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【自己紹介】自分史と夢

2月になりましたね、早い…。
就活準備をしていく中で、自分のことを理解することが大事だと気づいたので、自分の再理解のためと、もし、読んでくれる方がいるならば、私のことを知ってもらいたいと思う気持ちで、自己紹介noteを改めて書いてみようと思います。
過去も現在も未来も、このnoteに全て詰め込もうと思います。

まずは、簡単な自己紹介から。

ニックネーム:みほりん(幼少期からのあだ名です)
⇒下の名前で呼ばれるとドキッとしちゃうので、名前で呼ばれているような、でも、ニックネームのような…という具合がちょうど良くて、コミュニティ関係では名前全部これです。名前を呼び捨てで呼んでくれる友達は信頼を置いてます、とても。
本名:実穂
⇒米農家であることと、「実るほど頭が下がる稲穂かな」ということわざから、この名前を名付けてくれました。大好きな名前です。
年齢/職業:21歳の大学3年生
出身・在住地:21年間ずっと北海道!
趣味:誰かを推すこと・何かを推すこと、ドラマ・映画鑑賞

⇒Snow Man目黒くんより箱推し、身近な人にも、まじ推せるとか思ってたり、言っていたりするタイプです(笑)ジャニーズはどのグループの話でも基本出来ると思います。密かに大体のグループのYouTubeとか見てます。
⇒昔からずっと恋愛系の映像作品大好きで、ベタなものでも、発狂しながら見てます。リアルにそういうことが起きないから、逆に良いんですよ(笑)
⇒最近、水彩画も始めたので、趣味にしたいです!
特技:ソフトクリームが綺麗に巻けること、エスプレッソが入れられること
⇒2年くらいのバイトの成果です。

私の人生史

  • 0歳 雪の多い日に、北海道の兼業農家の家に生まれる

    • 家族構成は父、母、兄、私

  • 4歳 初めての引っ越し

    • 記憶はあんまりない…笑

  • 6歳~9歳 小規模な小学校に通う

    • 同級生は自分含めて3人のクラス

  • 10歳 引っ越し・転校

    • 41人クラスの学校に行く

  • 11歳 5年生の時に41人クラスが2クラスに分かれ、21人クラス

    • 環境の変化に適応できず、あがり症・赤面症など、社交不安障害を患う

    • 人前で話したくてもなかなか話せないことから、先生に廊下に追い出され、叱られたり、居残りさせられたりして学校と周囲の大人が嫌いになる

    • ゲーム実況者やゲームのコミュニティにハマり、ネットの世界に逃げる(当時はネッ友がいればリア友なんかいなくていいと思ってた)

    • 自分は何をやってもダメなんだという気持ちになり、全てをあきらめる、勉強しなくなる 

  • 12歳~15歳 人生絶望期からの高校合格へ

    • 吹奏楽部に入るも、努力だけではどうにもならない現実にも絶望する

    • 人とのコミュニケーションがうまくできない自分にも絶望する

    • 農業高校を推薦入試で受験し、合格

      • 中3の後期に勉強を頑張る←頑張るタイミングだいぶ遅い。。。

  • 15歳 高校入学を機に自分を変えたいと、一念発起

    • 高校入学後、苦手な人前に出て発表することに挑戦する

      • 意見発表大会に出場する

  • 16歳~18歳 意見発表大会で入賞することで、人に褒めてもらうことで自分は生きてて良いという実感を得たくて、一心不乱に取り組む

  • 17歳 商品開発のコンテストに出場して特別賞を受賞する

  • 18歳 全国の意見発表大会にて入賞する

    • 大学の推薦入試を受験し、合格

      • 高校時代は先生や友達に恵まれていました、本当に感謝しています。

  • 18歳 コロナ禍での入学

    • なんで生きているのか、なんで大学に行ったのか考えすぎてわからなくなる

    • とりあえず何か頑張ってみようと簿記3級受ける、2回目で合格

    • 学生起業団体me+youに所属する、農産物の販売経験する

  • 19歳 朝活コミュニティ「朝渋」に出会う

    • 学生起業団体me+youの代表になることを決断する

  • 20歳~21歳 学生起業団体me+youの代表を全うする、団体の解散を決断する

21年間の心境の変化

努力はできる時もできない時もあるし、報われることも報われないこともある

私は21年しかまだ生きていませんが、頑張りたい、努力したいと思っても、どうしたらいいのかわからない時もあること、できない時もあることを生きていく中で体感しました。
また、努力しても、そこに運とタイミングが重ならなければ報われないこともあります。私が高校時代、成功しているように見えるのは頑張ること、努力することは前提として、そこにありがたいことに運とタイミングが重なったからです。運も味方にする必要があります。運はどうしようもないですが、でも、頑張っていないと運が味方になる可能性は1ミリもなくて、少しでも頑張っていたら運が味方してくれる可能性の確率は上がるんじゃないかと思っています。私はその可能性を信じるようにしたいです。たまに信じられない時もありますが...。

加えて、私はどうしてそんなに頑張れるのかと言われたこともありました。それは単純に頑張っている自分が好きだからです。逆に言うと、頑張れていない自分が大嫌いでした。
肩の力を抜いてもっと楽に生きられたら…と自分でも思ってはいますが、こういう生き方しかしてこなかったので、変えるのは難しそうです(笑)
でも、好きなこととのバランスを取って、自分を大切にしながらも、目の前のことに手を抜かず、頑張って生きていきたいと今は思っています。


高校から大学にかけて、広がった自分の世界

私が農業高校に行ったのは兄が行っていたこと、家が農業をやっていたことも理由ではありますが、一番の理由は本当に勉強をしてこなかったので、この成績で余裕を持って入れるところを選びました。
しかし、高校で一念発起したことで見えてきた世界があって、興味のあることが見つかりました。
高校で商品開発をして関わらせていただいた方に、商品を売る時にマーケットとターゲットの選定が大事なこと、その背景にある「ストーリー」が人を動かすことを学びました。誰かを想像して、その人が喜んでくれるにはどうしたら良いか考える。
「そうか!私は考えることが好きで、そこから行動することで誰かを幸せにしたいんだ!」と思いました。

大学で農業経済学を専攻したのもそれが理由です。
大学ではそれに加えて、学生起業団体me+youという団体に所属して、北海道十勝地域の生産者さんの想いが詰まった農産物をメンバーと協力しながら、全国に販売するという活動をしていました。
考えることが好きな私は、生産者さんやその農産物の魅力を発信するためにパンフレット作成することが好きで、動画作成も挑戦していました。活動していく中では、生産者さんはもちろん、メンバーも大切にしたい、楽しくいてほしいと思い、大変な仕事が少しでも楽になるよう、お金関係のExcelをわかりやすいよう修正したり、会議のやり方も負担にあまりならないよう短時間で収まるように工夫したりしました。

団体は解散という結果にはなってしまいましたが、優先順位などを考えると、団体のために割く時間、活動する時間は第一優先ではないですし、限界があります。
やりたかったことがいつの間にか義務感に変わって、目的を見失ってしまうくらいのなら、本当に好きだと思うことをやってほしい。
辛い、苦しいという時期を乗り越える時も必要ですが、たまには逃げたっていい。
選べるなら、自分が本当にしたいことを優先して欲しいと私は思っています。
大人からの意見で、団体はこうあるべきだ、みたいなことと、限りある大学生活を楽しむこと優先して欲しい、ということの狭間で、私の言っていることが矛盾していることもあって。
人生楽しんだもん勝ちって言葉はあんまり好きじゃないんですが、自分が後悔しない道を選ぶ方が良いなって思っています。
これも色々経験した上でようやくわかってきたことですね。

見えてきた将来の夢と考えていること

高校時代に気づいた、
「私は考えることが好きで、そこから行動することで誰かを幸せにしたいんだ!」

という気持ちは軸にしたいと思っています。

今、就活している私の条件的には、その軸にプラスして、北海道と農業が要素として含まれていれば一番良いなと思っています。

高校から大学で、北海道と農業の魅力に気付いた部分もあって。美味しい食材、綺麗な景色、広大な大地。親の仕事の都合上と、大学も北海道内を選んで、北海道を転々としているのもあって、場所ごとに作っている作物も景色も違うって面白いなと感じています。

また、十勝の生産者の方や、自分の家族が農業にひたむきに向き合い、頑張っている姿は私にとっては憧れであり、同じ方向を向いて頑張りたいと思っています。生産者は親からお前は向いていないと言われた(笑)(自分でもそう思う)ので、行政の立場から、一緒に北海道農業を盛り上げていけたらと強く思っています。
農業の情勢は目まぐるしく変わる中で、頑張り続けるのは大変なことです。

私は高校の時、ずっと意見発表大会に出ていて、同じ学年で2年生の時から結果を出している子がいて。支えてくれた先生からは「あの子は元から才能があった、でも、あなたは努力してもっと上に行けるはずだよ」と声をかけてもらいました。他の先生からも「お前は3年で花開く」と言ってもらいました。その時の私は取り乱していて、誰の言葉も素直に受け止めることはできませんでしたが、3年生で結果を出せたことは多くの支えがあったからです。声をかけてくれたからです。

だからこそ、私も支える人になりたいと思います。
あの時に受けた恩を返すことはできないかもしれないけど、恩を受けた分、周囲に恩送りをできる自分になろうと決めています。

生産者の方はもちろんですが、地域の人との関わりも持ちたいです。
私は大学生になってから、小学4年から高校3年までを過ごした町の役場の方と関わりを持つきっかけがありました。
私は学校が嫌いになったこともあり、町も嫌いだ!なんて思ってたのですが、役場の方がとんでもないほどやさしくて、こういう方がいるなら、町にいるうちに知りたかったよ...マジ推せるじゃん(オタク出た(笑))ってなりました。
それに、自分が小学生時代の時には、家族や先生以外に話せる大人が欲しいと思っていました。親や先生にも立場があって、子どもの未来を考えた上の行動をとってくれているということは大学生になってようやくわかりました。しかし、その時は大人はみんなわかってくれないと思っていました。だからこそ、ただ話を聞いてくれる第3者の大人の存在って本当に必要じゃないかなと思います。「今はどんなに苦しくても世界はそこだけじゃない、もっと視野を広げれば、見えてくる世界がきっとある」と、今の私は、小学生の頃の私に声をかけたいです。
子供だけじゃなくて、それはきっと大人にも必要で、私は朝渋というコミュニティに参加して、関わる人から様々な生き方、暮らしを学びました。
こういう大人になりたいという憧れの方ばかりで、大学生の間にいろんな大人に出会えたこと、知れたことは本当に良かったと思っています。
就職しても、人生の先輩から学ぶことは多いと思いますし、自分より下の代が増えても、時代の流行を知って、新しい考え方を取り入れていくには下の代とのつながりも必要な気がしています。なので、いろんな方と関わっていきたいです。

思いの外、書き出したら長くなってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
最近、就活に思い悩んでいたので、スッキリしました!
実は自分のことが全然好きになれなくて、当時に出会った人以外には基本的に自分の人生のことについては隠しています。
知ってほしいと思いつつも、自慢ばっかりやんとか、悲劇のヒロインぶっているとか言われるのが怖くて、話せずにいます。
人生を少しこじらせてしまってから、人との距離の取り方には今も悩み続けています。なので、ずっと1人でいる方が良いと思っていましたが、ありがたいことに人の優しさに触れることも多くなってきました。感謝でいっぱいです。
世間や社会は優しくなくても、私は優しい人でありたい(まだなれてないので、「なりたい」かもしれません)です。