世界中でセンセーションを巻き起こしたラストサムライ「滝善三郎(たきぜんざぶろう)」2
前回の記事↓↓の続きです。
実は七曲神社に行った直後に、滝善三郎さんの足跡をたどりたくて思わず神戸まで行ってしまいましてぇん。
こういう時のフットワークの軽さは井上尚弥チャンピオン並でしてね。
つまり、それがしは歴史界の井上尚弥ってことですね!うん、わかる!
それは1つの画像から始まった…
前回書いたとおり、滝善三郎さんの見事な切腹がイギリスの新聞『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』が銅版画付きで報じられましたが、なんとかその銅版画がみれないかな〜、みたいな〜、見れないかな〜。
どっかその辺に落ちてないかな〜。
それかかつてのテンテンみたいな雰囲気の神の使いが突如目の前に現れて「あなたは、滝善三郎さんの『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の銅版画を探していますね…さぁ目を閉じて…」って言って目を閉じて、そんで開けたら目の前に銅版画が落ちてないかな〜。って思ってネットの海を公安9課のごとくさまよっていました。
「・・・その銅版画は貼らねえのかよ!!!!」
って思ったあなた…安心してください!
この後に銅版画ではないですが、貴重なものをちゃんと載せますから!
滝善三郎さんの素材を求めてネットの海をさまよう中で見つけたのが、神戸にある「能福寺」の神戸事件案内板でした。
おぉ、これはすごい絵だ!
しかも記録に残っている切腹時の検視官たちの配置を正確に配置して書いているっぽいぞ!!
(こちらの方のブログに詳しく載っています)
なんだこの絵は!?!?
みたい!見てみたい!!!
正直『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』よりこっちの方がすごそうじゃん!!
そんなふうに思ってこの案内板を眺めていますと、左の方に書いてある文言が目に止まりました。
「滝善三郎 切腹の図 カネテツデリカフーズ株式会社所蔵」
カ ネ テ ツ デ リ カ フ ー ズ 株 式 会 社 所 蔵 ! !
そう、あのかまぼこ界の井上尚弥こと「てっちゃん」率いる、あの!カネテツデリカフーズさんです!!
銀河系で一番かまぼこを作っているてっちゃん
それがし、こういう時の積極性たるやこれまた、あの井上尚弥チャンピオン並でしてね。
つまり、それがしは歴史界の井上尚(以下略
「どんだけ井上尚弥好きなんだよ!」ということで、早速カネテツデリカフーズ株式会社様に、ご迷惑とは存じながらも暑苦しく取材の申込みをしました!
カネテツデリカフーズさん
電話受付の女性にまず何から説明していいのかわかりませんよね。
だって「ただ絵を取材させてほしい」だけの見ず知らずの井上尚弥ですからね。
とりあえず、自分の正体と事情を説明しましたが、受付の女性の方も自社にそんな貴重な絵があることをイマイチ分かっておられない様子(マニアックな話で困惑させてごめんなさいね…)ながらも、非常にご丁寧な受け答えで、なんと社内で担当者を探して折返しをいただけることに!
ゆーて、こういうときはだいたい電話かかってこないか、数日後に電話かかってきて「ちょっと社内に担当者がいないんで〜」なんてかわされるのが関の山かな…と思っていたところ、なんとものの20分ほどで担当の方から折返しが…!!
うぉぉぉぉぉ!!担当の方ぁぁぁぁぁぁ!!!♡♡♡♡♡
そんで「実はこれこれこういう事情で、あの絵を見せていただきたいんです〜!」と暑苦しく迫りました!
(※「これこれこういう事情」はまた後日詳細を発表できると思います!)
すると・・「いいですよ。写真撮りに来られてはいかがですか?」とのお返事が!!
うぉぉぉぉぉ!!!!担当の★★さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!♡♡♡♡♡
(念の為言っておきますが、どうやらこの時すでに劇団のやってることと「これこれこういう事情」を鑑みてくださった上で特別な許可をいただいた話ですので、ほいほいてっちゃんに絵を見に行くのはお控えください。笑)
・・・というわけで、さっそく次の日来ちゃった♫
というわけで、早速押しかけましたるこちらが、神戸は六甲アイランド内にあるカネテツデリカフーズ株式会社さんの本社です。
ちなみにカネテツデリカフーズさんの「ほぼシリーズ」のページ、遊び心あって最高です。こういうページ大好き。
なんとこの日は、雪がチラホラと舞っていましたね☃
どうりで寒いわけだ…。
早速ご担当者の★★さんにご挨拶をすると、大変にご丁寧に暖かく迎えてくださいました(⌒▽⌒)
社内にも、これでもかとてっちゃん…!!
そしてですね、しばし待つこと数分。
ついに・・
ついについに・・・
ついにあの絵と・・・
ご対面のときが・・・
それではご覧頂きましょう。
ラストサムライ、滝善三郎公の切腹の図です。
謹んでご覧ください。
滝善三郎切腹の図
いかがですか・・!!
実物見たらわかるけど、保存状態もすこぶる良くて、この蝋燭明かりの色彩の中で荘厳な命のやり取りが、静かに浮かび上がってくる・・・!!
それがしの手と比べると、このくらいの大きさ。
そりゃ、自撮りで一緒に滝さんと記念撮影するよね!!
(※絵の方を見てるときはもちろんマスクしてます!)
これは本当に良いものを見させていただきましたよ!!
この絵がなぜカネテツデリカフーズさんの元にあるのか!?ですが、こういう経緯のようです。
かつて滝善三郎さんが切腹をなさった永福寺(ここから少し西の方にある)は、大東亜戦争にて消失してしまいました(泣)
↓
そして、ほぼ焼け野原の更地になってしまった永福寺跡に、1950年にカネテツさんの本社と工場が移ってきました。
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その時代には、カネテツさんの敷地内に「滝善三郎正信碑」(←後で出てきます)という石碑があってご供養されていました。
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その時、近所に住む方がこの「滝善三郎切腹の図」を持っておられて、切腹の図を持っているのが怖いので、当時のカネテツさんの社長さんに預けられたそうです。
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その後、カネテツさんが六甲アイランドに引っ越しされる際に、この「滝善三郎切腹の図」も一緒にお引越しして、この場にあるのだそうです。
↓
ちなみにそのお引越しのときに「滝善三郎正信碑」は向かい側にある「能福寺」の境内に移設されましたとさ。
ちなみに、どこの画家さんがどういう経緯で描いたものなのかは調べたのですが、一向に出てきません。
絵の右下によく見るとサインがあるのですが、木田、木内、本田、敬、毅?どの組み合わせで調べても日本画家にヒットしません・・・。
誰かわかる人いたら情報ください。
とにもかくにも、こんな凄まじく貴重な歴史を持った絵を快く見せていただいた、カネテツデリカフーズさんには、本当に感謝感謝です・・。
うちの劇団のDVDと、倉敷名物藤戸饅頭をご堪能いただけましたら幸いです。
さようなら、これからそれがしはかまぼこが食べたくなったら、絶対にカネテツデリカフーズさんのかまぼこを食べることにします!!
大感謝です!!
結局文量多すぎてロマンティック肝試しまでたどり着かなかった!ので次回こそは滝さんのお墓まで連れて行っちゃいます!
#日本史がすき
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