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小中学生が読み上げる「・・・核兵器廃絶・・・二度と繰り返しません・・・」等に違和感。


日本の平和は、米国の核の傘にすっぽり入る事で維持されてきた。完全に入って無ければ、戦後国内は分断され、今の様な繁栄は享受でき無かったであろう。核の抑止力に頼っている事は、広島県知事の原爆犠牲者慰霊祭の弔辞の言葉にも出できた。

戦争を全く体験していないどころか、核の現実さえ全く知らない小中学生に、馬鹿の一つ覚えの様に、「・・・核兵器廃絶、・・・私達は戦争を繰り返さない・・・」を宣言させて深層心理に刷り込むのは、何か将来途轍とてつもない外交音痴が育ちそうで心配である。

歴史に「たら、れば」は無いと言うが、1945年(昭和20年)8月6日広島、9日長崎への原爆投下は回避する事が可能だった事は、多くの日本人が知らないと言うか、考えようとしない事実だ。

日米は終戦の一ヶ月前ほどから、第三国を通じて日本降伏条件の交渉に入っていた。無能な東条内閣の受諾絶対条件は只一つ、天皇が訴追されない事と天皇の存続であった。

米側の責任者は国務長官ジェームズ・フランシス・バーンズであったが、交渉実務に当たったのは国務長官代理ジョセフ・クラーク・グルーと部下達であった。グルー達は天皇の不訴追は飲める条件で、その他も戦後日本の復興を考えて進めていた。

双方の合意が得られると思われた時、日本に通知する一週間程前に、国務長官バーンズは、天皇の訴追を入れる事を突然命じた。グルー達にとっては寝耳に水であった。天皇の訴追を入れれば日本側は拒否するのは必定。そして、そうなった(事前交渉の話)。

戦争を早く終わらせ米兵の犠牲を無くすために、大統領トルーマンは原爆投下を決断した。不思議なことに、原爆投下命令書に大統領の署名は無い。

原爆使用推進派の国務長官バーンズとマンハッタン計画責任者レズリー・グローヴス中将が、大統領トルーマンに、日本は戦争を継続するので、原爆の使用により戦争を終わらせ、米兵の犠牲を無くす必要があると、白々しい茶番の進言をするのは至極当然な話だ。

そして原爆は投下された。一瞬で十七〜八万の人が広島と長崎で焼却された。その後、己も知らず敵も知らず一戦で負た、思考停止状態の無能集団東条内閣は、日本の降伏宣言(ポツダム宣言)を受け入れた。肝心要の天皇の訴追については、連合国軍最高司令官マッカーサーに一任するとなった。

原爆投下前の降伏宣言と投下後の宣言とでは、本質は何も変わっていない。マッカーサーに一任するとは、結局米国の判断次第と言うことである。原爆投下前に受け入れても、天皇が訴追されると限らない。しかも、訴追は直ちに罰すると言うことでは無く、その可否を問うという話だけだ。

東条内閣は国民の命よりも天皇訴追回避を選択して、最終的に約30万も死なせて、投下前と、ほぼ変わらぬ降伏宣言を受け入れたのだ。広島長崎への原爆投下で死んだ人を慰霊するなら、日本人は約30万の命よりも、天皇訴追回避を選んだ事を明確に記憶すべきだ。何故なら、この様な思考が日本人の戦争の発露になったからだ。

米国側の事情
日本と独国ドイツの両面で戦争を行なっていた米国は、戦事以外は緊縮財政を強いられていた。国民も倹約を強いられていた。こんな時に、マンハッタン計画で米史に残る巨額の金を使って、もし砂漠に巨大な猛火のキノコ雲を上げただけで終わっていたら、本当に必要だったのかと、議会で計画の正当性が厳しく追求された事は間違いない。しかし、投下して多くの米兵の犠牲を防いだと言う弁明は、議会、延いては米国民を大いに納得させたのだ。

最後に
「終戦記念日」の言い方は止めるべきだ。「終戦」と言う単語を使うと、何か他人が始めた様な感じがする。現在進行系のロシアによるウクライナ侵略を考えると分り易いだろう。将来ウクライナが押し返し勝ったとして、ロシアがこれを「終戦記念日」として国内で慰霊するとしたら、実に白々しいだろう。

世界から見れば、「戦争が終わった? 始めたやつが言うなよ、米国が勝って終わらせたんだ。負けたと言え」となる。「敗戦記念日」または「降伏受諾記念日」とすべきだ。個人的には後者を推薦したい。


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