Look Back
好きな事が嫌いになる瞬間。
生きてる中で割とある。
絵を描くこと。小学校の先生に「この色は変だよ」と言われてから図工の時間は憂鬱だった。
バスケットボール。最初は楽しかったけど、いつも練習のかけっこがビリで怒られた。
ふとした誰かの一言や、行いで、
好きが嫌いに一変する。
書く事。読書感想文が一瞬でかけて、国語の成績が抜群に良くて、文学部にまで行ったのに、今となっては書いては消してを繰り返す。
下書きがゴミ箱みたいになってきた。
いろんな人が、素敵な文章を書いていて、
たくさんのファンがいて、
たくさん肯定をしてもらっている。
私なんか否定もされないんだと、誰の目にも留まらないんだと思って嫌になった。
写真を撮る事。
「撮りたい写真が、撮ってもらいたいと思われる写真ってわけじゃないんだよ」
「構図がワンパターン」
「ここの色味はもっとこうでお願いします」
よかれと思って言われたアドバイスで何度だって嫌いになった。
どっちにしろ甘い世界じゃないのはわかっていたのに、想像を遥かに超える苦さだった。
何回も泣いた。
それでも、嫌いになっても続けていたのが、書く事と撮る事だった。
昨日の朝、公表された藤本たつき先生の「ルックバック」
何回読んでもわからないところがあって、
皆んなの考察をたくさん探した。
でも、その中にこんな内容を見つけた。
「すべての仕掛けを見つけることが偉いことではなくて、結局それを読んで自身が何を感じたのかが重要」
考察を読む時間はとても好きで、でも好きすぎて盲目だったのかもしれない。
私はこれを読んで、
嫌いになって、一度背を向けてしまったことでも、
自分の作ったもので、誰かのこころが動く瞬間がたまらなくて
自分の作ったもので、自分が生きてきたことを肯定してもらえるようで
そういう瞬間を糧にして生きてるからやめられないんだと思った。
きっと私より出来る人は私より努力している。
私より好きなことに対して泣いたり怒ったりしている。
センスなんて言葉は軽い。裏側にはとんでもない苦労がある。
だから生きて、苦しんで、もがいて、それでも好きだを何回だって繰り返す。
結果にはならなくても、それでも好きだから。
馬鹿だなって笑われてもきっとムキになる。
私は書く事と撮る事がきっといつまでも嫌いで好きだ。
どれだけ苦しんでも、感じたことを表現して、
忘れないように残したい。
P.S.
ちなみにタツキ先生の作品はチェンソーマンをちょこっとしかかじったことないくらいだけど、
描写にとても躍動感があってすき。
嬉しくってスキップするところなんてもっとすき。
綺麗なスキップじゃなくて、本当に嬉しくなってスキップした人に、
ふいにシャッターを切る感覚ににてるなと思った。
これからも好きな作家さんです。