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居場所のものがたり 「夢千代日記」

 高橋竹山のドキュメンタリーをアマプラで見ていたら、突然終了してテレビ画面は「続夢千代日記」のタイトルロールとなった。予約していた時間になったのだった。

 早坂暁という脚本家は、昭和50年代のNHKのドラマを見ていた人には馴染みのある、いささか懐かしさ(この「脚本 早坂暁」と表示されるのを見ていた頃のことを思い出して)も感じる名前なのではないだろうか。

 「夢千代日記」が放送されていた当時、私は家にいないで彼氏と遊んでばかりいたのでじっくりと見た記憶がない。その頃は、次姉もすでに嫁いでいた頃なので、おそらく母が見ていたのだろう。それをチラチラと見ていたのだ。10代の頃までは、家族でNHKドラマを、食後のひととき、入浴の前後、そんなゆったりとした時間に見ていた。山田太一や向田邦子、中島丈博や、平岩弓枝、田向正健、ほかにもよく見る脚本家の名前がいくつもあった。

 当時、チラチラ見る程度だった「夢千代日記」の再放送を、今も連続で見ているわけではないのだけれど、見始めるとこれが本当に見事なので驚いてしまう。もちろん脚本も素晴らしいのだろうけれど、俳優陣が魅力いっぱいなのだ。

 主役は吉永小百合。この時代の吉永小百合は40歳くらいだろうか。若い頃の神々しい美しさに、落ち着いた聡明さが加わって、曇りガラス越しにその美しさを見せるような、抑えた演技、演出がはまっており、置き屋の女将らしく、他の若い芸者を引き立てるようにしている佇まいがいいのだが、かえって若い秋吉久美子や中村久美が太刀打ちできないそこはかとない色香が漂ってしまうという、おそらく狙い通りの効果が発揮されている。

 そして、秋吉久美子がほんとうに素敵なのだ。こういう女優さん、最近だとだれなんだろう。少年のように凛々しく整っているけれど、寂しげな顔立ち。日本髪のかつらをかぶっていない時は、ちぢれた無造作なパーマヘアで、化粧気もない。そんな秋吉久美子が、高めのぺたっとした声質で訛りも激しく感情を溢れさせるセリフを吐く時ときたら、画面に釘付けになってしまう可愛らしさでいっぱいになる。

 このドラマは、温泉街のいくつかの場所で物語が繰り広げられる。置き屋、旅館、スナック、そしてストリップ劇場だ。なつかしい長門勇が、まだご愛嬌の範囲のスケベ親父の支配人を演じている。踊り子が緑魔子。この町には吉永小百合ばかりではなく、緑魔子までいる!

 だれもが思い通りの人生を生きることはできないのはわかっていることだけれど、そのエッジの際で踏ん張ったり、指先でなんとかひっかかったりして、心身ともにすり減らして生きている人生が、私以外にもたくさんあるだろう。パッと手を離してしまえば、自分がいる場所がぱっと変わったりするのかもしれない。ギャンブルをしている人もそうかも。やったことがないからわからないけど、想像で言うなら、持ち金が尽きた時の、次の賭けへと向かう時。あるいは、ずっと我慢してきた会社勤めで、無断欠勤をするとき。反対方向の電車に乗ってしまったとき。浮気をしていて、嘘などつかないで黙って外泊をしたとき。あと先考えない瞬間。

 そういう先に、自分がまだもう一度、別の人生をやり直せる場所があれば。一旦、ニュートラルになれる、休養できる場所があればと思うけれど、私のイメージするのは、そこが再始動するための施設というのではないんだな。

 そういえば最近、傾聴のテクニックを弄して相手が自分の話を聞いているとわかったとき、話す気になれますか、ということを呟いている人を見かけたが、まったくその通りだ。人を救済する制度はとても大切だし、テクニックだって役に立つことはあるだろう。だけど、世間に対する絶対的な希望というのは、やっぱり人なのだと思う。甘えなんだろうけれど、甘えないでどうする。

 悠木千帆が貝殻節を三味線で弾き歌い、秋吉久美子と中村久美と吉永小百合が舞う。田舎の垢抜けないお座敷遊びの場面だが、しみじみと見入ってしまった。


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