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METACITY CONFERENCE 2019 おわりに

2019年1月に行われた「METACITY CONFERENCE 2019」では「City as __」のテーマのもと、国内外のアーティスト、研究者、デザイナー、技術者、企業、行政関係者などを招聘し、様々な角度から「ありうる都市」の姿が議論されました。そこでの計11本の議論と講演をまとめた「METACITY CONFERENCE 2019」マガジンもいよいよ、最終回を迎えることとなりました。

そこで本稿は、「METACITY CONFERENCE 2019」マガジンを振り返りながら、もう一段深く各セッションを楽しんで頂きたいと考え、制作しました。

TEXT BY / EDITED BY: Shin Aoyama (VOLOCITEE)

さて、多様なテーマにまたがる11のセッションを見てまいりましたが、これらのセッションは相互にどのように関連しあっているのでしょうか?ここではみなさんの解釈の助け、あるいはさらなる想像のための触媒として、いくつかのつながりや視点を提案してみたいと思います。

都市とデータ

たとえば、「メディアアート x 建築の可能性」ウェザードリブン・シティ」はともに「都市とデータ」の新しい関係性を探索していると捉えられるかもしれません。生活にデジタルテクノロジーが浸透することによって、都市は日々膨大な量のデータを生成しています。ウェザードリブン・シティは、こうしたビッグデータを新しい都市の価値づけや、市民のリテラシー教育へと繋げる方法を提案するものでしたし、Ouchhhの実践は、わたしたちの生体情報から古代の遺跡、太陽系の果てにまで広がる知覚不可能な世界を、データとアートというメディアを介することで都市へと重ね合わる試みだと言えるでしょう。テクノロジーが生み出すデータ群を都市の最適解を見つけるためだけではなくむしろ、隠されていた多様な都市の可能性へとわたしたちを開く鍵として捉える挑戦なのです。

都市と市民

こうした多様な都市の解釈はデータだけではなく、そこに暮らす人それぞれの視点からも生まれるはずです。アート系スタートアップの出現と都市文化に与える影響」「シティ・アズ・キャンバスは、こうした市民の主観や行動がもっと直接的に都市の形成に影響を与える世界を描こうとしていると言えるでしょう。アート系スタートアップは隠された土地の歴史や文化、ニーズなどをビジネスの手法を用いて都市のネットワークの中に組み込み直そうとしています。一方で、SIDE COREをはじめとしたアーティストたちの実践は、ストリートアートという都市の観察と応答の技芸を通じて、市民の表現と都市の空間が渾然一体となった文字通りの芸術都市の在り方を示すものでした。都市の論理と市民の主観の間に生じる軋轢を、単なる対立として捉えることなく、ビジネスやアートの知見を生かして軽やかに読み替え、馴染ませていこうとしていると言えるでしょう。

都市と実感

では生活空間としての都市の実感を推し進めていけば、どうなるでしょう?「ニューエコノミー/ネクストジェネレーション」で語られたデジタル・ウェルビーイングの概念は示唆的です。テクノロジーの発展そのものではなく、その中で共に生きているという実感こそが、ありうべき未来を描くためには重要なのです。そして「都市の生死とは?」では、生き死にの場としての都市、というもっとも肉体的な次元が現在の都市生活から剥奪されていることが明かされました。これを取り戻すことこそが、実感を伴った都市を紡ぎ直すためのコアになるかもしれません。物質的な都市を「生きられた空間」として納得できるものにしていくことは、様々なレイヤーへと都市が拡張されていく時代においてこそ重要なはずです。

都市とコミュニティ

こうして市民それぞれ、あるいは個々のデータの間の関係性として都市を捉え直すにあたっては、コミュニティの概念に着目する必要があるでしょう。「ポストコミュニティ」で言及された生成と解体を繰り返すアドホックなコミュニティ像は、「千葉市憂愁(チバ・シティ・ブルーズ)」で構想された、自然と都心、余暇と刺激といった粗密を併せ持つ「ありうる」チバシティの姿へと繋がるかもしれません。あるいは、「文化人類学と現"在"美術からみる『ポストヴィレッジ』そして『メタシティ』」が着目した、自然との動的な関係性のダイナミズムがつくる部族社会をも思い起こさせます。

都市と様式

このように様々な角度から再検討された既存の都市は、どうすれば変わっていくことができるのでしょうか?「ペチャクチャ・シティ」「超都市」は「様式(フレームワーク)」をキーワードとしながらそこに迫っていきます。PechaKucha Night という様式は市民が表現を行うための強力なツールとして機能し、そのネットワーク自体がグローバルな都市を構築しようとさえしています。それに建築という試みもまた、人の間に溢れるコンテンツを都市の中に配置するためのフレームとして捉えられます。さらに、そこにデジタル空間のフレームを与えるコンピューテーショナル・デザインや、様式の破壊と生成の技術ともいうべき茶の湯の知見を重ねることもできます。これらのセッションからは、硬直化した既存の都市を脱臼させ、再び組み直すために必要な「様式」の知見と実践を見いだすことができるでしょう。

もちろん、ここで検討したいくつかの関係性以外にも無数のつながりや示唆、思ってもみなかったような化学反応が、各セッションの間には眠っているはずです。無数のリンクが張り巡らされたネットワーク構造を成すこのカンファレンス自体を一つのコミュニティ、すなわちある意味では「ありうる都市」そのものと見ることもできるのかもしれません。とは言え、固定化された関係性を眺めるだけでは到底都市とは呼べないでしょう。本カンファレンスがさまざまな分野の方々との対談から新たな都市の在り方を生み出そうとしたように、これをご覧になっているみなさんが、各セッション同士の動的な関係性を想像/創造するとき、それはまさに「ありうる都市」が生まれる瞬間であるはずです。ぜひこの小さな都市の市民として、その発展に協力いただけることを願っています。ありがとうございました!!

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