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自分の愛情はサラダボウルとか丼のこと。

自然は変化する。ずっと雨の日はない、

ずっと晴れてることもない。

ずっと子どもの人もいない。

自然はずっとずっと変化しています。

変わり続ける自然。

しかし、なのに。意図して「変えること」はできない。意思をもって変えるということは出来ない。3歳くらい一気に年取ってみようとかできない。今ら雪を降らせることも止ませることもできない。

ひとつだけ変えられるのは、「自分の生き方」。何を変えられるかと言うと、自然と自分が変わることを受け入れる「器」を日々変えることができると思います。

するといろんなことが調和するのがわかります。

変化を受け入れること、許せる心(器)に自分で変えていくこと。

サラダの量や、ジャンルによってボウルを変えるように。蕎麦とラーメンとうどんや、天丼によってどんぶりを変えるように。

頑なに1つの器でサラダ食べたり、それに蕎麦入れたりしないですよね。自然と違う器を使う。内容とシチュエーションや使う人の変化によって、気軽に器が変わる。

自分の変化は器であることの気がします。

そして変化するメニューを入れて守る、それが「愛」だった!それだけなんだな〜と思います。

子育てしてると3歳のお母さんをずっとできなくて、次は4歳年中さんのお母さんにならないといけないし、年長さんのお母さんにならないといけないし、小学生のお母さんにならないといけないし、と毎年親である自分の存在がやっと慣れたと思ってもどんどん変化してしまいます。自分自身も変わっているかもしれないけれど、
どちらかというと目に見えての成長も内容も変わっているのは子どもの方で自分はそれを毎年受け入れるボウルとして器として変わっていると思ったりします。

そしてそれをし続けられるのが「親の器」=愛情だとわかってきました。

社会の器、自分の人生の器、趣味の器。全部、都度器を変えていけるのが自分のそれに対する愛情なのかもしれません。

ずっとずっとこの繰り返しなのかもと思うのです。

蕎麦を食べる時は適した器がいいし、サラダを食べる時は新鮮に食べられる素敵な器がいい。器の変化は中身を尊重し、守り、その美味しさを伝える最適な「愛」だと思う。

今年の自分は何丼?

私はラーメンどんぶりの気がしてます(謎)

今日も良いどんぶりでありますように^^

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鈴木めゆ
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