吉野家の元常務の方法論について。(1)


吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」抗議した受講生が詳細語る。「教室で笑い起きた」

1.量の拡大の時代

 私も長年マーケティングの仕事をしてきたので、自分なりに、何が問題だったのか、整理して考えてみたい。

 戦後から始まる昭和の高度成長の時代は、企業にとって「量の拡大」が最大のテーマであった。売上を毎年拡大し、業界内シェアを拡大し、組織を大きくしていくことが企業の至上命題であった。たくさん生産して、たくさん販売することが目的であった。それは戦後が、モノがなかったところからスタートしたのだから、誰もが当然のこととして認識していたのだと思う。

 たくさん売るにはどうしたらよいのか。最初はまず商品をたくさん作って単価コストを下げて「リーズナブルな商品」を販売することだった。生産システムが出来たら、次にそれを効果的に販売するプロモーション戦略が大事になり、広告戦略をはじめ、さまざまな販売促進のための技術が発達した。

 よく大量消費社会の構造は「大量生産→大量販売→大量破棄」という流れが語られるが、これには「大量生産→大量広告→大量販売→大量破棄」というのが正確だと思う。

2.飽和していく商品

 モノがなかった時代は、大量生産のモデルは大事だったし、大量の広告宣伝や販売促進技術によって消費者は新商品と出会えることが出来た。生産者も消費者も、商品文化の隆盛を楽しんだというのが、昭和の高度成長の時代だったと思う。

 しかし、やがて、大量生産モデルは飽和し、商品に対する必要性からの欲求が薄らいできた。欲しい商品がなくなった。1990年代に私は「消費ニヒリズム」という原稿を日経トレンディに書いたことがある。80年代バブルによって消費文化が成熟して、ついに商品欲求が枯渇してしまったのだと思う。

 日本人が自分たちで生産して、その給料で自分たちが消費者になるという好循環の経済構造も、社会がシステム化され、企業が安い労働力を求めて世界のサプライチェーンを築きはじめた頃から、幸福な循環も薄らいできた。あらゆる商品が「他人事」になってきた。

 しかし、生産の側の構造が大きく変化しているにもかかわらず、販売促進技術だけは、更に巧妙に発展してきたのだと思う。

3.「販売促進技術」の暴走

 今回の吉野家の元常務の発言は、生産構造や消費者意識とは無関係に「販売促進技術」だけを鍛えてきたプロ・マーケッターによる、顧客無視、生産者のプライド無視の暴走的発言に思える。

 おそらく、こういう人は、現代日本のあらゆる業界、あらゆる領域で組織の権力を握っているのだと思う。「きれいごとを言ったって、企業は売上を伸ばし、利益をあげなければ負け。生き延びるためには手段を選ばない」という意識である。それは政治家が「選挙に落ちればタダの人」という意識で、あらゆる手段を使って当選しようとする意識につながっているように見える。

 それが「競争社会」の原理であろう。

 戦後、昭和を生きた私には、吉野家の元常務の意識を内部に感じることがある。それは地方蔑視とか女性蔑視とか自社蔑視とかいう部分ではなくて、「生きるためには競争しなければならない」という意識である。

 そして、自分の内部にある競争の意欲は、それなりに愛すべきものだと思っている。しかし、それは20世紀までの原理であって、古いなあ、と思う意識も21世紀になって芽生えている。それがまだどういう形で、自分の内部に根付くのかは分からないが「競争」とは別の原理が広がりつつあるのも確かだと思う。

4.売るために手段を選ばない「プロ」

 吉野家の元常務の発言を最初に聞いて、70年代の女性誌の編集者の顔を何人か思い浮かべた。出版の業界に入って参加型メディアを追求してきたのだが、旧来の出版業界の人たちと交流がはじまり、なんとなく馴染めなかったのが、たまたまかも知れないが、女性誌の男性編集者である。まず有能な人ほど、女性蔑視がはなはだしい。「今どきの女はこういうテーマにすぐくいつく」みたいな話を平然としていた。女性誌の読者投稿コーナーなどは、男性編集者が自分で書いてあたかも現代の女性の悩みみたいなものを捏造していたのも聞いていた。

 これは個人的な問題ではなく「売るためには手段を選ばない」「手段を選ばなかった者が大量に販売する」という、数の論理の時代の方法論であったのだろう。読者(消費者)を一人の人間として意識することなく、物質的な数量としてしかとらえられなかった高度成長の、もっと大きく括れば近代社会の企業組織の方法論であろう。

 そうした方法論が全盛の時代に、それでも、消費者を量として見るだけではなく、一人ひとりの質として把握しようとしたマーケッターや企業の商品開発室のスタッフの人たちが、新しい時代に向けての模索をしていたことも知っている。しかし、80年代末のバブルとその後のバブル崩壊により、日本企業においては、新しい時代への方法論の模索は消滅してしまったように思える。「売り方」だけではなく「作り方」の方も追求すべきだったのだと思う。

5.言葉は関係性の中で育つ

 吉野家の元常務の発言の問題は、早稲田NEOの講座での出来事だけではない。元常務の考え方や方法論に、吉野家の企業の内部の人たちや、彼の友人たちが、これまで何も反応しなかったところにあるのだろう。人間の考えなど、突然生まれるわけではなく、その人の関係性総体が、今の自分の考えそのものである。

 昔、麻生太郎さんが、言葉のいいまつがえで攻撃されたことがあるが、彼は吉田茂の一族であり、子どもの頃から帝王学を学ばされて、英語はもちろん漢詩もたしなむと聞いた。それだけの知識人がなぜ、簡単な言葉を間違えて覚えてしまったのか。それは、周囲に、間違えて覚えた言葉を諌めたり笑ったりする関係がなかったからだと思う。

 人の考えや態度は、自分自身だけで作るのではなく、日々の関係性の中で育っていくのだ。吉野家の元常務の事件に、恐れおののいている大企業のひとたちは、まず社内の日常的なコミュニケーションのあり方から、見直した方がよいと思う。

6.21世紀の意識へ

 近代は、まだまだしぶとく残っていくだろう。「売るためには手段を選ばない」という方法は、「勝つためには手段を選ばない」という国家の戦争の論理につながっている。

 それを単に否定するだけではなく、そうした人類の愚かな歴史的体験を踏まえた上で、新しい価値観とコミュニケーションの方法を21世紀の私たちはつかまなければならないのだろう。

続く

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