キング・オブ・コント2023「や団」のネタ【哲学エッセイ】
キング・オブ・コント2023にて、昨年度もファイナリストに残ったや団というトリオが今年も歩を進めた。残念ながら2ndステージに上がることはできなかったものの今年も5位と高水準。個人的には去年からお気に入りのお笑い芸人である。
今年のや団ネタはすでにや団の公式youtube CHで上がっていたので上の動画を見てもらいたい。
このコントは演劇の稽古を舞台設定にいかにもデキる演出家(ロングサイズ伊藤)が登場し、二人の稽古をつけていく。だがこの演出家とにかく意識が高い、横文字を使いまくる。そこで演劇見習いの二人は意識高い系言葉がよくわからないまま演技に入る───
といった内容なのだが、ここからが本題である。この演出家の使う意識高い系言葉に哲学用語がでてくるのだ.
タウマゼイン
ここで出てくるタウマゼインとは”驚愕、驚き”という意味だ(のちのちコント内でも解説はされる)。哲学も何も知らない人が聞けばそれまでの意識高い系横文字の一種のようだが、もっと非道い。なんせこの単語古代ギリシア語由来である。(だからこそ本当に誰も知らないという笑いになるのだが)
タウマゼインとは哲学における重要な命題”なぜ何もないのではなく何かがあるのか”(ライプニッツ)に関連する観念である。それは古代ギリシア哲学者のプラトンやそれ以前にまで遡る事ができるが、驚愕こそ哲学のはじまりとしたのはプラトン及びその弟子アリストテレスだろう。
ではいったい何に対する驚愕が哲学のはじまりなのか?それこそが”なぜ何もないのではなく、何かがあるのか”という哲学的命題=存在に対する驚愕である。何かが存在するというのはどういうことなのか?なぜ存在するのか?これらは哲学の歴史において2000年以上前から現在に至るまで問い続けられてきた存在論という重要な分野を哲学に作り出した。
そしてこの存在について考えることこそ知的探求の始まりとされ、「知的探求の始まりとしての驚愕」(wikipedia,[タウマゼイン]より引用)は哲学史においてたびたび取り上げられる事となる。
さて、すこしコントの内容に戻ろう。
演技を舐め腐ったようなグレーのジャージを着た演劇員(中嶋)は彼女失踪の演技にタウマゼインを求められても全く驚愕もなにもしない。そのことに腹を立てた演出家に灰皿を投げられ、
と別の演技になっていたことを責められる。ここでもアポリアという横文字が登場した。またも分けの分からない用語が笑いを誘う。ところでこのアポリアも古代ギリシア語由来であり、かつ哲学の重要な術語でもあるものだ。
アポリア
アポリアとはプラトンの著書において度々登場する術語で、プラトンらしさというよりはソクラテスらしさに通じる単語でもある。
ソクラテスはよく古代ギリシア版ひろゆきなどとネット上で言われたりもする。それはソクラテスが専門家と名乗る人々のところに現れては彼らが本当に自分が専門にしていることを知っているのかのレスバを吹っかけていたからだ。
ソクラテス哲学は”無知の知”と呼ばれ、”何も知らないことを知っている”という帰結になるとよく言われる。だが、プラトンの書に登場するソクラテスは直接は無知の知について言及する箇所は少ない。その代わりよく、作品の結末部分でソクラテスのレスバ相手は様々な定義付けがソクラテスに批判され、定義づけがうまく行かなくなり「途方に暮れてしまったようだね(行き詰まったようだね)」、などと言れてお開きになるパターンが多い。
この途方に暮れるというのがアポリアの意味である。古代ギリシャ語ではἀπορɛίαと書き、意味はπορια(道)に否定の接頭辞α-がつくことで「道がない=途方に暮れる、行き詰まりになる」という意味になる。単に「困惑」とも訳される。
このアポリアという術語はその後アリストテレスにも引き継がれ、哲学的術語としても定着した。哲学としての用法は哲学的な難題につきあたり、それ以上は前提を見直さない限り論を進めることができなくなるという状態を指すものだ。アリストテレスはこれを哲学的探求のやり方として考えた。
さて、再びコントの話に戻ろう。
コントの中ではこのタウマゼインは単に驚愕を言い換えたものだし、アポリアも哲学的な論の行き詰まりというよりも感情としての「困惑」という意味で用いられているのだろう。
さすがに横文字で訳の分からない単語で指導してくる演出家が笑いになるコントを哲学的に解釈しようなどという無謀は冒さないでおこう。
その代わり、哲学を知っていて当の横文字用語に聞き覚えがあってもそれこの場面の感情としてどうなの?wという笑いがあったことだけ記して終わります。
P.S.
今年のや団のコントも面白かったが去年のコントも本当に面白かった。ぜひオススメである。