見出し画像

安倍公房と清少納言と

夏ごろから「安倍公房作品の感想をまとめたい」と考えておりました。

もっとも、谷崎潤一郎と並んで長い間「苦手意識」を持っていた作家が安倍公房です。

まず谷崎潤一郎。

高校時代、生意気にも「痴人の愛と刺青を読んだからもう読まなくていいや」と離れた経験があります。(大人になってから色々と拝読しましたが……💦)


そして安倍公房……。

始めてページをめくった作品のタイトルは失念しておりますが、あらすじはこうです。

・妊娠初期の妻(恋人?)が産科医によって勝手に堕胎させられ、怒り狂った彼女の伴侶が産科医を咎めるために喫茶店に呼び出す。

・ところが産科医の背後には『人類救済のための壮大なプログラムを実行する組織』が……。

その組織の目的は

「南極や北極の氷が解けて陸地が水没したとき、海底に都市を築いて人類の文明を生き延びさせること」

「そこに住まう知性を備えた半魚人をいまから産ましめるため、まだ魚類の体を持つ生きた胎児を必要としている」ということ。

・ラストは近未来。

涙腺を持つために半魚人仲間からは「奇形児と侮られる少年の半魚人イリリ」が、陸地を恋しがって一粒の涙を流す……。

 これは中編だったと思います。

 男が喫茶店で産科医を待つ間の、「溶けたアイスクリームがガラス容器のふちから流れ出しそうな描写」や「組織に雇われて男の命を狙う殺し屋のラーメンの麺を一本ずつ食べる奇妙なクセ」などを、なんとなく覚えています。

(タイトルを覚えていないのに、なぜかこんなことは脳裏に残っているというのは、安倍公房の筆力でしょうか? それともわたしの記憶違いでしょうか?)

 SFっぽい作品だったから、当時十代のわたしが手に取ったのでしょう。


 続いて読んだのは芥川賞受賞作の「壁」

 カフカ風のファンタジーといいましょうか? 「です」「ます」調の優しい文体。

第1部「S・カルマ氏の犯罪」は名前を失った男の悲しき冒険譚。

第2部の「バベルの塔の狸」は影を狸に奪われ、バベルの塔へ飛来する詩人の物語。

第3部の「赤い繭」もありましたが……1部2部に比べてインパクトが弱い印象です。


実は第2部の「バベルの塔の狸」の中盤にある「微笑についての分析」が長々としていて、読んでいてぐったりとしたものです。

代表作の「砂の女」を読もうか? と思案していたとき、ちょうどNHKで映画「砂の女」(1964年・東宝 岸田今日子主演)が放送されて視聴し、

「映画を観たから原作は読まなくてイイヤ!」
と断念。

 以来、安倍公房作品を手に取ることはありませんでした。

 ある意味、「バベルの塔の狸」の「微笑についての理論的分析(?)」めいた描写が退屈で、当時の未熟な読者であったわたしを敬遠させるのに充分でした。(一種のトラウマだったかも?)

 そして今年(2024)、いきなり安倍公房の書籍がほとんど一斉に電子書籍化!

 1924年(大正13年)生まれの安倍公房生誕100年ということで、映画「箱男」も封切られたわけです。

「電子書籍なら谷崎潤一郎も読めたし、安倍公房もいけるかも」

というわけで、谷崎潤一郎に続いて「過去に挫折した作家の読書リベンジ」です。

結果、短編で気に入ったのが下記です。

「人魚伝」……「無関係な死・時の崖」新潮文庫収録

「友達」……こちらは台本です。「友達・棒になった男」新潮文庫収録

「R62号の発明」……SFですが風刺たっぷり。「R62号の発明・鉛の卵」新潮文庫収録

「犬」……皮肉っぽい女性蔑視の中に、破滅的自虐が……。「R62号の発明・鉛の卵」新潮文庫収録


得に「人魚伝」はオススメです。この短編はどことなく「村上春樹っぽい」と思っています。(個人の感想です)


 実は安倍公房が「榎本武揚」を書いていると知って、

「戊辰戦争後に幕臣でありながら明治新政府で重用された人物を、この作家がどう描くのか?」

興味がありました。

驚いたことに演劇用の台本として書かれたのですね。

まさか、戊辰戦争の戦犯として獄中にある榎本武揚を取り上げるとは予想外でした。

新潮文庫の「友達・棒になった男」にこの「榎本武揚」が入っています。

 以下、長編についても少々。

興味深いのは「燃え尽きた地図」

 名作、傑作と名高い作品で、いつの間にかある男の行方を追っている探偵自身が「追っている男」に入れ替わっていく物語。

 こういう「追う者が追われる者に入れ替わる」小説はポール・オースターの「鍵のかかった部屋」を連想させました。もちろん、オースターより安倍公房の方が古い作家ですが……。


 代表作の「砂の女」よりも気に入ったのは「けものたちは故郷を目指す」です。

 軍国主義を背景に拡大政策をとっていた日本は大陸の満州に日本人を入植させていたものの、敗戦で一転。過酷な逃避行を強いられた入植者たちの現実が物語の背景。

自伝的要素がある「けものたちは故郷を目指す」は「青年の満州引き上げ」の奮闘記。

もともと満州国には興味がありましたので、極限状態で日本を目指す青年の行動と、彼にからむ詐欺師でスパイの言動は読みごたえ充分です。


 意外に面白かったのは(失礼💦)「箱男」

 実は「あまりに独創的な傑作すぎてついていけないのではないか?」と不安で手が出せなかったのです。

 映画は未視聴ですが、きっと唯一無二の傑作でしょう。いつか目にするのが楽しみです。


 長々とタイトルの「清少納言」と乖離した文章を失礼しました。m(__)m

 ここでやっと「カンガルー・ノート」に触れたいと思います。
 まず一読して笑えます。

もっとも、この作品は安倍公房が自身の入院生活を諧謔的ファンタジーに仕立てたようです。

闘病中の、心理的、肉体的な辛さや苦しさを一切書かず、医療関係者への不満も愚痴もありません。

そういう個人的な苦痛を書くことに一種の「照れくささ」があったのか、あるいは一つの作品の中に悪感情の「毒」を吐き出しては作品をぶち壊しにする、と判断したのかもしれません……。

病中のうっとおしさと「死」を表現するため、主人公のすねにカイワレダイコンを生えさせたり、入院ベッドに固定されたまま地中深く潜行させたり、地獄で幼稚園児が扮する小鬼たちを登場させたのでしょう。

 安倍公房の奥の深さと凄みは「女性」や「マンガ」に一定の偏見(蔑視)を持ちながらも、偏見を持つ自分をもブラックユーモアで自虐のめしているところかもしれない……などと愚考しております。


 辛い現実を面白おかしく描きつくす……。

 ここが「カンガルー・ノート」と清少納言の「枕草子」の共通点! と個人的に独断してみました。

2024年の大河ドラマでおなじみになった千年前の平安時代、一条帝の御代。

清少納言は仕えている中宮・定子が失脚。定子が創り出した華やかな宮中文化を「枕草子」で描写しました。

定子が失脚した「長徳の変」については拙作「あぐり 長徳の変を見つめた少女」で触れております。

 権謀術数、嫉妬や野心、呪詛といったドロドロがはびこる宮中で、清少納言は一時「裏切り者」の烙印を押されて同僚の女房たちから無視や陰口のイジメにあい、定子のもとを去ります。

 実家へ身を退いて書かれたのが「枕草子」です。

 時の権力者・藤原道長やイジメっ子の同僚たちへの悪感情を日本最古のエッセイである「枕草子」に吐き出してもよかったはず。

 ところが周知のように「枕草子」には一条帝と定子の仲睦まじさや、定子のサロンがいかに華麗で明るかったかが雅な筆でつづられているわけです。


 とある研究者は「枕草子は定子の遺児である敦康親王を東宮(皇太子・次の帝)にするための気品ある政治的な圧力」という意見をお持ちでした。(by『英雄たちの選択 秘められたメッセージ 清少納言 枕草子の真実』)


 人生でもっとも精神的に辛い時期、一切の悪感情(毒)を吐かずに傑作を書きつくした……ところに安倍公房と清少納言の共通点を見つけた思いがしたわけです。


逆に、人目につくであろう文章に「毒」を吐いた人物がいます。

紫式部日記には、「清少納言の『枕草子』には真実が書かれていないわ。漢字の知識もいい加減だし、自分が特別だと思っているのがミエミエよ」といった記述があり、ラストは「ああいう人の末路はいいことないでしょうね……」


 清少納言は自分を悪口で苦しめた同僚への不満すら漏らしていないのに、紫式部の清少納言への攻撃はどういうことでしょう?

 才女の誉れ高く、道長の娘・彰子中宮付きの女房であり、源氏物語の作者として大河ドラマのヒロインに取り上げられた紫式部。

 定子と同じく一条帝の中宮となった彰子のため、いわば彰子を盛り立てるために、定子の文化サロンの素晴らしさを訴える「枕草子」の作者をおとしめなければならない政治的ミッションがあったのでしょうか?

 紫式部日記は当時でも宮中で読まれ、「自分の才をひけらかした清少納言の末路はみじめであるはず」とレッテルが貼られたフシがあります。その証拠に、晩年に落魄した清少納言を嘲笑しおとしめる逸話が複数存在します。残念なことです。

 明治時代の女流小説家・樋口一葉はエッセイ「さをのしづく」で紫式部と清少納言を比較して

「人徳は紫式部が上かもしれない。紫式部は権力者に守られて作品を発表したラッキーガールだけど、後ろ盾を失った清少納言を悪く言うのは間違いだわ。『枕草子』は2度3度と読むうちにモノのあはれを感じますもの」

 と清少納言の肩を持っています。

 こちらも拙作の「道草…寄り道…樋口一葉」にくわしく触れております。

 安倍公房と清少納言。この2人はもっとも苦しい時期、自作に笑いを忍ばせて読者を楽しませました。

そして樋口一葉もまた、「さをのしづく」のラストで「すべて世の中は をかしき物なり」と締めくくっております。

 飛躍した雑多な内容でお目汚し、失礼いたしました。m(__)m

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集