このご時世にあえて転職して教員になった話③
ブランク期間・・・
再就職の道は困難を極めた。リクルートなど、大手の転職サイトを5つも6つも登録してもなかなか面接に辿り着かない。
問題点は、最初の会社を辞めて約三年の空白期間があることだった。
資格取得の為の浪人期間だと言えばそれなりに聞こえるが、要は無職。プー太郎。
なんのキャリアも形成していないのと同じ。
やっと漕ぎ着けた面接で必ず聞かれるのが、「何故辞めたのか」と「空白期間について」である。
そこを見栄えよく、上手く繕わないとダメだった。
どんどん追い詰められて行った。
もはや、希望職種、業界が・・・などと言っていられない。
正社員になれるなら何でも良い、変わっていくことに時間はかからなかった。
中途採用は茨の道か
やっとのことで流れ着いたのが中壁物流系企業の事務職。いわゆる運送屋さんだ。
人手不足かつ重労働。人の出入りが激しい業界。
さすがに力仕事はあまりなかったが、長時間労働バリバリの職場環境。
パワハラ体質の上司に、
ギャンブルと女の話題ばかりの同僚。
新卒で入った会社とのギャップは凄まじかった。
それまで交わることもなかった人たちとの仕事は驚きの連続だった。(喧嘩とかバックれとかその他諸々)
しかし、再就職に絶望していた自分には、正社員で、給料を貰えることにただ感謝した。
長時間勤務にも関わらず残業代はつかなかった。
今になっては完全なブラックだったが、当時は自分には価値がないから、これが当たり前だと卑下しまくっていたのだ。
住めば都になると思いきや、居心地の悪さ、ココジャナイ感を抱えていたのはいうまでもない。
働くことに喜びもなかったし、生きるために時間を切り売りしている感覚が強かった。
心が荒んでゆく。
3年で辞めて、さらに転職をした。
結局、電機メーカーの営業に。
最初の会社のライバル社だった。
中途採用=即戦力とみなされ、新規開拓など新卒はやらない仕事をあてられた。
営業車で何百キロも走る。
アポを取って営業をかける。やったことがないけど経験者として振る舞うしかない。
契約が取れた時は嬉しかった。
やればできるじゃん、自分。
初めて自分を褒めた。
しかし、非情な右肩上がりのノルマ。
「こんなの無理だろう?」
同期採用は次々に辞めて行った。
日帰りで京都⇆東京もザラで、毎日終電で帰宅した。
新卒は大切に育てて、キツイ仕事は中途にやらせる・・・まるで消耗部品のように。
ホワイトと呼ばれる企業にも、ソルジャー要員と呼ばれるブラックな仕事はあるのだ。
社会の仕組みを知り、泣きたくなった。
あの時辞めていなければ。何度も後悔した。
家庭を持って考えた
その頃には結婚し、家庭を持っていた。
子どもも生まれた。
家庭を守るために働く。
働くことに意味を持たせるには最高だったが、働くこと自体苦痛であることに変わりはなかった。
つまり、「私にとっての働くこと」とは心を殺して生きることなのだ。
この苦痛から逃れることはできないのか。
普通に生活がしたいだけなのに・・・
そんな時に出会ったのが教員という仕事だった。
続く
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