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社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その4 アメリカ留学 教師篇②

Writingの最上級クラスは700である。600から700へは、その直後に移動した。荷物を持って700の部屋に向かうと、クラスメイトたちは、"Welcome,Akira!"と歓迎してくれる。Davidに礼を言うと、"I did nothing. That's your ability."と返答された。多くの日本人は、納得がいかないことも自己主張することなく、後ずさりする。僕は、Paulとのレッスンである程度自信をつけていたので、採点結果に対して説明を求めた。おそらく、Davidはそういう学生を求めていたのだろう。ある学校の彼の紹介ページを読んでいると、日本で英語を教えていた際に、「日本人の生徒は、発言機会、発言意欲ががなさすぎる」とコメントしていた。時代は変わり、個別学習を余儀なくされている、コロナ禍で今の日本の学生に対して求められているのは、assertiveな姿勢だと言うことだ。僕は、30年前のウィスコンシンでそれを体現することができた。寮に帰って、Paulに報告すると、「Akiraさん、すごいじゃないですか~!!!おめでとうございます!!」彼も予想外の展開に驚愕していたのは言うまでも無い。


最上級クラスは、これまでと違い、学部や、大学院への進学、あるいは、帰国後の会社での昇格を狙う人で溢れかえっている。ここの学生には、「本気」のオーラがあった。

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(UWSP Baldwin Hall  1992年当時、多くの留学生とアメリカ人学生が住んでいた。僕の部屋は確か3階だったきがする。)

プログレッシブな学生たちに囲まれて、Davidの授業は、フランクさを表面に出しながらも、タイトな内容でアップテンポに進められていく。迂闊な姿勢で臨めば、たちまちのうちに取り残されてしまう。ただ、そんな中にも、彼の持つ優しさや人柄が見える瞬間があった。行き詰まりを感じている生徒に対して、補習授業をしたり、声かけをしながら寄り添うと言った姿勢がいつも感じられたのだ。また彼は、寛容な姿勢で生徒たちに接し、多くの場面で的確なアドバイスをしていた。彼の姿を目の当たりにしていると、ますます教師になる思いが強くなると同時に、大学院への進学が心を捉えて放さなくなった。

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(写真は、99歳で卒業証書を手にした女性。UWSPの学生であったが、第二次世界大戦で休学。家族を養うために働かざるを得なかった。)

UWSPは元々、Central State Teachers Collegeといわれており、教師養成大学として、全米に名を馳せた。移民は、ドイツ、ポーランド系が中心で、真面目な質実剛健な気質を受けついでいる。住んでいて感じたのだが、勤勉な努力家は大歓迎。そうでない者は、一刀両断という雰囲気だった。長い冬のために、春から秋まで楽しみつつも、切磋琢磨を怠らず、隣人に優しく、がモットーだった。実際に僕は、この土地の人たちの優しさにかなり救われたのだと思う。ついたばかりの頃、町のレストランで食事をしていると、日本人は珍しいらしく、話し掛けてくれた家族。彼らと、別の場所で偶然に再会すると、覚えていて声をかけてくれたり。あるいは、夜中にファミレスで勉強していた際に、コーヒーとパイをごちそうしてくれた老夫婦。わずか半年の滞在であったが、この街で僕は、「勤勉」ということの大切さを学んだ気がする。折しも日本は、バブルが崩壊し、国民は行き先さえわからぬ列車に乗って走り始めていた。

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池上彰
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