ほんわか、ほのぼの。そんな私の本当の日々 【中編】
中編のページをひらいてくださり、ありがとうございます。
こちらは前回の記事の続きになりますので、まだお読みでない方は前編から読んでくださると嬉しいです。
◎ 見た目とは裏腹に燃えたぎる心
土日に合唱団で歌うことで何とか平日を生きぬき、中学校を卒業した私。
同じ中学校の人が誰もいないようにと願って、家から遠い高校に進学した。実際には1人いたが、関わったことのない男の子だったのでよしとする。
高校に入ってすぐ、同じクラスだった女の子と仲良くなった。話をきくと、彼女は幼い頃に母親を亡くしていた。なかなか話しづらい家庭の話を受け止め合った私たちは、あっという間に親友になった。
彼女に誘われて、私は体育祭の応援団に入った。そして、以前から興味のあったダンス部にも入部した。
中学校時代の暗く、静かな私を知る同級生は想像もできないと思うが、私は小学生時代に運動会の応援団をやっていた。学ランを着て、サングラスをかけ、演舞をしていたのだ。
小学生の頃から、チームで1つのものをつくりあげることが好きだった。目立つのが好き!というわけではないが、仲間とプロジェクトとして表現することが好きだったのである。
つらかった中学校時代も、土日の合唱団では歌をうたい、毎年の定期演奏会ではミュージカルをやっていた。人前に立つこと、注目を浴びることはどちらかといえば苦手だ。しかし、音楽にのせて自分を表現すること、表現者として人前に立つことは好きだった。
高校で再び応援団に所属し、ダンス部では、1からダンスを学んだ。クラスでは静かなほうで、勉強もよくしていた「まじめ」な私だったが、さまざまな音楽に身を委ねて踊ると、自然と笑顔になり「見ている人を笑顔にしたい」という気持ちになった。
暗くもあり、明るくもある。それが私だ。集団の中で目立つような存在でないことも多いし、穏やかでおちついていると言われることが多い。しかし、プライベートではどこでも1人で行ってしまうし、興味があることにはわりと即行動する。当時は気づいていなかったが「HSS型HSP」に該当する気質をもっている。
HSS型HSPは、HSP(Highly Sensitive Person)とよばれる敏感で傷付きやすい繊細な気質をもつ人の3割を占めるといわれている。HSS(High Sensation Seeking)は、刺激探求型を指す。つまり、敏感で傷つきやすく、繊細なのに刺激を求めるということだ。自分のことながら、わけが分からなくて面白い。笑
そんな矛盾が多い性格をしている。HSPのことは、また別の記事でゆっくり話せたらいいなと思う。
そんなこんなで、人に注目されることは苦手だし、人付き合いもそんなに得意でない私だが、自分を表現することは好きだった。
高校生活は、勉強と応援団とダンス。そして中学から続けていた好きなアーティストのファン活動。苦しかった中学から離れた高校を選んで自分に合う環境に辿りついたことで、高校生活は楽しい!と思える日々だった。
◎ たったひとりで家を守る
しかし、家は相変わらず。むしろ状況は悪化していた。幼い頃から私を守ってくれていた5つ上の兄は2年間の留学でカナダへ。両親の喧嘩を止めるのは私だけになった。
父の言葉でパニックを起こし、泣き叫んでいる母の手に凶器になりかねない物があったこともあった。必死で止めたことを覚えている(幸い包丁ではない物だったので大丈夫だった)。
ふとんに入って泣く母の頭を撫でつづけたこともあった。そんな不安定な家庭環境の中、私は必死に勉強していた。地方の大学に進学するために。そして、いい子である自分を壊さないように。
◎ 本音は語らず、平和な恋愛をつくりあげる
わがままや本音をあまり言わずに育った私は、恋愛でとても苦労した。
相手に不満があってもうまく伝えることができず、不満を蓄積してしまうからだ。不仲な両親を見ていたこともあり、なるべく2人の関係が平和であるように、揉め事がないように、努めていた。自分の本音は隠し、相手の気持ちを考えて、相手が楽しめるように過ごしていたのだ。
特に苦しかったのが、高校3年〜大学1年の冬頃までの遠距離恋愛。
今思うと、私は「レンタル彼女」のような存在だった。
連絡は、私からしなければ1週間こない。電話は事前許可制。絶対彼は会いにこないので、私から会いに行っていた。会っていない間は、私に興味がない。「私に今日どんなことがあったのか」なんてことはどうでもよさそうだった。
彼はアイドルが好きだった。女の子らしいフリフリのリボンのついたメイドさんのような女の子が好きだったのだ。いつも女の子として彼に「評価されている」感覚があった。
会うと服装やネイルをじーっと見る。でも特に何も言わないのだ。私はそれがとても怖かった。デートしている間、ずっと緊張していた。「評価されている」「見られている」という感覚で体も心も硬直していた私は、デートで何も食べることができなかった。
すぐに気持ち悪くなってしまうので、彼の前で何も喉を通らなかったのだ。
彼とのデートでは「食べられそうな物」だけを選んでいた。マックに行ってもポテトさえ食べられる気がしなかったので、サラダだけを頼んだ。
だんだん彼との食事自体を恐れるようになり、夕食を食べる前に帰るようになった。最近知ったのだが「会食恐怖症」という心の疾患の1つだったようだ。
会食への恐怖は長年続いて、同性であっても会食となるとかなり身構えてしまっていた。慣れない相手となると緊張することもあるが、今は基本的には克服できている。
「私のことが好きなのか」「私はあなたにとって何なのか」そんなことをずっと考えていた。ひとり暗い部屋で過呼吸発作を起こしながら泣いていた。誰にも言えない、ぶつけられない苦しさを日記に書いていた。
そうして私は、心を壊してしまった。