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このご時世にあえて転職して教員になった話④【出会い】

ソルジャー要員として各地を飛び回る毎日。

正直、自分が営業職に向いていると思ったことはない。話もヘタだし、愛想も良いとは思わない。どちらかと言えば内向的な方だ。

しかし、文系、経験なしの自分にはこれしかなかった。

ないものも振り絞って客先に向かう。

当時は追い詰められていてゆっくり自分と向き合う余裕がなかった。

人生はハードモード。

年齢も30半ばに差し掛かってきた。

家に帰るのは午前様が続いた。 

小さな子どもがいて、家は大変なのに何もしてやれない。妻も疲弊していた。

週末は疲れ果てて泥のように眠った。

3年先、5年先が見通せなかった。

削られてゆく自分。そして妻も。

こんな生活、もう嫌だ・・・また転職か?

そう思った時に妻の親戚から、

「学校の先生やれば?」と声をかけられる。

「え?自分が?」

ある時、妻の親戚の集まりがあり、仕事、生活が大変だと言う話をしたことがあった。

地元の小学校で教頭をしている妻の叔父は言う。

「だったらさ、教員免許取って先生やりなよ。今人手足りてないし、年齢制限もないから。田舎で生きていくなら公務員でしょ。」

考えてみたこともなかった。

自分が教師?

子どもに教える?

ふと思い出した。両親は会社員だったが、母方の祖父母は確か教員だった。

今まで、自分には何の取り柄も才能もないから営業職、あるいは事務職しかないと決めつけていたこと。

大学は法学部だったので、通信で免許を取って、採用試験を受けることができると言う。

「一度学校現場を見てごらんよ。」

叔父は真剣のようだ。

溜まっていた有給を取り、いそいそと妻の地元の小学校に出向いた。

自分の仕事について、子どもたちに話してほしいと言う。

叔父の計らいで、高学年のキャリア教育の講師として児童の前で話をした。

電機メーカーはどんなことをしているのか。

営業はどんな仕事か。

出来るだけ言葉を平易にわかりやすくして話した。

目を輝かせて聴く子どもたち。

気づけば結構熱を帯びて話していた気がする。

質問も(おそらく用意されていた)たくさんきて、特別授業は盛り上がって終わった。

先生方にも話が良かったとお褒めの言葉をいただく。

人前で話すことなんて苦手なはずなのに。

休み時間は運動場に出て、子どもたちの様子を見せて貰う。

鬼ごっこ、ドッジボール、サッカー・・・

こんなに無邪気に元気に走り回っているのか。
なんてエネルギッシュなんだ!

すっかりくたびれて下を向いてしまっていた自分に気づく。

そして、何やら元気をもらっていたことにも。

教員か。

自分の中に全くなかった分野。

あの元気な子どもたちに関わるのか・・・

その新鮮さに驚いている。

家に帰り、妻に報告した。

後に近年、あんなに楽しそうに話した自分を見たことがなかったと言われた。

それくらい気分が高揚していたのだ。

続く

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