たまにはこんなことも思うわけです
私は先日まで風邪が長引き、鼻が詰まってました。
味もしなければ匂いもしない。
鼻をかむ回数も多ければ頭がボーッとすることも多かったわけです。
こんな時、なんでもないようなことが幸せだったと思う。わけですよ。
虎舞竜のロードが無駄にヒットする理由はこれですね。
そして今、鼻詰まりが解消され2日目。
まだメシを食うたびに普通に味を感じれるのが有難いと本当に思えるわけです。
普通に暮らせてることがこれほどまでに幸せかとたかが鼻詰まりが解消しただけですが、そう感じるわけです。
人生必死になって生きていたら死にたくなることもありますよね?
私も昔少なからずそんなことを考えたことが何度かあったなと思うわけです。
最近は暗いニュースも多いのでたまにはこんなことも考えさせられます。
今思えば生きるのを諦めたくなるようなことか?と思うわけですが、あの頃は自分の目で見える世界が全てだったわけです。
若いうちに人生の中での大きな決断を何度か経験しました。
その度に人に優しくなれたり、強くなれたり、綺麗になれたりかっこよくなれたりするわけです。
自分が幸せかどうかなんていうのは鼻が詰まっているか解消したかぐらいの話ですが、
親や友人や恋人など他人の幸せを考えると鼻詰まりどころじゃなくなってくるわけです。
人は人のために生きなければならない生物ですよきっと。
人のために生きて、人のために生きる人たちに支えられて生きる。
そんな人が魅力的な人間なのかなと思うわけです。
なんでもないようなことが幸せだったと思える。
虎舞竜(トラブル)があってから気づく事もあります。
苦労度(ロード)や過労度(ロード)が蓄積してから気づく事もあります。
あなたの満たされない欲求は鼻詰まりが通るぐらいの幸せでは一杯にならないかもしれません。
ただ他人の幸せまで幸せに感じることができたなら、あなたの周りの人50人ぐらいの鼻が通りだした小さな幸せの積み重ねで、満たされるかもしれないわけですね。
今、目の前に座るカップルが幸せそうにイチャイチャしてます。
公共の場でイチャイチャするな。
と今の私は正直思ってしまうわけですが、
人の幸せも共有できる人間になれたなら、
人のために生きることができたなら、
個人の感情で人生を諦めるようなことのない素晴らしいロードが歩めるだろうなと常人(ジョージ)ながら思う、今日この頃なわけです。
(無駄な高橋ジョージ愛は無視して再度お読み頂くことをオススメします)