謎の本
佐山尚一が書いた「熱帯」は“謎”の本であるという。
“謎”にもいろいろあるけれど、古本もなかなか謎深い本だと思う。
これから私がお話する古本は、古本は古本でもただの古本ではない。
Amazonでは「中古商品-可」の品質表示がされ、商品説明にはだいたい「読むには問題ありません。」の文言がある。そういう古本のことを指す。
そういう古本が何故謎深いのか。
それは前の持ち主の色んなものが残っていることが多いからである。
線引きやメモなどの書き込みをはじめ、栞代りのチケット、レシートなど。
そのような古本たちは“痕跡本”とも呼ばれているらしい。
私は古本が好きだ。主な理由は上記の通り、その本の持ち主(たち)の“痕跡”があるからだ。
そして私は“古本市の神様”に気に入られているのか、これまで様々な古本たちとご縁があった。
◯月×日
芥川龍之介の「羅生門・鼻」を買った。一話目「羅生門」をくぐると、中には物語の雰囲気に似つかわしくない、可愛らしい丸文字の書き込みが。例えば「申の刻」の上には『夕方4じ』、「築土」から矢印をひっぱって『かわらで屋根をふいたへい』などなど(『』が書き込みの文字)。
知らない単語をまめに調べては書き込んでいる。非常に勉強熱心な少女だったのだろうか。
でもどちらかというと、学校の宿題で嫌々読まされ、単語の意味を調べさせられた勉強嫌いの少女の姿が思い浮かぶ。友達と遊びに行きたいのに「羅生門」に足止めを食らっている。にっくき「羅生門」め。
宿題が終わって彼女は「羅生門」から解放された。その証拠に、他の物語のページには、書き込みどころか小さなシミ一つない。
少女ははじけんばかりの笑顔で、光の中へ出て行ったに違いない。
◯月×日
チェーホフの「カシタンカ・ねむい」を買った。比較的綺麗な状態だった。書き込み一つない。少し残念だけれど、初めてのチェーホフは興味深く楽しめた。
物語が終わりページを閉じようとした時、レシートが2枚挟まっているのに気が付いた。ジュンク堂書店と紀伊国屋書店のレシートが一枚ずつ。どちらも大阪の店舗で、両者は徒歩圏内にある。私も欲しい本がある時はよくハシゴをする。
2枚のレシートを仔細に眺めてみる。
紀伊国屋で文庫本一冊を購入し、約1時間半後、ジュンク堂にてさらにもう一冊文庫本を購入している。価格から、一方はこの「カシタンカ・ねむい」だと分かったが、他方は何か分からない。
分からないと気になる。
そしてテクノロジーの力は素晴らしい。
ジャンコードから、本を割り出せてしまうのだから。
ヒットしたのは「可愛い女・犬を連れた奥さん」だった。同じくチェーホフだ。
よほどチェーホフのファンなのか。同日に買い集めたところから、急を要していたのか。となると研究者か、チェーホフを卒論のテーマにした大学生かーーー。
いや、チェーホフ、と見せかけて、訳者である神西清さんのファンかもしれない。
また、紀伊国屋からジュンク堂へは徒歩で20分程かかるとして、レジ to レジで1時間半。本棚から本を探す時間や立ち読み時間も入れても、どこかへ立ち寄ったような間がある。両書店の間にはもう一店舗大きな書店があるので、そこでもチェーホフ(もしくは神西清)を探したに違いない。
紀伊国屋でもらったお釣りの2円は、ジュンク堂ででた端数分に上手く当てられたようだ。
万事快調に書店巡りを終え、リュックを背負った彼は喧騒の中帰路につく。誰にも聞こえない鼻歌を歌いながら。
◯月×日
セルバンテスの「ドン・キホーテ」を買い揃えた。コロナ禍でどこへも行けず、それならばと遍歴の騎士と旅に出ることにした。正・続それぞれ三編ずつの岩波文庫から出たものの古本だ。
背に☆マークが3つ付いている。出版時期が古い証拠。正編1の奥付をみると第30刷発行時のものだが、1977年。初版は1948年とのこと。
吹けば今にも崩壊しそうな状態だったが、なんとも頼りなげな掠れた印刷文字の美しさや、何より、序盤からエンジン全開の書き込みにテンションが上がった。
HBの鉛筆だろう。薄く程よく太い線。本への書き込みはかなり慣れてらっしゃる様子。傍線に勢いがある。勢いがあるのにブレがない。
そして“imp”という文字を頻繁に使っている。何だろう?Important (重要)?impressive (印象的)?謎は深まるばかりだ。
「ドン・キホーテ」はそれ自体謎の多い物語である。物語の本当の作者、ドン・キホーテの狂気、そして続編で現れる“もうひとつの「ドン・キホーテ」”。全てが謎に包まれている。
400年以上前に誕生したとは信じ難い程読みやすく、散りばめられたユーモアは今尚鮮やかで笑える。
正編(二)に入ると、目次のページに荒々しい墨のような汚れが沢山付いていた。嵐の始まりを予感させた。
前の持ち主に何か起きたのかと少し心配になったが、最後のページにあのHB鉛筆の文字で「S53. 2. 11 読了」と記されたのを見つけて、安心した。彼の遍歴も順調のようだ。
正編(三)の旅も無事終了。最後のページには、珍しく青いボールペンで「1978.(S53) 2. 27 西伯町にて 読了」の文字。
“西伯町”を調べてみると、かつて鳥取県の西部にあった、今は存在しない地名とのことだった。2004年に合併し、今は“南部町”になっている。
彼は西伯町で暮らしていたのだろうか。それとも旅行に来ていたのだろうか。いずれにせよ、
“西伯町”が無くなることなど、ドン・キホーテを読んでいるの彼には知る由もない。
続編(一)。どの書き込みが彼のもので、私のものなのか、分からなくなってきた。彼のスタイルに憧れて真似してしまったのが良くなかった。
続編(二)で初めてのことが起きた。本の始まりに「’80. 8. 11」と記さていたのだ。読み始めた日だろうか。今までは読了日を書いていたのに?ただの気まぐれだろうか。
正編(三)は約2週間で読み終えたのに、続編(二)を読み始めるまでに2年以上かかっている。この大きな差は何だろう。「ドン・キホーテ」全6冊は全て1977年発行のもの。つまり、一気に6冊購入し、いつでも旅の続きが出来る様になっていた筈だ。
彼はとてもマイペースなのだろう。そう信じ、私は旅を続け、続編(二)は私の書き込みでいっぱいになった。
続編(三)。訳者が変わった。訳者あとがきを読んで分かったが、正編(一)〜続編(二)の途中までは永田寛定さんが訳していたが、志半ばで帰らぬ人となってしまったとのことだった。「ドン・キホーテ」の結末と相まって、とても切ない気持ちになった。
続編(三)には前の持ち主の痕跡が一つもなかった。どうしてしまったのだろう。「ドン・キホーテ」にあれほど熱狂していた彼が、一番重要な結末を読まない訳がない。
いや、読めなかったのではないだろうか。
自分はもう先が長くないこと知った彼は、ずっと読んでみたかった「ドン・キホーテ」を買い揃えた。
期待通りの面白さに感動し、力の入らない腕で書き込み続けた。
無事読み終わったら読了日を記載した。生きていることの喜びを記すように。
続編(一)を読み始める頃から体調が悪化し、読書さえも辛くなっていった。
続編(二)の最初に日付を記したのは、読み終われないことを悟ったからかもしれない。
そして彼はドン・キホーテより一足先にこの世を去った。エンディングを知らない彼の「ドン・キホーテ」は、世界にたった一つの「ドン・キホーテ」になった。
これら古本とその“痕跡”は実在するものだが、前の持ち主については、勿論筆者の妄想である。
ここで登場した古本たちの前の持ち主が奇跡的にこの記事を読んでくれていたら、的外れにも程があるとカンカンになって怒るだろう。この場をお借りして陳謝します。
でもどうか、そんな奇跡はおきませんように。
起きたとしても、本当のことは言わないで。
ここでは、謎を解くことが禁じられているので。
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