おかし

おかしなことを書くかもしれません。大目に見てください。

おかし

おかしなことを書くかもしれません。大目に見てください。

最近の記事

みかんを食べているときの人間、いちばんいとおしいかもしれない。

    • ふだんの生きること

      ¥100
      • いつ死んでもいいようにと決意しながらいまを生きているひとがいる。そのひとはーーその輪郭がはっきりとしていなくともーー死を予め視野に入れており、死を先取りして生きていて、こういってよければ予めの死を生きている。そしてこの「予め」は、卑俗な計算によって得られるものでは決して無い。

        • 手近になにもないとき、それによってなにもすることがないときに、自分がただ存在しているということの重みを実感することがあります。それは例えば、パーティー(たこパ的な)が終わって友人がみな帰ったあとの部屋で現実に引き戻されるあの瞬間に似ています。最近はそれを入眠時に感じます。

        • みかんを食べているときの人間、いちばんいとおしいかもしれない。

        • ふだんの生きること

          ¥100
        • いつ死んでもいいようにと決意しながらいまを生きているひとがいる。そのひとはーーその輪郭がはっきりとしていなくともーー死を予め視野に入れており、死を先取りして生きていて、こういってよければ予めの死を生きている。そしてこの「予め」は、卑俗な計算によって得られるものでは決して無い。

        • 手近になにもないとき、それによってなにもすることがないときに、自分がただ存在しているということの重みを実感することがあります。それは例えば、パーティー(たこパ的な)が終わって友人がみな帰ったあとの部屋で現実に引き戻されるあの瞬間に似ています。最近はそれを入眠時に感じます。

          「恋愛禁止ルール」について

          ここ最近、アイドルの「恋愛禁止ルール」がSNS上で話題になっています。例によって(?)、某有名女性アイドルグループのメンバーが熱愛(ってなに)をスクープされたことに端を発しているそうなのですが、さらにその報道への反応を受けて他のメンバーがアイドルの「恋愛禁止ルール」について発言したことで大きな反響を呼んでいるようです。せっかくなので、この件に触発されるかたちで個人的に気になっていたことを思いつくままに書いてみようと思います。 「恋愛禁止ルール」は存在しない? いきなり前提

          「恋愛禁止ルール」について

          【読書雑記】川野芽生「最果ての実り」

          ※本稿は、川野芽生『無垢なる花たちのためのユートピア』(東京創元社、2022年)所収の「最果ての実り」ついて気ままに書いた雑記です。以下、多少のネタバレを伴いますので、表題の作品をご覧になっておらず、これから読むつもりの方にあってはご注意ください。 また、以下の文章は当然のことながら私個人の読み方、解釈によるものであって、それが作品世界をすべて汲み尽くすものではないことをご理解ください。本稿を読んで、面白そうだと思ってくださり、実際に作品を手にとって読んでみようとしてくださ

          【読書雑記】川野芽生「最果ての実り」

          「敢えて」楽しむということ

          ディベートというのをやったことがある。ディベートとは、簡単に言えば(単に日本語に訳せば)討論のことだ。私がやっていた(やらされていた)ディベートは、広い意味での討論ではなく(テレビで放送されてる討論番組のようなものではなく)競技化されたもので、ある論題(大抵は社会問題など)が与えられ、それについて肯定・否定の立場から議論を戦わせるというもの。そして最終的にそれらの議論を聞いていた審判が、公正な判断のもとでどちらの立場の意見がもっともであるかを判断し、勝敗がつく。この手のディベ

          「敢えて」楽しむということ

          拾われ、運ばれる者としての子供

          「○○は橋の下で拾ってきた子供なんだよ」と、幼い頃親に言われたことはないでしょうか。 先日、韓国の某アイドルグループが出演している動画を見ていたときのこと。メンバーがそれぞれ幼少期の写真を持ち寄り、写真にうつる当時の自分に寄せた格好をし、同じようなシチュエーションで大人になった現在の自分の姿を撮影するというのが動画の趣旨だったのですが、その動画のなかで、橋の上で撮られた写真を見せるメンバーに、他のメンバーが「橋で撮ったということは拾ってきた子かも(ニュアンス)」と冗談を言っ

          拾われ、運ばれる者としての子供

          【読書雑記】年森瑛『N/A』

          ※本稿は、『文學界5月号』掲載の年森瑛『N/A』についての読書メモ、感想を書いたものです。表題の作品をご覧になっておらず、これから読むつもりの方にとってはネタバレになってしまうことと思われますので、ご注意ください。                          これは、この身体は、「わたし」のものだから。「わたし」じゃないものは何もいらない。  女子校に通うまどかがこのように強く思っているのは、「わたし」の身体を「わたし」じゃなくさせる何かが押し付けられていると感じて

          【読書雑記】年森瑛『N/A』

          【読書雑記】ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?―政治としてのエピデミック』

          ジョルジョ・アガンベン著(高桑和巳訳)『私たちはどこにいるのか?―政治としてのエピデミック』は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンが、COVID-19のパンデミックによる倫理的・政治的な帰結について書き継いできた諸論考を収めた本です。哲学者ということもあるので、本書は、COVID-19やそれによる感染症そのものを述べたというよりは、本書でアガンベン自身が断っているように、このウイルスによるパンデミックと政治や社会との関わりについて考察された著作になっています。 本書を翻

          【読書雑記】ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?―政治としてのエピデミック』

          ポカリの新CMについて思ったこと

           4月9日にポカリスエットの新CM『でも君が見えた編』が公開されました。 ポカリスエットのCMは、高校生が学校を舞台にダンスをするというCMが記憶に新しいですが、「青春」をテーマに、規模感のある、そして、CMにもかかわらず商品の説明を一切しないなど、CMというより一つの映像作品に近いものが多いですね。そしてそれらは毎回刷新されるたびに情報番組やSNSなどでしばしば話題にのぼりますが、今回作られた新たなCMも、公開されてまもなくTwitterでトレンドに上がっており、話題となっ

          ポカリの新CMについて思ったこと

          言い淀む対象から差し向けられるもの−髭男『I Love...』の感想

           去年の年末か今年の初めだったか、すでに記憶が曖昧なのだが、TBS系のテレビドラマ『恋はつづくよどこまでも』が再放送されていた。最初の放送当時から度々その話題を見聞きしたし、SNSでドラマの感想がつぶやかれていたのを目にしていたので、このドラマ自体は知っていた。なので、せっかく再放送されていることだし、観てみようと思ったのだが、申し訳ないことにわたしはそこまで作品にのめり込めなかった(そもそもちゃんと見ようとしていなかったのもある。年末年始の惰性もあって)。  代わりに、妙

          言い淀む対象から差し向けられるもの−髭男『I Love...』の感想