利きであるから右手が主となる右の技がやり易いはずであるが今は左右の差異は感じない。
受け身も左右での不自由を感じたことは無い。
40年近くも同じことを繰り返し続けてきたから当たり前と言えば当たり前である。
道場の皆さんを見ていると、技も受け身も左右どちらかにやりにくさを感じているようである。
ここら辺が上達の度合いの尺度ともなろう。
技は左右自在に捌けなければならない。
毎回同じ事を繰り返し、しかも左右を行う稽古の大切さがここにある。
咄嗟の攻撃はどこから来るかわからない。
だから単調な動きを繰り返し行い稽古しなければならない。
基本の動きを繰り返すのが稽古であり、いつしか意識せずとも茶わんを持ち、箸を自在にあやつって飯を食うように技が出てくるようになる。
そのための稽古だと思っている。
しかも左右に違和感なくである。
普段から左手も右手と同様に使えれば日常生活においての利便性も増すはずである。
箸を使う、ハサミを使う、鉛筆を握る。
左利きを矯正させられた中学校の同級生が左右どちらの手でも筆記出来ることを知り、羨ましく思ったことがある。
でも筆記だけではなく、すべての日常生活を左右自在に使う同級生はいなかった。
人の身体は不思議である。
母に「左に心臓があるから右利きなのよ、とっさに自分で心臓を守ろうとしたら右手がおさえ易いのは左胸でしょ」と言われ自分で手を持っていくと、右手で右胸は押さえにくかった。
社会人になってから右胸に心臓を持つ男と出会ったが、彼は左利きだった。
そんなことを思い出しながら阿倍野でネパールカレーを食べた。
調子に乗って頼んだ激辛は右手で食べても左手で食べてみても変わらず激辛だった。
私には日常生活ではスプーンを使うことくらいが関の山である。
ちなみに2019年年末に他界した我が家の愛猫トラの不意に繰り出す猫パンチはいつも右であった。
どうやら彼は右利きのようであった。
10キロの巨体で2メートルの門柱の上からカラスに襲い掛かる巨大ネコハンターであった。
犬とケンカして血だらけで帰ってくると、一週間ほど眠り続け自身で治癒させていた。
野生の血が多かったのかも知れない。
そんなトラをいつも羨ましく思っていた。