拾われ、運ばれる者としての子供
「○○は橋の下で拾ってきた子供なんだよ」と、幼い頃親に言われたことはないでしょうか。
先日、韓国の某アイドルグループが出演している動画を見ていたときのこと。メンバーがそれぞれ幼少期の写真を持ち寄り、写真にうつる当時の自分に寄せた格好をし、同じようなシチュエーションで大人になった現在の自分の姿を撮影するというのが動画の趣旨だったのですが、その動画のなかで、橋の上で撮られた写真を見せるメンバーに、他のメンバーが「橋で撮ったということは拾ってきた子かも(ニュアンス)」と冗談を言ったのです。そして、そのメンバーは幼い頃に母親に同じことを言われていたと返していました。
そのとき、この「橋(の下)で拾ってきた」という言い回しについて、私自身の経験ではないのですが、周りの友人がこのようなことを言われたことがあると話していたことを思い出しました(しかも調べてみると「橋の下」だけにとどまらず様々なバリエーションがあるそう)。どうやら日本も韓国も同じ言い回しがあるようで、驚きました。
おそらくこの言い回しは本来、言うことを聞かない子供を叱るだとかしつける際に使われるフレーズなのでしょう。子供にとって、それを言う親は、ほとんど唯一のつながりを持った存在かもしれず、自分の拠り所となる存在です。その親と、子供である自分との間にあるのが、実はその身体から産まれてきたことによって自ずから結ばれている紐帯ではなく、なんの必然性も持たない偶然の拾う/拾われる関係性であったと宣告されれば、そのショックは大きいことでしょう。そのショックを否定するために、あるいは始めからして存在しなかったのだと宣告された繋がりを新たに結ぶために、子供は自らの行いを反省し行動を改める―。というのは大げさに聞こえるかもしれませんが、それで子どもが言うことを聞くのであれば、彼らの心の内ではこのような想像が働いているのではないかと思います(すごく嫌なしつけかたですけど)。
他方で、「拾ってきた」という言い回しは、その子をからかうようなある種のユーモアとして用いることもできますね。別に子供を叱らなければいけないほどでもない状況、子供が家庭内の秩序を乱すほどのことをしたとかではなく、ほんの僅かに家族の一体感やノリからズレたとき、家族の他のメンバーはできることをできないなどといったときに、実の親子であることは自明であることを前提として、敢えてそこから距離を取るユーモアとして用いる場合です。しかしながらこのことは、ユーモアという言葉のある種の用いられ方によって、親子の関係性や距離が可変的であることを示すものでもあります。親子の絆が必ずしも常に一定の強度のまま保たれることはないのだということが、言葉の使われ方によって想像可能になってしまうのです。
だからいずれの場合も、「橋の下で拾ってきた」言説はとりわけ子供にとってはネガティヴなニュアンスで用いられている気がします。子供を叱ったりしつける目的で用いられるときはもちろんですが、逆に、子供との親密度を高めるために冗談やユーモアとして用いられる場合であっても、一時的にでも親だと信じていた存在からその繋がりを否定されるのであり、ある程度の衝撃を子供は受けるだろうからです。
さて、「橋の下で拾ってきた」言説は、このようにネガティヴな響きのある表現ですが、同じく子供が「どこかからやって来た」という言い回しでありながら、もう少しポジティヴな意味合いを持つフレーズも存在します。
それは、「コウノトリが赤ちゃんを運んできた」という言説です。例えば、幼い子供から自分がどうやって産まれてきたかを尋ねられた際に、その子がコウノトリによって親の元へ運ばれてきたのだと、親子関係の因果を子供に想像できるかたちで説明するために用いられたりします。また、子ども(赤ちゃん)とコウノトリとの結びつきは、例えば熊本市にある病院では、諸事情のために育てることができない新生児を匿名で預け、保護するシステム(いわゆる「赤ちゃんポスト」と呼ばれているもの)が「こうのとりのゆりかご」という名称が用いられているほか、日本の漫画でテレビドラマにもなった、産婦人科医が主人公の有名な医療漫画のタイトルが『コウノドリ』だったりするように、社会生活のなかで目にすることもしばしばです。「コウノトリ〜」言説が家庭においてそこまで頻繁に聞かれることはないにしても、おそらく多くの人がこのフレーズを一度は見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
先に見た「橋の下で拾ってきた」言説と違って、こちらはむしろ親子のつながりをおとぎ話のように描くことで積極的に肯定するものです(この話、ヨーロッパに由来しているそうなのですが、詳しい起源は分かりません。取り敢えずそれが日本においてもある程度広く言われているということに着目しています)。ですがいずれの場合も、子どもはどこか別の場所から親の元へ連れてこられたというような話なんですよね。子どもは他所からやって来ています。
なぜ、わざわざこうした表現を用いなければならないのでしょうか。悪いことをした子どもを咎めるために、「お前は橋で拾ってきた子なのだ」と、わざと親子の絆をそれが母から生まれてきたという生来的なものではなかったのだとして絶とうとする。これは理解できなくもないですね。
ですが、冗談やユーモアとして「橋の上〜」を持ち出す場合はどうでしょう。この場合は、親子の絆、家族の絆が元から備わっていることを確認し、補強するために、それが当たり前に存在しているのだということを前提として、わざと子どもを突き放します。子どもが「そんな訳ないでしょ。だって―」と、反論することを見越して。でも、回りくどくないですか。第一、この場合であっても、子どもの気持ちを傷つける可能性がないとは言えません。そのまま字義的に捉えてしまい、自分は母(父)の子供ではなかったのだと考えてしまう可能性だってあります。だとしたら、こんな冗談を用いずに、素直に子供を肯定すればいいはずです。
では、「コウノトリ〜」の場合はどうでしょうか。この場合は、おそらく生殖のメカニズムなど知らない子どものために、その生殖のグロテスクさを取り除きつつ、親と子のつながりを、いまこうして子どもの疑問に答える親が目の前に存在しているその理由を、子どもの気を惹きつつ、分かりやすくイメージさせるためにそれが用いられています。ではなぜ、例えばその具体的な器官の名前を言うことを避けるにしても、母の身体から生まれてきたのだと、かつては母の身体のなかにいたのだという表現を用いないのでしょうか(実際には、このように説明する保護者の方もいらっしゃることでしょう。ここで疑問なのは、それでもなお「コウノトリ〜」言説が絶えることなく流布していることの意味なのです)。まだ、親の身体への執着をみせる(髪を触る、耳たぶを触る、腕を触るなどなど)幼い子にとって、かつては親と一体だったのだという説明のほうがロマンチックに響くと思うのですが。
もし、本当は子どもが他所から拾われてくる/運ばれてくる存在なのだとしたら―?
・・・怪談話をしたいわけではありません。
最近手にとって読んだ本のなかに、とても興味を惹かれる論述がありました。それは哲学者・宮﨑裕助さんによる著書『ジャック・デリダ―死後の生を与える』です。この本の最終章で、宮﨑さんはフランスの哲学者でこの本の表題にもなっているジャック・デリダという人物が論じた家族論を取り上げています。
デリダいわく、子どもの側からすれば自分の誕生をめぐって親とのあいだに起こったことについて、どうやっても確実に知ることはできないというのです。確かに、生まれた瞬間の記憶を持っている人などいませんし、まして生まれた瞬間にたしかにその目で親の姿を捉えた子どもなどいません(生後まもない段階では、明暗を区別できても、物の形を細部まで見て取ることはできないと言われているそうです)。物心がつくにしたがって、子は親の存在をより強く感じるようになるでしょうが、その人が本当に子どもが考えているところの親かどうかは、そもそも物心がつく前のことは覚えていないので確実には言えないわけですね。
そこで例えば、現代の科学技術でDNAや遺伝子情報を調べれば、血縁関係が分かるではないかという反論ができるわけですが、こうした情報はいわば事後的に必要となるにすぎないのです。宮﨑さんは、デリダが産院での子どもの取り違え事件を例にとっていることに言及し、そうした「取り違えという事実が明るみに出たことではじめて血液型や遺伝子というエヴィデンスが持ち出されることになる」(*1)と述べています。
もちろん、そうした側面から親子の関係を説明することは可能ですし、実際に効力があります。しかし、このようなかたちで親子関係の説明が可能になったのは、比較的最近の科学技術の進歩によってです。それに対して家族の歴史はそれより遥かに長く、近年の生物学的成果が得られるよりも前から存在しているものです。その間、人類は遺伝子だとかDNAというエヴィデンス無しに(そもそもそういうものが存在しているとも明らかでないまま)、家庭を築いていたわけですから、生物学的な要因は親子関係を示すのに有効であるにしても、それだけが唯一親子や家族のつながりを保証する特権的な地位にあるわけではないということは(少々強引に言ってしまえば)すでに歴史が示しているわけですね。
実際には、血縁だけにとどまらず、さまざまな関連付けの可能性があり、それらの組み合わせによって親子や家族の絆がそれぞれに結ばれているのだと言えるでしょう。デリダは、家族の関係というものが、「信じること」であるとして説明を試みています。「信じること」というのは、おそらくおのずからそのように成るものではないことを、そうであるものとして認識しようとすること、ではないでしょうか。つまり、宮﨑さんが述べているように、「固有の確たる根拠がな」く、「あらかじめ定めうるような本質はない」(*2)ものを、それがあるように認識することなのです。だからこそ、「逆説的にではあるが、そのような根拠のなさこそが、絆へのさらなる信、さらなる愛をもたらす余地を開く」(*3)ことになるのだと論じています。
ここでデリダは、驚くような例えを使って、親子の絆について説明を試みます。彼はこのように述べています。「私の愛することができるのは或る仕方で[...]私生児だけである」(*4)、と。さらに彼は、「私の考えでは、われわれは、子供が非嫡出である限りでのみ、子供を愛することができ」、「人びとは自分自身の子供たちにおいてさえ、何か非嫡出的なもののみを愛している」(*5)のだと語っています。
ある種の他者として、子どもが存在している。そして、非嫡出子を親子として、あるいは家族として関係付ける際には、その子を認知する必要があるように、実はあらゆる親子関係も、そうした他者を私の子どもであるものとして認知することで成立していると、そう述べているものと考えられます。
「橋の下」「コウノトリ」言説にもどります。これらの言い回しに共通していたのは、いずれも子どもが他所からやって来るということでした。つまり、ここでは子どもは他者としてやって来るのです。他所からやって来た他者であるという意味で、この子は私生児であり、非嫡出子なのです。
この子は自分の子どもだが、「橋の下で拾ってきた」子どもだと言うことができる、いや、言えてしまうという、この言葉に備わった自分自身の子供であることの否定の可能性があるからこそ、あるいは実際親と子の関係はその始原からして既に他者であるからこそ、それを愛でもってそばにとどめおこうとする。親は、その子供が運ばれてくる対象(また、それを拾得できる対象)であるからこそ、つまり元からして自分に属する者ではなかったからこそ、かえって慈しむことができると解釈するのは苦しいでしょうか。
それでもやはり、形質が似ていること、遺伝子やDNAの共通要素を持つことというのは端的に親子であること、家族であることを示すエヴィデンスであることは、ある部分では正当性を持つでしょうし、完全に否定することはできません。しかし、この記事をここまで読んでくださった皆さまに、(私自身もなかなか)受け容れがたいだろうとは自覚しつつも、一点述べさせていただくとすれば、私たちはある意味で、拾われて、運ばれてきた子どもであるとも言えるのです。私たちは、どこからともなく運ばれ、橋の下で拾われたのかもしれないし、公園で拾われたのかもしれないし、薄暗い路地裏で拾われたのかもしれないし、あるいは、病院で助産師さんや親の手によって拾われたのかもしれません。運ばれ、拾われた私たちはまた、生来的に形質が似ていること、遺伝子やDNAの共通要素を持つことを規範としない家族を生きる可能性を持っていることでしょう。「橋の下」「コウノトリ」言説は、そのような唯一で絶対とされるような規範に囚われない別様な家族への想像可能性を密かに忍ばせながら、しつけの言葉として、絆を確かめる言葉として語られ続けるのです。
*1:宮﨑裕助『ジャック・デリダ―死後の生を与える』岩波書店、2020年、320頁。
*2:『ジャック・デリダ―死後の生を与える』、322頁。
*3:『ジャック・デリダ―死後の生を与える』、322頁。
*4:ジャック・デリダ(高橋允昭編訳)『他者の言語―デリダの日本講演』法政大学出版局、1989年、124頁。
*5:『他者の言語―デリダの日本講演』、124-125頁。
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