写真を撮ることへの恐怖
写真を撮ることが怖くなっている
写真を見返す
時間は永遠ではないことを改めて感じさせられて
あの時もっとこうしていれば
こういうことを言っていれば
ああ行動していれば
と思いも沢山込み上げてきて、
写真を撮ることが怖くなっている
時間は本当に刹那的なものであって
その日のその人はその時にしかいなくて
その時にしかいないその人の時間を奪っている感覚にもなったり
私といていいのかと思うし
永遠に終わらないでほしいと思うけれど
時間はあっという間に過ぎて、
目で見ることも怖くなる
見ている間は記憶されているが、
これも
もう同じ景色を見ることはできなくて
人生で1回だけの時間をこんな私が経験していいのかと思うと涙が出てきて、
周りにいる人も時間を共有していて
そこに全く関係ない私がいて
涙が止まらなくなった
誰かの時間に私がいて
でもどうせすぐに忘れられるんだろうと思うけれど、
忘れないでほしいとも思うけど、
でもその思考をしている私はその時にしかいなくて、
その時と比べられるのが怖くて、
覚えないでほしい気持ちもある。
変わることに恐怖がある、
変わったねと言われることが怖い、
過去の私に囚われていて
そんないいもんじゃないけども、
時間は有限で、
時間を割いて働いてお金をもらっている、
電車、
座ったら目の前に窓があって、
すごい速度で色んな建物
家が通り過ぎていって
その一つ一つが誰かが働いてお金を稼いで
そのお金で借りている買っているものなのだと考えると、
本当に悲しくなる
こんな家なんて大切なもの
お金が絶対にいるなんて悲しすぎる
働けなくなったら
お金がなくなったら
消えてなくなる
悲しすぎる
何も出来ない無力な私を責められているみたいで、
建物の高さ大きさで責められると何も出来なくなる
涙が止まらない
なんで歳いっても働いているのか
私と同じ仕事をしているのか
それまで頑張ってきたのに
休むことは許されないのか
悲しすぎる
厳しい世の中で
写真を撮りたいとも思う、
命をとられるから写っちゃいけませんというのは本当だと思っていて、
本当にその瞬間は写真に命を預けていて、
私に寿命の一部、
命の一部をくれていて、
感謝しながら写真を撮らねばならない
シャッターを押す度にナイフを刺しているようなもので、
カメラロールを見る頃には返り血で真っ赤になっているだろう
赤くて見えなくて、
目を擦ると鉄の匂いがして、
生きている感じがする
でも血液検査で鉄が異常に少なかった私は、
きっと鉄の匂いが薄いのかもしれない
鉄が多い人は鉄の濃い匂いがするんでしょうか
その返り血は流さずに重ねて、重ねて
重ねていきます
乾いて勝手に剥がれたら
その時はまた浴びます
その為に写真を撮らせてください
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