#ラストマイル ~物流2024年問題とその裏にある現代社会の歪を考える~
はじめに ~もう一度あのキャラクターたちに会えた! 感無量!~
ようやくラストマイルを観に行くことができた。
アンナチュラルもMIU404もリアルタイムで見ていたので、ふたつのドラマの登場人物たちにもう一度会えるというだけで感無量だった。
それだけで正直、この映画を見る価値があったし、この映画を作ってくれたことに感謝だった。
アンナチュラルとMIU404のテーマ曲が流れた瞬間、冗談抜きで鳥肌が立った……!
個人的には、志摩と伊吹にもう一度会えたことは劇場内で声が出そうなほど感動したのに、ミコト、中堂さん、東海林はむしろ「2018年から私たち変わらずここにいますけど?」とでも言いそうなくらい何も変わらなくて、それがあまりに「普通」で、一周回って「あれ、アンナチュラルってついこの間までドラマやってましたっけ?」くらいな感覚になってしまって。
ふたつのドラマで受け取り方が違うのも、また面白かった(笑)
とはいえ、そうは言ってもやはりこの映画は「ラストマイル」である。
その視点からこの映画の感想を述べたいと思う。
テーマはとても分かりやすい。物流2024年問題を題材に、爆弾テロ事件を描く。
しかし、「物流」を起点として、マクロな視点から現在の社会の歪を浮かび上がらせ、観客に問題提起しようとする視点が見事である。
私はこの映画に、「物流2024年問題」は「物流業界に属さない私たちにとっても、決して他人事ではない」というメッセージと、「その裏には現代社会における様々な歪(ひずみ)があり、結果としてそれが物流業界に集約されているのではないか」という問題提起を感じ取った。
それは決して「ミステリー映画の考察」ではないのかもしれないけれど、この映画を理解していく上では何かの参考になるかもしれないので、妄想や想像による補完も多いと断りを入れた上で、語っていきたいと思う。
※この感想は映画を見た初回の感想のため、事実誤認が含まれる可能性があります。
※この先はネタバレを多数含みますので、ご了承ください。
1 グローバル化における日本企業と外資系企業の歪
アンナチュラル、MIU404とのシェアードユニーバスが見所のひとつとなる本作であるが、ラストマイルオリジナルのキャラクターも多数登場する。
その中でも注目すべきは、シークレット(という扱いで良いのか?)として登場する中村倫也演じる山崎佑であろう。
山崎は本作の舞台となるDAILY FASTに入社するも、「ブラックフライデーが怖い」と言い謎の飛び降りを図る、本作における一連の事件のきっかけを作る人物である。
山崎は何故飛び降りたのか。山崎と爆弾テロ事件につながりはあるのか。志摩、伊吹をはじめとした機動捜査隊の面々が捜査に加わり、物語は進展していく。
まず気になったのは山崎の生年月日、正確に言うと誕生年である。
私の記憶が間違っていなければ彼の免許証には昭和62年生まれとあった。
このことが示唆するのは、ストレートで大学を卒業すると2010年就職となり、つまりリーマンショックで打撃を受け、氷河期となった最初の世代である。
山崎が飛び降りを図ったのは(劇中の時期がいささか不明であるが、仮に2024年だとすると)その5年前、2019年である。
DAILY FASTにおける履歴カードもエレナが削除する際に一瞬映るが、山崎が新卒から9年間をDAIRY FASTで過ごした気配はない。
リーマンショックの就活難の中で、なんとか(もしかしたら不本意ながらに)就職を果たしたあと、転職組として外資系のDAILY FASTに入社したのではないかと思った。
つまり、梨本孔と同様の転職組なのではないだろうか。
そうした中で、最初は良かったのかもしれないが、徐々に成果主義、効率主義の在り方に心を病み、追い詰められてしまう。
ここにこのドラマが問題提起する一つ目の「歪み」を感じさせられる。
転職というのはつまり、より良い環境を求めた結果である。
劇中で梨本孔が前職は「セキュリティソフトを作る会社にいたこと」「ホワイトハッカーであったこと」を語る。
しかし、彼は「古き良き日本企業」にある「決められた以外の業務もやらされる」ことに嫌気が差し、外資系企業であるDAILY FASTに転職したのだ。
ここから、山崎佑ももしかしたらそうだったのではないか、と考えずにはいられない。
しかし、山崎は「理想を追い求めた外資系」において、彼は自らの心をすり減らし、大いなる人間の欲望に飲み込まれてしまう。
その結果、植物人間状態となってしまう。ここに人間社会の業の深さと皮肉、そして搾取すら感じさせられる。
2.「ブラックフライデー(黒字の金曜日)」という歪
山崎は飛び降りる前に「ブラックフライデーが怖い」と呟いたという。
本作の時間軸もまたブラックフライデーが開始される金曜日だ。
ECを始めとした小売、そして物流業界がピークを迎える時期は、他にもいくつかある。
例えば、日本で言えばクリスマス年末商戦や、あるいはショッピングモールのセール期間(楽天スーパーセールやQoo10メガ割)の方が親近感があるのではないだろうか。
しかし、本作ではあえて「ブラックフライデー」を選んでいる。
ブラックフライデーを選んだのは、このセールはアメリカを中心とした海外発祥のものであること、DAILY FASTがアメリカ本社の企業であり、日本はあくまでブランチという扱いであるというマクロな構図を浮き彫りにしたかったことが大きいと思うが、何よりも「サプライヤー側の利益追求を主としたセール」であることを全面に押し出している点が大きいと思う。だからこそ、過度なプレッシャーに山崎は追い込まれたのだ。
ブラックフライデーとは「黒字の金曜日」、つまり売り手に利益が出る期間なのだとはっきり言っているのである。これもまた、大いなる皮肉を感じる。
「Customer Centric」というマジックワードに振り回されて、会社の効率や利益を追い求めるがあまりに人間疎外されていく本作を象徴するようなセールである。
ここにも「利益の過度な追及」という二つ目の歪を感じる取ることができる。
3.過度な効率化と価格競争により日本から失われていくものの歪
三つ目の歪みは、現在の社会の産業構造だと感じた。
つまり、正社員は9人しかいないのに、派遣社員は月に述べ2000人以上も受け入れる物流倉庫であったり、輸送量がパンクしている、つまり需要が非常に高いのにも関わらず価格交渉すらできない、なんとか回していくために末端は業務委託に任せ、荷物をひとつ配送するごとに僅か150円しか支払わないという運送業者である。
しかしこれらは、誰かの意志でこのような産業構造となったのではなく、現代に最適化されていった結果、このような形が出来上がったと言ってもいいだろう。
その象徴が業務委託を請け負う佐野親子であり、特に息子の亘であると思う。
亘はかつて白物家電を製造する企業に勤めていたようだが、勤め先が倒産し、父と一緒に働くようになった。
昼休みをきっかり1時間取ろうとする亘に、サラリーマン時代の面影を感じる。
物語の冒頭で、亘は自らが勤めていた会社の洗濯機を見つけ、機能的に優れていた面を語る。
私がそれを見て思い出したのは、かつて存在した三洋電機のことである。
あるいは今は一部家電ブランドを売却した東芝や、台湾企業に買収されたシャープもそうかもしれない。
かつては日本国内はもとより、海外にも輸出を図ってきた日本の家電メーカーは、新興国の台頭により、価格競争に巻き込まれたものの、付加価値を生み出すことができず、経営難が相次いだ。
その結果、買収や売却が進んでいった。あるいは、海外への移転やOEM化が進んでいった。
こうした中で、現場の工場を中心に、亘のように職を失わざるを得なかった人々が多数おり、物流業界のように成長しており、人を求める業界へ流れていったのではないか。
しかし、かつては「日本のものづくり」を支えた人たちが、「外資系のショッピングサイト――それらはエレナの言葉の通り、モノを仕入れて売っているだけで、ものづくりという意味での「生み出す」ことはしていない――から出荷される商品の物流を担う」という構造なのだとマクロの視点で捉え直すと、一抹のグロテスクさと、ここにまた社会の歪を感じるのである。
また、さらに気になるのは亘の世代である。
もしかしたらパンフレットには書いてるかもしれないが、40代後半くらいではないかと推定され、そうなると亘は亘で就職氷河期世代なのではないかと思う。
常に時代の変化の中で、苦労を強いられてきた世代である。
そうした亘が倒産した後に選べた職業が、配送の業務委託だったのではないかという気もしなくもない。
以上が、私が映画を見ている中で感じた「歪(ひずみ)」である。
4.こうした歪は他人事なのか
そうして、こうした構造が何故出来上がっているかといえば、それは我々一人一人の「1円でも安く」「早く」「便利に」「欲しいものを手に入れたい」という止むことの無い欲望があるからである。
こうした欲望に応えるために外資系企業は効率化をどこまでも追い求め、巨大化し、グローバリゼーションの中で他の産業はその大きな欲望に飲み込まれつつある。
「物流2024年問題」とニュースで言われるたび、私たちはそれをどこか遠いものとして捉えているのではないか。
しかし、物流業界に働いていない者たちにとっても、それは決して無関係のものではない。
筧は無差別に11個の爆弾を仕掛けたが、エレナがサラへ最後に啖呵を切るように「爆弾はまだある」のである。
物流を介し、私たちのもとに届く荷物には、その裏に多くの歪を抱えている。
その歪は、もしかしたら今にでも「爆発」するかもしれない。
「爆弾テロ」はそうした現代の矛盾と歪の暗喩なのだ。
こうした映画の主題歌として米津玄師が提供したのが「がらくた」とは、また切れ味の良い皮肉ではないだろうか。
大きな欲望が欲しているのは本当に「『価値ある』商品」なのだろうか。
本当は「がらくた」でもいいのではないか
本当に私たちが欲しているのは、「商品」や「効率」なのではなくて、ラストマイルを届けたあとの笑顔や感謝、そのものを手渡しする瞬間に感じられる温度のあるコミュニケーションなのではないだろうか。
そういう温度のある、アナログで、効率とは真逆に位置する不器用な生き方を、米津は「がらくた」と愛をこめて呼んでいるのではないだろうか。
0.最後に
山崎はロッカーに暗号めいたメッセージを残し、飛び降りを図る。「2.7m/s」「70kg」という文字と、「0」の文字。
これはベルトコンベアに自らが落ちることで「0」になるということを言いたいのではないかと思う。
ここで思い出すのは、MIU404の最終回である。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まった2020年4月に放送されたこのドラマは、最終回だけコロナを踏まえたリアルな現代が描き出された。
その最後のシーンで、志摩と伊吹は、コロナがなければ東京オリンピックが開催されていた新国立競技場の前を通る。
上から見た国立競技場は「0(ゼロ)」に見える。
新型コロナウイルスへの恐怖と、新しい生活への戸惑い、この生活はいつまで続くのかというストレスに苛まれていたあの頃。
「0(ゼロ)」はすべてのリセットのようにも感じたし、希望のようにも思えた。
だから、この映画において、山崎が残した「0」も、ミクロで言えば「効率化」「成果主義」「それらへのプレッシャー」が止まって欲しいという願望であり、マクロな視点で言えばこうした矛盾に対する「リセット」の意味合いなのではないかと思う。
それでも、ベルトコンベアは止まることなく、この社会もリセットされることはなかった。
だからこそ、筧まりかは復讐を決意するのだ。
山崎を追い詰めた「DAILY FAST」と「欲望が巨大化する社会」を。その欲望を持つ一人一人を。
そしてそれはもっと言えば。
この「0(ゼロ)」には、脚本野木亜希子氏、新井プロデューサー、塚原監督の「問題提起」と「祈り」とすら感じる。
「Want」「Want」の求める世界でいいのか。
そこから生まれる矛盾や歪を、私たちは誰かに押し付けて、見て見ぬふりをするのか。
この映画は、「爆破テロ」をモチーフに、現代の「爆弾」をあぶり出そうとしている。